もちろん救出の予定などない。
 
 
入念な確認作業を行い「それ」が間違いなく真実であると、碇父子が結論を下したのは
 
 
水上左眼捕獲の報が入ってから二日も経ってからであった。
 
 
捕らえた方から身代金やらその他の要求がなかったせいもある。「冬月先生がいれば、その場ですぐさま首を刎ねられる、ということもないだろうが・・・」というのも碇ゲンドウの希望的観測であり、まさに青天の霹靂、勇者が冒険を積み重ねていたわけでもなかろうに、好き放題やらかしていた竜が「あっ」という間に捕らえられてしまったという・・・・・そんな戦力が混乱と弱体が著しい新体制ネルフ本部のどこにあったのか・・・・そうなればいいのになあ、とコキ使われ無茶ぶられ難題を投下され続け、ひそかに願っていた碇シンジにしても、こうも都合のいいことを考えてなかった。
 
なんらかの、こちらを試す罠ではないかと疑う方が先だった。
 
 
もちろん、救出の予定などない。
 
 
しかしながら、どうやら本当らしい・・・・・・実際、すぐさま帰還する予定だった(つまりは次の仕事予定が圧している)水上左眼が戻ってきていないのだから。
こちらを試すだけで二日つぶせるほど、ヒマな人間ではないのだ。
 
 
もちのろんで、救出の予定など、ない。
 
 
新体制ネルフ側からなんらかの声明があれば話は早いが・・・・てめえで注文した武器を予定より早く届けさせておいて・・・・そこをとっ捕まえたとなると・・・・やられた方もまぬけであるが、やった方の極悪さは法を超越するどころではなく、裏も表もない無道。
それを
 
 
今が、チャ〜〜〜ンス!
 
 
父子そろって悪い顔してこんなセリフを決めたわけではないが心境としては似ており。
 
日本酒とサイダーで乾杯すると、さっさとこれまで準備してきた式の最終行程に入る。
 
こんなところは花びらのように柔らかな少女心に悪影響しか与えないので、真・チルドレン状態のドライはここにはいない。別室でひとりでタンバリンなど叩いている。
 
最強にして最大の邪魔ものがいない今こそ、鬼のいぬ間、いやさ竜のいぬ間の・・・で
この開放感最高!!ぷはーっ、と一気にサイダーをあおる碇シンジ。この一杯のために耐えてきたなあ・・・・ミサトさんの気持ちがなんとなく分かるなあ・・・
 
 
救出の予定など、あるわけがない。
 
 
新体制ネルフの力がどれくらいのものか、知らないが、未知数だが、いったん捕らえた竜をあっさり逃がしてしまう可能性もある。まあ、その場合、復讐として第三新東京市には一週間は消えぬ火の海くらいには最低、なるだろう・・・・・今日まで撃破してきた使徒の数を考えると、どうも恩讐の迷惑と負担バランスも崩れてきているような・・・・・ヒメさんのは税金で動かない人間の発想だからなあ・・・・とにかく、のんびりやってきたらひょっこり帰ってくる可能性だってある。
 
 
救出の予定など、冗談にも、あるわけがない。
 
 
城からミカリという留守番の女の子が泣きながら「左眼さまを助けてください」とやって来た。泣いているくせに不釣り合いな刀など持っているので、「じゃあ、交換条件として手伝ってもらいたいことがあります。あれこれ」ということで引き取ってもらったが
 
 
救出の予定など、あるわけがない。
 
 
「碇シンジいるか!・・・ああ、親父さんもいらっしゃるのか・・・都合がいい。話がある、分かってるんだろうが・・・」と生名シヌカたちもやってきた。学校はどうしたのか向ミチュまでそろえて。弓削カガミノジョウや大三ダイサンの顔つきを見るに、ただの学生というよりは地元民代表の微妙なアンテナ、触れていいのかわるいのか分からないものを押しつけられて仕方なく慣れているから、その様子を見に来た、といったところ。
 
 
ミカリとはだいぶん違う。全力ど真ん中ストレートと山なり遠投くらい。泣いてないし。地元民でもそれなりに立場がある者は水上左眼捕獲の件を知っているらしい。真偽の確認などではないところが、さすがに切断海賊都市・竜尾道の住人といったところか。
 
 
「旗もった妙なのが外と内をうろつき廻ってる・・・・・これまで襲撃犯とは確信の度合いが違う・・・事務的っていうのか、てめえの土地にするために、測ってる・・・いまさら政府の役人でもなし、しかも、とんでもなく・・・・強いといっていいのか場慣れっていった方がいいのか、近づくことさえ出来なかった・・・連中が旗刺しを終えると見失う・・・・こっちとは違う”札”をもっているような・・・これ、あんたたちの関係者だよな?間違いなく・・・・」
 
「福音丸が除外しないのならば、その関係だろう・・・・・」
 
水上左眼の敗北にもさして動じることもなかった住人たちが、異変を感じ取っている。
 
相手の素性も知らずケンカが出来るか、といった単純な狼狽ではなく、水上左眼の在、不在かかわらず進行するレベルの異変であることを、スケバン刑事は聞き込みにきたのだろうが、碇ゲンドウに一蹴封殺される。息子の方は、父親がなんとか進行を阻止したかった厄介行進がそんなもの歯牙にもかけずにやってきてしまったことを理解する。
僅かな不機嫌。マルソの検地、とかいうやつか・・・・と、ここでぽろっとお約束の新人刑事のように漏らしたりはしない碇シンジである。
 
「手出しはしないことだ・・・・・ただではすまない・・・」
脅しのようにしか聞こえんが、これは忠告。父親には珍しい親切だ。、ということは息子はなんとか理解するが。専門家でもない中高生には難しいところがある。
 
「はい!わかりました。ついていったり、あとをつけていったり、ひみつのあじとを探したりしません!」
小学生女子にはすぐさま理解できたようだが。
 
「あじと・・・?アジトのことか・・・そうだ、そうしたまえ・・・」
碇ゲンドウもちと反応に悩んだようだが、小学生相手にそのように指令口調。
 
 
うわー・・・・、
 
 
石の森系少年少女探偵団のような雰囲気に、ちょっと引くその他年長ヤング。
 
それはいいとして。
 
 
「この街は、誰のものになるんでしょうか・・・・?」
弓削カガミノジョウが昭和ジュブナイルの雰囲気をひとまず吸引した後、聞いた。
この忙しい時に青少年のだべりになど付き合っていられないわけで、こういった的の忠心を射抜く問いはかえってありがたい。肝心なことだけ、尋ねにきたらしい。
重量級の問いかけではあった。見かけによらず、中身とおりに。瀬戸内海族の名家、雷玉を受け継ぐ弓削の若殿として。子供向けでは満足させられるはずもない。
 
 
「いくつかの決断を経て、決定することになるだろう・・・・」
 
 
住民総意ではなく、困ったことに、いち個人によるそれだ・・・と顔と空気に託して。
この街はこの街に住む住民のものだろうが、そんな正解が追いつけないところまで来ている。ウサギとカメのように。真説・ウサギとカメのように。すでに、大勢は決まり切っている。もうそこまで切り抜きにきているのだから。あとは、いち個人がそれにあくまで逆らうかどうか、だ。しかしながら、これまでつきあってその情動なり性根を見てきたが、ほとんど成長がなく、己の足で逆風に立つことなど海に漕ぎ出すことなど・・・・それに気づくことすら。
 
 
その、いち個人は、今、決断すらできない状況にあり。
 
そのまま決定の期限時刻が過ぎるだろう。有能というのも意味のない、自然確実に仕事を遂行する四愚と絶縁した賢人がやってきて動いている。人が動けば働く、であるが、賢人が動けば、任務完遂となる。
 
 
「それを、あたしらはずっと待ってたんだけどな・・・・・ま、これ以上はグチだな。
因果応報ってことで・・・・、あんたたちは脱出するんだろ?」
 
向ミチュがいるせいか、オブラートには包んではいる。が、その実が分からないはずもない。
「まー、現実にはお姫様を助け出す王子様なんていねーわけだしな。悪徳サラ金に彼女を拉致監禁されても助けに行けるサラリーマンだっていやしねえ」
と思ったら、わりと遠慮がない。
「注文した品を納品にいったら難癖つけて倉庫に閉じこめる変態野郎の巣窟に返還要求に行く命知らずのツバメだっていねえよなあ」
うわ!、それはまずいんじゃないですか生名さん!なんかそこまで言われて行かなかったらアソコがついてない感じがするじゃないですか。七つそろえたら願いがかなうどころではない、単なる猟奇犯罪であるところのゴールデンボールが!・・・・しかし、ツバメって・・・・僕指定ですか。
 
 
それでも、
 
 
救出の予定などはないで。
 
 
まあ、最初に手を出してきたのはヒメさんであるし。難しいところです。
 
 
シャン、シャン、シャン
 
 
生名シヌカたちが帰ったあと、そのやりとりの声に不安になったのか、自分の部屋からドライが心細げな顔で様子をうかがいにきた。「・・・・なにか、あったの・・・?」
タンバリンをもったまま。置いてくればいいのに・・・などと言ってはいけない。
事情が分かっていないわけではない。すべてを理解しては、いる。ただ、それを己の中に受け入れることができない。極度の不安症状。その元凶たる自分、碇シンジと決して目を合わせない、保護者たる碇ゲンドウに不安の除去を頼んでいるのだ。
 
 
「ああ、なにも問題はない」
 
この返答を聞ければいいのだ。その内にいるラングレーにしてみれば「け」というか「げ」といったところであろうが。アスカが戻らないのでこうするほかないが、もともと強力な上書き力をもつドライの幼児退行に呑み込まれやせんかと、ちょっとヒヤヒヤである。
 
 
ここのところ、めっきり邪悪生物と化している碇シンジにしても、げっそりする光景である。鈴音と足音を察知して、ちゃぶ台の下に忍者のように隠れるのも慣れてきた。
 
 
ぶんぶんぶんぶんぶん
 
これが蜂が飛んでいるだとしたら、そうとうなクリーチャー・ビッグビーであろうが、バイクの音だった。玄関先までそのままやってくる常識の無さと技能と、そして寺の結界を抜けてこられる資格・・・それらが揃っているのは、父子が知っている中では一人しかいない。ラングレーは面白がって同席を望んだが、ドライがこわがって奥に引っ込んだ。
 
 
水上右眼。
 
 
左眼の姉であり、暴走族のアタマであり、エヴァ・ヘルタースケルターを操る者。
 
 
来るだろう、来るかもね、と予想はしていた。
 
 
真ん中の肩書きだけならなんの問題もないが、「左」と「右」の肩書きが剣呑すぎる。
 
 
が、なかなかやって来ない。バイクの音が停止したまま、接近する足音がない。
 
 
「シンジ・・・・確認してこい」
 
 
碇ゲンドウが命令する。応じる息子は「・・・・・一緒に来ればいいじゃないか・・・・・いいよ、いきますよ、行ってきますよ・・・逝ってきまあす・・・」嫌々悲壮と。
とてもてめえの家の中でのやりとりとは思えないが、本人たちは大まじめであった。
 
下手打つと、妹の次に姉に首根っこ抑えられる可能性がある。
基本的に、水上右眼は碇ユイを大いに恨んでいるのである。
望みもしないのにスパルタ、というのも生やさしい、ゴッド・オブ・ウォー級、もうええかげんにしてクレイトス、といった凄まじい特訓の日々を送らされたのだ。人体実験とか人体改造よりその罪が軽いわけではなかろう。本人の納得と同意がなければ。
碇ゲンドウはその夫であり、しかも現場にいた。碇シンジはその息子で、当時の現場にはいなかったが、十分、標的になりうる。水上左眼、という制約がなければ何してくるかわからない怖さがあった。先も、明らかにこんなん無理でしょ!的ミッションを押しつけられた。あのときはなんとかなったが・・・
 
 
「にげちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ・・・・・・」
 
 
玄関に向いながら、真言をひさびさに唱えてみる。
 
 
厄介なのは・・・・・・水上右眼には、妹を救出する「力」があることだ。
 
 
それが・・・・・
 
 
 
「妹を助けてくれないか・・・・・・・」
 
 
玄関前で土下座なんかされていると・・・・・・・額まで石畳にこすりつけて
 
 
「命を助けるだけなら・・・・やれるが・・・・、それだと、魂が、あのバカ妹の魂が、こわれっちまう・・・・」
 
 
こういうことをされると・・・・・・・
 
 
「頼めた義理じゃないのは分かってる・・・・・こんなところになるまで目を覚ましてやれなかった・・・あたしの責任だ・・・・そいつは百も承知で・・・頼む・・・・・あの鬼ババ・・・あ、いや、おっかさんのことを引き合いに出すのは、卑怯なんだが、それをいっちゃあおしめえなんだが・・・・・あのバカチャンバラ妹は憧れすぎたんだ、完全に目がくらんでる・・・来るわけがない相手が自分のところにも来たもんだから舞い上がっちまって・・・・もともと勝手に重荷を背負って大変ぶりやがって・・・・・ああいう女は周りには迷惑なだけなんだが・・・・・自分の望みをかなえるついででも他人様もよくしようってところくらいはある・・・・・まったくもって姉のあたしが動くのが一番だが、そりゃ最悪でもある・・・・・なんとか、しちゃおくれでないか・・・・・」
 
 
こういうことをされても・・・・・・・
 
 
救出の予定などはない。
 
 
こっちにはこっちの都合があるのだ。
 
 
この絶好の機会を逃せるわけがない。逃がしては、だめなのだ。
 
 
逃がしちゃだめだ逃がしちゃだめだ逃がしちゃだめだ・・・・・心の中で真言を唱える。
 
そうでなけれれば、とてもこの力の重みに対抗できなかった。その力がある。力には重さがあり。己の欲することさえ自縛する重さに。そこから逃げて、切り離してしまえれば。
それをやらない。やれないスタンスは・・・・・鬼ババ呼ばわりでも、この人は・・・・
ドッ性根を後継した純正の弟子にあたるのだろう・・・・・母さんの・・・・・・
 
 
 
決心が、潰される。
 
 
 
「助けられません」
 
 
その前に、口に出した。
潰される、その前に。
 
 
我ながら、鬼の子であろうと思う。