「え・・?まだ、戻ってないって・・・・・どういうこと」
 
 
元来は己が答えるべき問いであったことに、言ったあとで気づく。
惣流アスカ。この自分が。それを問う者に対して。碇シンジの行方を。消息を。居場所を。
 
 
そして、生死を。
 
 
第二支部着陸の大混乱時のことであっても、それは問わねばならぬ、問う必要のある、何より優先されるべき、確認事項であっただろう。戦闘でズタボロであっても叩き起こしてでも聞きたい事柄であっただろうが、おそらくこっちの体調その他もろもろを考慮して、最低限体力が回復するまで、それに関して問われることがなかったのは、葛城ミサトや野散須カンタローらの強引判断があったのだろうと想像するのは難しくない。碇司令が不在であったことが大きかったことも容易に察しがつく。
 
 
が、病室のベッドの上の自分は、答えを口に出せなかった。
 
 
答えらしきものは自分の中にあったが、それを口にしようとすると、ぱりぱりと裂けるのだ。ふたつに、みっつに、よっつに、と、どんどんと裂けていって、かたちにならぬ。
記憶とは、これほど外気にもろいものであったのか。意識の混乱や頭痛などはない。
 
 
「あ・・・シンジは・・・・あの・・・銀鉄に・・・・・いや・・・・」
 
 
自分の前に丸椅子に座る葛城ミサトの表情は、優しい。痛々しいほどに。今の自分は、こわれものなのだな、と。触れることもしてくれないほどに。第二東京からもどってきた時には、白熊かゴリラのように抱きしめてくれたのに。苦しいほどに。強く。
 
 
「初号機に・・・・乗っていた・・・んじゃなかったっけ・・・・・だって、あの時、」
 
 
確か、そう言われた覚えがある。実感がともなわないのは奇妙なところ・・・・いや、ああそうか、口をきいてなかったせいか、あのおしゃべりと。それどころじゃないスペクタクルやばい状況ではあったけど、それで口を閉じるような殊勝なタマじゃない。場が荒れればあれるほど荒れるほどその口舌は滑らかになっていくはずだ。あのばかは。
 
 
「いや、でも・・・・夏への扉で、おいていかれて・・・・あとは、ファーストが・・・」
 
 
どうだったかな・・・・そこからの記憶は曖昧だ。トロッコに乗り込んで、あの鉾を街を見下ろす衛星エレベーターのように昇っていったのは・・・覚えている。それから。
 
それから・・・・
 
あれから・・・・
 
 
 
「覚えてないなら、いいわ。役立たずねえ」
 
 
「え・・・・?」
 
その言葉は、確かに、目の前の、葛城ミサトのものだったか。優しく微笑んだままの。
 
 
「あなたを信用したのは、間違いだった。子供のやることなんか、襟首ひっつかまえて止めさせときゃよかったのにね・・・・さて」
 
 
がたん。音をたてて丸椅子から立ち上がる目の前の女。携帯端末を取り出し確認すると
 
 
「時間の無駄だったわね。じゃ、次の仕事があるから。気の済むまで寝てていいわよ〜・・・・・なんだったら一生でも」
 
 
「ミサト・・・・」
 
 
声を荒げるわけでも、こらえきれぬ感情を吐き出すわけでもない。女は平然と。スケジュールをただ消化しただけのように。なんの執着もなく。この場を去っていった。
 
 
 
「・・・・・・」
 
 
 
女との間には、壁があった。目には見えない、壁が。おまえは、やくにたたないたにんだ。クスブリとは関わり合いにならないのが、生き残る鉄則だと。ため息すらない。次へと。
 
 
葛城ミサトが去った病室の扉の向こうで、声がする。「やっぱ、ダメだわ。言い訳すら考えつかないみたい。絵に描いたよーな、コドモのつかいね」
 
 
「でしょうね。だから言ったのよ」赤木リツコ博士の声が。
 
「そりゃそうですよ、子供には無理ですよ」「そうそう、ムリムリムリムリィィ〜!!ですよ」「そうですよ、先輩のいうとおりですよ。大人の言うことを聞くべきですよ」日向・青葉・伊吹のオペレータ三羽ガラスの声が。
「まったく時間と設備と人員と資金の無駄もこれに極まるな」副司令の声が。
 
 
「やっぱり無条件でアイツに任すべきやなかったな。いっそワイがいっとくべきやったな」なぜか鈴原の声が。なんでこんなトコロに・・・・・と思う前にヒカリの声が。
「そんなこといっちゃダメだよ。アスカだってがんばったんだから。アスカなりに」
 
 
くす。
木漏れ日のような、くすくす笑いが、黒雲のように胸を閉ざす。温い憩いであるから。
光がべつの場所にあるから、自分が暗闇にいるのだと知れる。人に知られることなく棲息する火蜥蜴の這う。苦しい。痛みはないが、苦しい。それでいて、それに抗う火の感情が燃え上がってこない。たぶん酸素がないのだ。この黒雲は煙なのかもしれない。涙も出てこない。悲しいはずなのだが。
 
 
こんなことを、いわれたら
 
 
喪失感とか、責任感の方が、強いのか。
自分の情緒より。それが、鎧になっているのか・・・・・。とにかく、それより
 
 
ああ
 
 
シンジが、いないのか
 
 
いなく、なっているのか
 
 
わたしの、信用と、同じようなものだな・・・・・
 
 
 
「まあ、これも使徒戦の一環だと思えば、やったことは普段と変わりませんしね・・・子供二人の命と引き替えに大勢の人間が救われたという・・・いわば引き替え、取引ですよ」
「そうですよ、彼と彼、彼らはたくさんの失われた人命を復活させたんですよ。その奇跡に比べればたいていのことはオールオッケー、終わりよければすべてよしですよ」
「世はなべてこともなし、いいことだいいことだいいことだ・・・・・・」
「そうだったのか、ありがとうありがとうありがとぅー蟻が十匹、ありがとう!」
「カブト虫とカマキリがいなくなったけど、アリが二千匹たすかったよかった!」
「いや、そこには異論がないけど、カヲル君がカマキリってのはイメージが違わない?」
「シンジくんがカブト虫ってのも分かるような分からないような微妙な線ですが」
「カマキリよりキリギリスのイメージかしら」「どうでもいい・・・」
「いや!そこは重要なところだよ!この点をおろそかにしては全てが成り立たない!」
 
解答のない方程式のような声が延々と引き続くが、解析する余力もなかった。

 
 
 
 
「かんにんなぁ、アスカちゃん・・・・・どないなことを思い返してるんか、わからんけど・・・・」
 
 
金炎の壁を一撃したとたんに跳ね返るのは物理的反動ではなく、心理的な自縄自縛。
 
他者の侵入を防ぐにあたり長いあいだ練り込まれてきた古式の術というのはそこらへんが違う。ひとことでいえば、えげつない。単純な力で打ち破れるような単純な代物ではないのだ。足止めにふさわしい映像をでっちあげてその者に疑似体験させる映画ならぬ炎画。
 
 
おかげさまで、惣流アスカはそこから一歩も動けない。灰銀の薄野に立ち竦み、壁の向こうに進めない。その目は濁り、壁の向こうを見ていない。声も聞こえてはいない。
 
 
「とにかく、こっちに来たら、まだあかん。・・・・かっこようなくてもえぇ、生きてさえいてくれれば、それでえぇ」
 
地ですでに歌うような声が、祈った。息災に。からだをたいせつに。力の強大さに反して人の身体はあまりにはかない。いつか、娘も、どこぞの小才の利く小僧に似たようなことを、言っていた。
 
 
「なんかさっきと言ってることと、違わない?遠くない?逆じゃない?」
別にその地歌声に対抗したわけでもなかろう、とくにラップでもない隣の女が。基本、竹を割ったような性格のくせにこうも珍しく粘らしいのは。
 
 
「それは、殿御の場合だけやぁ」
いらんちょっかいだすから、受けんでもいい、古傷灼の苦痛を愛娘が受けている。むくれる程度ではすまないはずだが、相手の性格をよく承知しているから、その程度ですませる。
 
 
ほんとのほんとに来たいのであれば、もう、それはそれで
 
 
みたいなところがある。常識で考える、常考、のようなものは通じない。お腹におさめているもののせいもあろうが・・・・いや、昔っからだったか。そういう尺度のなさは。
ゲンドウはんを京都の闇から引きずり上げたのと同じ力の方向で。根の底に呼ぶのも。
 
 
こういうおなごなのだ。関わり合ってしまったら、もうそういうものだと受け入れるしかない。実際、ちょっと危なくはあった。炎の網組を少し厚めに変化させておいてよかった。ああいったドリル状態にすれば、あのおさな力でもこうも突破してくる・・・・
 
複雑な、心境だった。友人は、それを見越しているのだろう。いけず・・・・・
 
 
「うーん・・・・ここまでかな?いやいや・・・」興味深そうに壁の向こうの虚ろなアスカちゃんを見とるし。悪いおかんたちをかんにんしてな・・・・・複数形は間違いやない
 
 
じと目で睨むと、世紀の大泥棒にも盗めない金剛石の笑顔でかえしてきた。「ん?なに?」
つっこんだら、なんかとんでもないことを言われそうだ。
たまらないので、ごまかすために視線を上に上げる。
 
 
 
天を見上げる。そろそろだ。
 
元来は、来た川の道をそのまま戻らせようと思っていたが、迎えがあるならそれに越したことはない。というか、殿御ならそのくらいはやってほしいし、アスカちゃんにはそれくらいの値打ちは当然のことながらある。ゴールドの牛車やガラスの馬車とはいわないけど。
やった責任くらいはとってもらわないと、あきまへんなぁ・・・
 
 
「なぁ・・・シンジはん・・・?」
「ねえ、アスカちゃんが・・・・」
 
 
互いの子供の名を呼びかけるのと、
 
 
天に星ならぬ流れの輝きを確認するのと、
 
 
ぴし
 
ヒナがつついて卵の殻に亀裂がはいるような音が金炎の壁からしたのはほぼ同時。