「とにかく、あの女と縁が切れるなら、あたしはなんでもいい。あんたにつきあうよ」
 
 
姉はそう言って笑った。どう考えても笑える状況ではないのにかかわらず、笑顔を見せた。
そのことは、よく覚えている。
 
 
自分はその時、どう反応したのだろう。どんな顔を見せたのだろう。ユイ様を「あの女」呼ばわりしたことに抗議したかもしれないし、怒りの声をあげたかもしれない。
 
けれど。
 
もし、あの時その場で姉が笑いかけてくれねば自分に笑みを見せる人間は誰一人いない。
 
心が安んじた。
 
自分の言葉が受け入れられるとは思っていなかったから、余計に。
 
姉にはここを出る、という選択肢があった。”あの女”・・・つまりユイ様と確実に縁が切りたいのであれば、そうするべきだった。そうせざるをえない。ここに留まる以上、その縁は確実に続く。エヴァ・へルタースケルター。逃げるにはあまりにも重たい鎖がついたまま。笑顔と返答の内容は明らかに天逆矛盾していた。
 
 
まるで、この坂の街のように。
消え去ってしまうはずの、明るい影のような。
奇怪だけれどどこよりも愛しい、自分たちの故郷。
 
 
ずっと、ここにいる 誰がなんと言おうと
この海道を見る坂の地にとどまり続ける
 
 
「それはすぐに終わる」のだとユイ様たちは言った。
一言たりともこの奇跡を自慢し誇ることをしなかった、”そのようなものがいるとして”神の使いよりもその言葉を強く信じさせる人たち。真と偽を越え信じたいと願いたくなる。心の中に海を宿した、人の中の人、境界線にとらわれない自由に無限な空の住人、ほしのこえを代議する人類代表といったような。・・・・その内実が秘密の魔土菜園、隠れ実験場の三変人といった方が近かったとしても。明らかに都合の悪い光景にでくわし目撃されたにもかかわらず、消す、という方向に動かなかったのは。
 
 
だから、その言葉は本当なのだろう。嘘をつく必要がない。だから自分たちは怒られた。
とうに上映の終わった映画館から帰らない子供を叱る親のように。遠慮容赦なく。
この、奇跡に救われたはずの街は消えて沈む。いや、自分たちさえたまたまここに来ていなければ、この奇跡を認識する者はいなかった。ユイ様たちにとってはごく当たり前の結果なのだろう、この程度のことは。波が来て砂浜の城が呑み込まれて崩れるように。
 
 
あのひとたちのように、ユイ様のようになりたい
 
けれど、
 
あのひとたちのように、ユイ様のようになれない
 
そして、
 
あのひとたちのように、ユイ様のようになりたくない
 
 
これは誰が悪い、といった筋のものではないが、あのひとたちはここを故郷にしていない。
そう簡単に逃げ捨ててしまうことなどできない。自分たちの愚かさの根を理解することは、理解されることはないだろう。あれほどの力を持っていたとしても。とうとう。
 
それだけは、涙を流すほどに悔しい。けれど、それは誰が悪いわけでもなく落ち度などではない。姉にそんなことを言えば「田舎もんか、あんたは」と切り捨てられるに決まっているので口にはしない。たぶん、自分の器量がそこまでのことなのだろう。
 
恩義は全力でもって返すけれど、同じものを見て進む同族にはなれそうもない。
無力でも、子供でも、矜恃はある。あのひとたちは力のないものには本質的に非情だ。
異邦の実験者。王権も法も届かぬ人のおらぬ場所を選び正義の旗を焼き上げるような真似をした。裁く者、裁ける者がいないだけのことで。いわば、禁忌の扉の解錠者。
異端の悲哀、力のある者の孤独は理解しても。目にはいっていないようなところがある。
大雑把といえばそうなのだろう。
 
 
だから、黙っていた。
 
 
砕け散った孫六殲滅刀のかけらのことを。
 
 
その時はまだ、あのひとたち・・・・あのひと、ユイ様もおなじにんげんだと、
思っていたから
 
 
にんげんであること。その闇も消えていくような深淵をまだ、知らなかった。
 
 
「それなら・・・・」
 
 
姉の笑顔に自分は代わりに秘密を明かした。ユイ様たちには知らせなかった秘密を。
 
 
刀のかけらたちがまだ、”生きている”ことを。
 
自分の左眼に埋まり融合した殲滅刀の根幹部分の破片と同調しながら。おぼろげな記憶ではドクターバナナ冬月などはそれをなんとか防ごうと手を尽くしていたようだが、刀の生命力がそれに勝ったようだ。
 
刀に使用されたのは、およそまともな金属ではない・・・・今となっては同じものは誰にも、自分にも造れない。また造れたとしてもさして意味もない。
 
重要なのはそこに込められた”力”。非常に微細ではあるが、それが残っているということに忙しいあの人たちは気づかなかった。そんな塵芥、目にとまらなかったのだろう。
姉と異なり、才能のない自分と同様に。
 
力無き者として半ば放置されていた自分が名残の土を集めるようにして回収した刀の破片。はじめは自分も何かの役に立ちたくて始めた自己満足の暇つぶしであったが、ぴー助といっしょに回収にまわっていたある日、艮神社の大楠に突き刺さったこれまででも最長サイズの破片を抜き取った、はいいが、力が余って、ぶん、と振り抜いたその途端、そこが海になった。突如、目の前に黒い棺が立ちはだかりぱっくり開いて自分を呑み込んだかのように。海水よりも多く飲み込んだのは死のイメージ。奇跡を映していたスクリーンを切り裂き見えたのは壊滅した街。ふとしたことから気づいてしまった。ユイ様たちの言っていたことはほんとうで、破滅はとっくに自分たちを蹂躙し憎む間も与えずに去っていたことを。そして。
自分たちにもう一度正しく憎ませるように、それがもう一度繰り返されることを。
遅れていた自分たちの身の上にもそれは正確に降ってくる。
なるほど、確かに奇跡ではない。そんな残酷は日常茶飯事で。
あの人たちの言うことは正しかった。
 
 
どうしようもなく、どうしようもなく、左眼が痛んだ。目の奥が、燃えるように。
 
 
大人しく、己の器に従って、人間らしく、素直に恐怖し、手をひいておけばよかったのだろう。ここまで破壊されたものを蘇らせることはもはや不可能。廃棄するしかない。
過去を振り切り、新天地に向かうべきだったのかもしれない。
それがまっとうな人の道であるかもしれない。そこから外れて歩けるはずもなし。
身の程知らずは、やはり地獄をみるしかない。
この、左眼で。
 
 
このまま、見届けようと思った
 
 
瞬間
 
 
きしん、きしん、きしん、きしん、きしん、きしん、きしん、きしん、きしん・・・
 
 
軋みとともに変化が始まる。今まで回収してきた刀の破片一つ一つと自分の左眼が同調していく・・・大小形質ひとつとして同じものがないそれらとの同調・・・その森羅万象の輝きはまさしく複眼の万華鏡。数千プラス壱の視界を持つ者を人間と呼んでよいものか。
 
もはやそれは魔物と呼ぶのが適当ではないのか。だが、それを恐れない。
 
この欠片を集合させたものが発生させた因果に反する事象を目撃体験しておいて何を。
今更、と思った。同時に多重反射光が交差し、ひとつの神懸かりの想念を浮かび上がらせた。
 
 
もう一度
 
 
あのひとと同じことが、やれないだろうか・・・・・
 
 
頼んでも聞き入れられる願いではなく、ならば己で叶えるしかない。己で叶えられる力を持つに至れば、己が望む限り何度でもそれを繰り返すことができる・・・。
 
 
才ある者は才ある者を知る。
その才がそれほどの代物なのか、それを理解する才すら自分にはなかった。
 
 
正確には同じでなくともいい。ただこの「異常状況」を「固定常態化」できればいい。
それだけならだいぶ異能の力は少なくて済むのではないか・・・・・
 
 
それを基にした「計画」を口にした。それこそ笑われ呆れられてのみならず罵倒されるかと思ったが、姉は笑みを吹き消して「本気か」と、ただそれだけを問い、こちらも頷き返した。左眼と右眼、向かい合う双眼は同じものを見ていると、信じた。