かつてない倦怠感がある。
 
 
どれほど使徒戦でズタボロになろうが酷使されてされてもともと少ない体力が残り一滴ひとしずくしか残らないような有様になろうが、こんなうろたるさを覚えたことはない。
 
 
ざらさら
ざらさら
 
 
体のうちに蒼い流砂がある。それが思考から熱を奪い、動きを鈍くさせていく。停滞。
肉体の方はかつてないほどの好調さであり、呪いからもすでに解放されている。
力には満ちている。ただ、それを使う気には、それを用いる理由を、自分に対する許可を、それも何十もの許可を与えてようやく稼働するような面倒な、玄人にしか扱うことを許さない気難しやの機械・・・・・・
 
そんなものになったように、自分の体が硬く、重たい。ミニマム級からヘヴィ級に階級が跳ね上がり、機動力は失せたが、攻撃力と防御力は桁違いに増大している・・・・霊感のある人間ならそのように見えるかもしれない。己のこの相違に。
 
 
「急いで・・・・時間がない」
エヴァ初号機の左腕の切断などをこの状況下で命じる・・・・・越権がどうこういうよりもはや発狂であり乱心であろう。ただ、面と向かってこう言われた整備の棟梁、円谷エンショウは動かず答えずその赤い瞳をじいっとうかがっている。その本性をその本意を見抜くように。その白い少女。
 
 
なんともいえぬ、不気味な貫禄を備えるようになった綾波レイである。
 
 
足取り、振る舞いをみれば、その相手の体力度合いは分かる。ハッタリではないことも。
医療スタッフがつきそってきたが、もはや完全に不要であったので帰してしまっている。
衰弱した半死人の有様が、まだ一夜もあけておらぬうちに完全以上の復活を遂げている。
いくら子供の体力回復が旺盛でもこれほどは・・・・もともと丈夫ではないほうだだろう・・・・なにかおかしげな薬でも使いやがったかと判じたがそばの医者達が首ひねってたんだから世話はない。それ以上に、印象が異なる。別人かと思うほどに。
やけっぱち・・・というにはあまりに無表情なわけだが、なんとなしに、そう思う。
そして、同時に、目の前の子供が無上に真剣であることも。赤い瞳の中に相克がある。
 
 
真剣といえば、零号機があの使徒斬り日本刀、零鳳、初凰で鉾をぶった斬ろうとした瞬間、第二支部が突如として出現したことを思い出す。その出現を刹那に認知したから刀の軌道を歪めたのか・・・・・または、あらかじめ、それを知っていたのか・・・・予知予感だのを技術屋の棟梁を笑わない。縁起を担ぐなんてのはその最たるもの。その言葉に縁起を感じた。世の中には、どんなにばかげていても、それをやっておかないと大負けに負けること、ってえもんがある。それは機会やチャンスという華々しい羽織の裏生地。救いの手ってえのは人間の手のかたちをしていない。たぬきやきつねや、ばかされたような奇妙なかたちをしている。それゆえ、ぶん殴るのは勘弁しているが。それにしても、まあ、とんでもねえことを言ってくれたもんだ・・・・・。ケージ内の空気がキナ臭くなっていく。フルスピードで稼働していた職人の流れにいきなりブレーキをかけたようなもんだからな・・・・
 
 
発令所に問い合わせるのは簡単だが・・・・・・さて、どうしたもんか。エヴァ弐号機回収の報を聞きながら、棟梁はつるりとアゴをなでる。だが、今のこの調子じゃ縁起づいてても話を聞いてやるわけにはいかねえなあ・・・・・足りねえもんな、大事なもんがよ
てめえの意思が、目の色のどこにもねえ
 
 
 
綾波レイは
 
読心能力を使わずとも、自分の言葉に相手が簡単に従うかどうかくらいは分かる。
初号機の腕を落とせ、などと・・・無茶苦茶言ってるな、という自覚はあるのだ。
だが、理解はされずとも、それは必要なこと。
他人が理解する時が来た時はもうすでに遅い。
あれを、あれまで奪われるわけにはいかない。
 
 
ロンギヌスの槍
 
 
初号機の左腕に融合させて隠してある、使徒たちの主の血にまみれた必殺の毒槍
 
 
あれを、あれまで使徒に奪われた日には人類は破れる。あれだけは・・・・・・
たとえ、他の全てが奪われたとしても。
 
 
 
綾波レイが光馬天主堂から戻ってきたのは、音が聞こえたからである。
 
 
獰猛な目覚ましの音。引きずり出したエントリープラグを破壊せんとするオリビアの攻撃。
 
 
あのままいけば、弐号機パイロットが死ぬ・・・・・・その音を聞き、覚醒した。
 
 
場所は医務室のベッドの上。ニフの庭、霧島研究室ですらなく。戸惑いはない。呪いは消えており綾波の能力を全開すると現時点の状況は手に取るように理解した。
 
 
うつしよはゆめ、よるのゆめこそまこと 現世ハ夢、夜ノ夢コソ真実
 
 
実を言うと、その音のせいで夢は中途で終わってしまった。なんというか、そんなのありかよ!というところで打ち切られた。目覚めた自分は天上より下りるほかなく。
 
 
渚カヲル、レリエル、蒼青浄幻帥、明暗、ヨッドメロン、バルディエル、そして碇シンジ。
 
 
この連中がどえらいことになっているのに、最後まで見届けることなく、目が覚めてしまった・・・・・・。
 
あそこで何が起きたのか、誰に語ることもないだろう。・・・・・・くやしくなどない、感情はないのだから。
 
 
とはいえ、自分がでていかねばオリビアは止められない。弐号機パイロットの命と引き替えにしてでも続きをみるべきだったのか・・・判断はつかないが、目覚めたのだから自分の身体はそちらを選んだわけだ。身体は完全に生まれ変わったように復調している。急いでプラグスーツに着替えて零号機に乗り込もうとした矢先・・・・・弐号機パイロットは自力で反撃、発令所の一部で囁かれたオーバーロードで自己破壊、なんてわけでは決してない、いつぞや学校で火災を発生させたように、オリビアを焼いたのだろう。その勢いでSPAWNロボも破壊、なんというか、出る幕がない。もちろん、感情はないのだから腹など立たない。誰か、頼むからあの子を助けてくれ、という声を聞き、身体の方で勝手に目が覚めただけなのだから、怒る筋合いではない。いや、弐号機がバルディエルの誘いに乗ったことは怒るべきか。義憤を感じるべきか・・・・・助ける予定の弐号機と今度はことを構えねばならぬことに・・・・憂鬱など感じない。感情はないのだ。やりきれない、とも思わない。必要であるからやるだけだ。使徒は殲滅する。使徒の手下に成り下がったエヴァも同様。・・・・、と思っていたら、突如、憑き物が、使徒侵食が文字通りに消えてしまい、弐号機は弐号機に、惣流アスカのコントロールを取り戻した。感知するに、その絡繰りを知った今なら分かる、ここら一帯に蜘蛛の糸のように張ってあったバルディエル誘導体のラインが消失していた。詳しいことは零号機に搭乗して能力拡大をかけてみないと分からないが、何者かが動いたか。・・・・・・つくづく、自分が慌てて帰ってくることはなかったなあ、と後悔することも・・・・ない。ただ、これから必要になることを判断し行うだけである。それは、義務感。人として、エヴァのパイロットとして、ネルフのチルドレンとしての義務の履行。たとえ妨害されようと危険視されようとあとで疎外されようとやらねばならぬこと。
 
 
 
碇シンジは、第三新東京市に、この街に、戻ってこない。
 
 
 
これだけは確実にいえる。希望でも予感でもない。あの碇シンジは、もう戻ってこない。
 
 
未来は現在を変身させてしまった。やはり、自分はあの二人に届かなかった。対応できなかった対峙できなかった。できることなら、もう一度・・・・・だが、時はすでに過ぎて。
 
 
それを思いて
 
 
かつてない倦怠感がある。それを喪失感、と呼ぶのは感情の仕業。
 
 
円谷エンショウが見抜いたとおり、今の綾波レイには他を圧倒する存在感、いわゆる貫禄や死にぞこなっているのを十全以上に五割掛けして復活させたイザナギ的生命力があっても、意思がない。馴染みの者が覚える違和感の正体もまさしくそれ。意思のある綾波レイはわりあいに無茶をやる。この初号機左腕切断、もその意思から発したものであれば、とっくのとうに能力を発動させてやらせていただろう。誰の影響か、けっこう非道であるが。やるときはやるのである。第二支部の降下のこともある。時間もない。
 
 
が、こうやって強く言葉に出してはみたものの・・・・・・実のところ、いまいちやる気が出ない。この風雲急を告げる事態にずいぶんと不真面目な表現ではあるが、事実そうなのだから仕方がない。事態の扉を開けるも閉じるもおもうままのキーパーソンである自覚もあるが、どうにも。疲労ではない。この状況をどうにかできたからといって、それがどうした、と思ってしまうのだ。最強の使徒を誕生させた代償として、第二支部は人類の手に戻る。この夜の出来事は、要するにそれだけのことだ。それから先はどうなる?
 
 
初号機の左腕を解封してロンギヌスの槍化し、それをもって自分が来襲する使徒と戦い続けるのか・・・・それが未来の展望なのか・・・・・やるしかないやるべきこと
 
 
だが、やる気が起きない。感情がない、というのはこういうことか・・・・動けなくなる。
自分の中に熱量が失せている。さながら死んだ宇宙のように。
 
弐号機パイロットは結局、自分で自分を救っているし、どうにも再登場時に燃え損ねた。
自分の中にすでに音はなく、声も消えている。
 
義務感だけで鉄人形アンドロ軍団のようにガッチョンガッチョン無敵に動けると思っていたが、どうも間違った。
 
 
からっぽだ。
 
 
誰かに命令してもらわないと、動くこともままならない。誰か、自分の上に、上位命令者をおかないと。短絡する思考は安易に結論を出す。時間はないのでそれはそれで正解であるが、いかんせん、彼女より事情をわきまえたそんな便利な指揮者などそうほいほいいるわけではないし、一度その立場に慣れてしまえばずっとそこから抜け出せなくなる。
道具であるということ。それを自分に望む者がこの業界にどれほどいるか。
しんこうべの祖母が、綾波党の者たちが知れば激怒し悲しむだろう。だけど。
 
碇司令・・・・・
 
碇ゲンドウの不在がやはり響く。
 
 
渚カヲルのあのときの言葉の意味を今更分かっても遅いのだが。綾波レイは呆然としている。完全として在り。意思、それだけを欠いて。それは混沌の都において唯一といってよい正しい先読み。だが、その姿と言葉が人の心を動かすことはない。
 
最必要でありながら、それを完遂できない自分に、呆然とする。
 
意思があるなら、そも人に頼らず黙って零号機に乗り、そのまま初号機に近寄り左腕を「もいで」、残らせ、それから地上に上がってこの夜を終わらせただろう。
 
 
 
ゼルエルの鉾
 
 
 
人々がその名を知る前に。
 
 
やらねば、ならないのに、力がでない。力は、ある。生まれ変わり新品の身体を与えられたように、古皮を脱ぎ捨てて新たな甲羅を得たように、満ちている。だが、力を発するための意識から世界につながる門がかたく閉じてしまっている。自分という領地から一歩も出たくない、出る気になれない。門の外で火事だろうと嵐だろうと戦争だろうと関わりたくない。今更出遅れた過去の性の自分が出て行こうと何が起こるわけでも変わるわけでもない・・・・・上位者の命令でもあれば渋々でも動きもしようが・・・・億劫。思っていた以上に、自分が理屈や大儀より感情で動く人間であった。だが、代償としてそれを支払ってしまった以上、どうしようもない。人魚姫のよう、と己を憐れむこともなく。一切の無私透徹ガラスのようになれど脆い声で他者とつながらぬ綾波レイは呆然としている。
 
 
 
そこに、声がかかった。
 
 
 
円谷エンショウでも、他の整備の者でも、葛城ミサトや発令所の者でも、エントリープラグから飛び降りた惣流アスカでもない。ここにいるはずのない、ここにいるはずのない、存在の声・・・・・幻聴であろうが、その単語は聞き捨てることができなかった。
 
 
”母上”
 
 
自分に向けられたその声の主をさがして、赤い瞳は絢爛に照明が強いケージの、そこだけなぜかぼんやりと薄暗い一角にとまる。そこに、小さな人影がある。海の色を装った、それの瞳も赤く。
 
 
そして、小さな人影は、続けて、綾波レイにしか聞こえぬ声で、なにか、いった。
 
 

 
 
いつのまにか天王山をこえていたのだろうか、と、いいかげん夜が明けてくる時分になって葛城ミサトは笑えてくる膝をなんとか踏ん張りながら思った。これは災厄であったのか。それとも・・・・ほのかに別の単語が浮かんでくるくらいに、発令所は静かになっている。
戦闘がひとまず終結したことがある。
 
 
N2沼からの使徒ロボの反応が完全に消失した。現地でのJA連合時田氏による真・JAの後弐号機救助作業も成功、使徒ロボに押しつぶされて爆発、せめてエントリープラグ、操縦者の身柄は・・・と思っていたところに機体まるまる発見回収、いちおう充電した上で指定地域から離脱・・・・ということで、かなりでかい借りになった。
 
「エヴァを発見する途中に、ロボットを召還し汚染使役している様子の使徒を見かけましたので、”ちょいと”倒しておきましたよ。はははは・・・」
などとぬかすが真偽のほどはわからない。似合わぬ硬い笑いと顔を見るに、それは誤魔化しであることは分かったが。あまり詳しく聞ける立場でもない。エヴァ弐号機を回収し、零号機が地上にあがる空白時間を、電気騎士エリックとレプレツェンがこの都市の警備にあたっていることを思うと・・・・まさしく腹切りものの借りだった。首斬られて腹もか・・・カランバだねえ、と。沼で姿を消した参号機の消息を掴んだかどうかも問いたかったが喉まででかかるが、できなかった。から笑いする時田氏の表情からするに、ずいぶんと悲惨な、第二東京で零号機だけが残ったような、あんなろくでもないことが起き、それを直視したのだろう。みなければよかったような光景を。あの沼でなにがあったのか。
白い爆炎の壁が失せて今は状況がここからでも見てとれるが、窺わすようなものはない。もう終わったことなのだろう。
 
 
誰かが使徒ロボの発生原因を叩いて潰した。それなら、それでいい。
 
 
エヴァ参号機、黒羅羅・明暗の反応は、ない。
エヴァ初号機、専属操縦者、碇シンジと同じように。
 
 
真・JAと胴体部に損傷のある後弐号機は共に、正確には騎馬となった真・JAに後弐号機が乗せられて・・・こちらに向かっている。パイロットであるA・V・Thは無傷。ギルはマイスターカウフマンへ報告中だとかでこちらの通信には応じてくれないが・・・。
退避のタイミングを逃してまでそこに留まった理由を聞きたかったが・・・・おそらくは。「・・・・明暗を探していたの・・・・?」だとすれば、かける言葉など。ない。
 
 
極悪レスラーもびっくりの天風引き連れて出現した、不法乱入者であるところのエヴァ竜号機は第二支部をあっさり飛び越し上空を何回かぐるぐるまわっていたかと思うと、「え?」驚くほどあっけなく、第二支部着地に成功してしまった。通常の航空機では近寄ることもできぬ力場をものともせずに。そこいらへん、さすがは絶対領域を操るエヴァである。これで意思の疎通、というかこちらに協力的であってくれさえすれば、贅沢はいいません、最高、なのだが。弐号機に肉厚短刀をよこして以来、冬月副司令の懸命必死の呼びかけにもかかわらず、完全黙殺。あくまで自己の目的を果たすだけ、のつもりらしい。
その態度にちょっと正義のパンチをぶちかましてやりたくなるが、あいにくタイガーではなく、ドラゴンだし。「・・・・・・もしかして、虎号機とかもあるとか?ツリ目の男の子が乗ってたりして」この期に及んで冗談ごとではない。一応、そんなのに追い打ちをかけられないたまらんので、心の準備をするつもりで聞いたのに、リツコ博士に死ぬほど睨まれた。なんか、心臓にズクッときますねえ。
 
 
で、その着地の衝撃で第二支部の降下速度が増したりした日には、もうそんなことを言うてる余裕など当然ないわけだが・・・・・・「進路方向、安定しています。N2沼へ時速10キロで移動中」「天眼とのアクセス正常、誘導計算その他問題なしです」・・・・・オペレータの報告とおり、N2沼から使徒の反応が消えるのと同時に鉾内部の天眼が動き出し、その計測計算能力をもってN2沼を指し示した。それに伴い鉾内部の機構にも変化が生じて、降下していた第二支部がゆっくりと、耕耘機ほどの速度で、しかし、確かに、真下への降下をやめ、横方向への浮遊移動を開始した。その方向はN2沼・・・・・そこにうまく降りてくれるかどうかはまだ分からないが、そのまま地球をぐるりと一周してくるかもしれないが・・・天眼はこの超巨大物体を目標地点に降ろすラインを算出している。加速と減速を奇妙なリズムで繰り返す、その一定しない速度が不安であり、鉾と第二支部の浮遊、あえていうなら突然の出現も、それらの因果関係が証明されたわけではないが・・・降下を止めた、という事実は圧死寸前の精神重圧からスタッフを解放する。ここで気を抜く未熟者は発令所にはいないが、人間はそう何種類ものストレスに同時に耐えるようには出来ていない。鉾もいいかげん巨大だが、それとは比較にならぬほどでかい、空の山とも浮かぶ島ともいっていいエヴァを収める建築物だってある第二支部を、どうやって鉾内部の機構が浮かばせているのか・・・因果を解明するのが仕事の科学者の悩みどころ。ただの初号機専用の巨大電池などでは、なかったのか・・・それとも、鉾はとくに関係ないのか。浮遊には他の要因があるのか・・・・赤木博士はそれを見抜くのが仕事であるのだが、
 
 
事ここに至れば、もはや赤木リツコ博士の頭にあるのは、第二支部の「移動速度」と「落下時の衝撃度」のことだけ。それらによるN2沼に着陸時における人体の破壊具合を算出したい・・、とこう言うとなんだかプリンおいちいマッドだが、第二支部の中にいるであろう者たちの人命について心配しているのだ、とすると、とてもいいひとのよう。そして、頭の中でパーセンテージを弾いている。どれだけの数が”運良く”生き延びるか・・・・飛行機の墜落を考えてみればいい、身体を座席に固定させていても、落ちればたいていの人間はそのまま。第二支部がどういった状態で浮遊しているのか分からぬ以上、推察以上のことはできないが・・・睡眠中に巨大地震に襲撃されるようなものだろうか・・・・・・鳥の羽のように、ふわりとなんの衝撃を感じさせることもなく、嘘のように、宇宙船のように静かに柔らかく、着地することを、できることを願ってやまない・・・・あの巨大質量を浮かすだけでもオーバーテクノロジーもいいところだが、それを内部にダメージなく着地しろ、というのはかなり無理なお願いであろう。誰にお願いすればいいのか分からないくらいの難題。
 
もし、万が一、カラカラに乾涸らびたミイラ市場状態で、どすん、などと強い衝撃が加えられたら・・・もう死んでいる場合、それはいいじゃないの、ということにはならない。それは思考実験としてあげてみただけで、第二支部のスタッフ達は生きているに決まっている。一面のお花砂畑なんて、冗談じゃない。
 
そう決めた。
 
ゆえに、なんとか、皆、骨折くらいですむ、複雑骨折くらいでも許容する、それくらいの衝撃で降りてくれないだろうか。ためしに着陸時、N2沼でどれほどのエネルギーが発生するのかマギで予測してみると・・・・・とてもじゃないが皆に見せられるもんじゃない数値が出た。ためしに伊吹マヤにこっそりみせてみたら当人が昇天しかけた。移動と浮遊の相殺点が読めない。天眼もそこまで読んでいないようである。速度が一定しないのだから無理もないか。鉾内部の機構・・・・そこに放電のみならず重力兵器としての機能があることを確認すれば話は早いのだが、まだそこまで至ってはいない。神に至ろうとした塔のように、凡人が束になって駆け上がろうとしてもそれを阻む・・・・鉾。碇シンジの私物であるから今まで遠慮があって詳細に調査しなかったことが悔やまれるが、どのみち、分からなかったような気もする。材質からして尋常ならざるものを使用している。
第二支部の内部の様子が分かれば・・・・・・臍を噛む。それをやすやすとやってのけたあの竜が恨めしかった。零号機と弐号機にも翼があれば・・・・・・妄想であるが、かなり本気になって考える赤木博士であった。
 
 
 
「・・・そういや、零号機はまだ搭乗しないの?機体にトラブルでもあった?」
葛城ミサトが綾波レイの出撃の遅さを不審に思い日向マコトに問う。
 
「それとも・・・・・・やっぱ、ちょっと無理だった・・・とか?」
 
もともと弱り切っていたのを出撃させてしまい、精魂根折れ尽きるような有様になってこれ以上使ったら死ぬ、ということでもう思考の埒外に出しておいた零号機綾波レイであるが、一体どういうことか、むくり、と不死身の吸血鬼のように起きあがったと思ったら「わたしが出撃します」と医務室をさっさと抜け出して通信をいれてきた。一瞬、霊界通信着信アリかと思ったが、多少の違和感を感じさせるが確かに当人で、元気になっている。
この場合の元気、とは、別人のように生命力に満ちている、ということだ。その声も。
 
 
あれほどの火傷を完治させて現れたアスカと同じ・・・・・・この夜は
 
 
奇妙なことがありすぎた。生と死との境界線がグネグネとうねりでもしたのか?ゆえに、命が奇妙な形で踊るのか?治癒速度を何倍にも加速するティールナ・ヌォーグ。
 
 
弐号機があれだけズタボロにやられて引っ込んだ後、零号機はどうしても必要になる。
シンジ君が戻ってこない・・・・・から、初号機は使えない。
自分でたてた誓いを破るような格好になるが、零号機に出陣願った。いまさら竜号機とやりあえ、などとは言わない。ただ、このまま終わるとも思えない。どうしても。
杞憂であればいいが。天が落ちると心配した男の気持ち・・・・今のあたしにはよくわかるなあ。
 
「武装についての打ち合わせだったようですね・・・・・零号機、搭乗開始しました」
整備の棟梁からの返答を当然であるがまともに受けて、そのまま伝える日向マコト。
 
「武装について・・・・・ふーん、なるほど」
深読みをすれば、刀の件のようにも聞こえる。なるほど、レイらしい。他に優先して考えねばならぬことのある葛城ミサトはそれ以上は気にとめなかった。時田氏とアスカ、この二人と本腰をいれて話をせねばならないし。副司令のおかげで、そのために動ける。
 
 
役者がそろってきたけど、やはり足りない。明暗とシンジ君・・・・碇司令はもう今夜は間に合わないだろうから、除外と。幽閉されてるだけで所在は知れてるわけだし。
あの二人がここに戻ってこない分には・・・・・どうにも。勝ったとも終わったとも言えない。ずるずると引きずるようなことにはなりたくない。ズバッと片付けたいもんだけど。どっちもズバッと解決じゃなくて、ズバッと退出しやがって・・・・・・・
帰ってきたらただじゃおかない。気が済むまで三日くらいはさんざあちこち連れ回してやる。天地が揺れるこの大一番にどっちも高みの見物きめこむようなタマタマじゃあない、どこか・・・遠い、別のところで戦っているに違いない。そのケリがつくまではこっちが苦戦してようが戻れないのだ。たぶん、きっとそうだ。人のために。負けられない逃げられない戦いをしているのだ。子供を五人も殺しかけといて言えた義理じゃないけど。そんな自分じゃ御利益なんかつかないかもしれないけど。
 
 
どうか・・・
どうか、あの子たちが無事でありますよう
 
 

 
 
 
「・・・・・・よし、分かった。お前さんの言うとおりにしてやろう」
 
 
赤い瞳の催眠能力を使ったわけでもなく、こちらの言が受け入れられたのは不思議だった。
 
「だがまあ、正味の話、この現状で大ノコギリもってきて初号機の左腕をギコギコ切っちまうてえワケにはいかねえ。そら、発令所からすぐ差し止めくらわあな。やり口の方法からしても、そう簡単に近寄れるもんでもねえ・・・切断作業、なんて悠長な仕事は正直、できねえよ」
 
ただの誤魔化しでもこちらを諦めさせるための回りくどい説得でもない。
この整備の棟梁はやる、と言った。
 
「いささか乱暴な・・・・機体の点検ふりして肘のあたりに爆薬しかけて・・・・爆砕して”千切る”ってことになる。・・・・それでもいいか」
その目はすでに覚悟を決めきった者の目。整備の者が自ら、それもこの危急の折りに、発令所からの指示もなく、今まで医務室にいた半死人の小娘の言葉に従って、機体を損壊しようと・・・・・それが一体どういうことであるのか。綾波レイには分からなかった。分かる、などととてもこの目の前で言えたものではなかった。自分の言葉をなぜ受けてくれたのかそれさえも分からないのに。能力を使えば相手の真意は分かるはず。けれど、憚られた。ただ、頷く。実際、この状況で行うならそれしかあるまい。実務者の発想だ。
 
「そのタイミングは、お前さんに一任する。いい、と判断したときにスイッチをいれればいい。線は零号機と繋いでおく」
円谷エンショウのその目がなければ、”こなれた”安全装置だと思っただろう。この狂った願いを受けなければ出撃を拒否するかもしれぬ、という腹があるのだ、とみていただろう。この電波娘の考えが読めないが、とりあえずそうやって一段落、オンオフをいれておけば、そのまま、オフにしたまま事が済んで、電波娘のお熱も下がっているだろう、という読みが相手に存在すると、誤解したかもしれない。葛城ミサトもこの話を聞けばもしかしたらこのような腹芸を用いるかも知れない。その場合は、最後の最後に導火線の火は消えることだろう。
 
 
だが、整備の棟梁は違う。そのスイッチは押される、押されぬまま終わることはない、必ず入れられることを承知している。まとも、ではない。この時点でこの話は気が触れた人間の妄想以外の何ものでもない。なぜ、初号機?なぜ左腕?なぜこんな緊急時に?疑問は掃いて捨てるほど出てくるだろうが、それがなぜ必要なのか?なんの意味があるのか?理解されるはずもない。自分で言っておきながら、それは分かっている。自分を先ほどまで包囲していた流砂のような疲労感は消え去っているが、こんな無茶を聞いてもらう希望とアテのなさはまた格別。強引に相手を支配して実行させるのはたやすいが、実務に疎い自分では棟梁が言ったようなことは思い浮かびもしない。知識と知恵はちがうもの。
いたずらに整備の人員を感電死させていたか、それとももはや望みを繋げず零号機単独でやっていたか。あの時は鉾を切断するところをしなかったが、今度はその逆。真逆。
 
 
これは、ネルフにとって、人にとって、必要なこと。だが、それが判明するのは先のこと。
 
 
今、自分以外の何者もそれを知ることはないというのに、なぜ、目の前のこの人物は自分を信じて、このことを成そうというのか。零号機の操縦者が発狂した、と通報されてもおかしくない。それとも、発狂したのは整備の棟梁で、たまたま突発性アルツハイマーで脳の血巡りがおかしくなっていて、その悪魔にサービスされたような地獄のような幸運を喜ぶべきなのか。それをやれば、それが機関にとって正解であろうと、罪となる。その職を辞することになるだろう。
自分は、残酷なことを口にした。なんの代償も保証もなく、飛び降りろ、と。
 
 
より実効的な手段を聞いたからには、もはや零号機での直接行動、という下策はとれない。感情のない頭は判断する。感謝の言葉もなく、代わりに口から出るのは確認。
 
「作業員から発令所へこのことが漏れるということはありませんか」
 
 
それでも棟梁は気を悪くした様子もなく「それはねえな。それに・・・いきなりそんな突拍子もない報告されても誰が信じるかい。諜者が潜り込んでやるってならもっと早くやってるだろうさ。今夜はうってつけの夜だが、それももう明ける」
 
 
「それなら・・・・・あなたはなぜ」
信じてくれたのですか、と問う前に
 
 
 
「それで・・・碇の坊は戻ってくるのかい」
 
 
先手をとられた。同時に軽い理解も得られる。なるほど、初陣で彼が消えて、左腕だけが残された「故事」に習おうとしているのか、と。人の技の及ばぬ神秘に対して縁起を担ごうとしているのか。・・・・・・そのわりには、整備の棟梁の目に期待はない。そのような儚げなものを欲してはいない。その問い、その目は他のものを求めていた。が、感情のない綾波レイはそれに対して応えようとは思えず。ただ、自分のあるがままに答える。
 
 
「戻っては、こないと思います。ただ私は、私の未来に有効な手段をとるだけです」
 
 
あの時。彼は、碇シンジは天上で、エヴァ初号機を、呼んだ。
彼の求めに応じ、彼の機体、エヴァ初号機は、天に届くだろう。
かれのものをかれが呼んだのだ。最強の福音を。誰がとめられるだろう。
 
 
同様に
 
 
自分の未来を自分で守ろうというのだ。疲労している場合ではない。
体内の蒼い流砂はすでに消えている。上位命令者も必要なかった。からっぽだと認識するほど自分の存在は閉じていない。感情という魂の水分がなくなりこの先生きるのにかなり不自由するだろうが、乾いても、それでも道を見失うことだけはない。
 
 
碇の親子が、あの家族がこの都市からいなくなっても、自分は戦える。
 
自分が護る。
 
未来は一足に飛べるものでもなく、とぎれずに道をゆくもの。今しばらくの未来はこの都市にある。いつまでかは分からないが。とりあえずは、道が消えないように、護らねば。
使徒に踏み荒らされれば、道が消える。自分の道は他の人間より細いようだけれど。
 
それでも
 
 
おそらく幻影にはちがいないあの小さな人影のちいさな一言で、こうも晴れるとは我ながら単純なものである。だが複雑に人を迷わせる森のような感情はもうないのだから。
それで、十分。道の導にはそれで十分。とりあえず、あの人影のもっとよく見える場所へいこう。そこまでいこう。
 
 
人のために
 
 
決してそれだけではないというのに、なぜ人が動いてくれるのか。反対すべき項目はいくらでもあげられるだろう。この言葉を容れる理由、説得材料すらなかったというのに。
知りたい、というのは感情では、ないようだ。また別の脳の働きらしい。話がついた以上、早々に零号機に乗り込むべきところを、ふと別れた足を止め、問うてみる。「なぜ・・」返答はあまり期待していなかった。映画なんかだと、ここで自分が死んだ孫娘に似ていたりするのだが・・・・遺伝子的にそれはありえそうもないから公私混同ですらない。
 
 
「お前さんの目に完成図が透けて見えるからだ」と棟梁は答えた。最初はてめえ勝手な”お任せハンドル”でなにいってやがるとどうも聞く気になれなかったが、話の途中で別人みたいに急にな、見えてきたんだと余計なことは加えず。だから言うことを聞く気になったと。えらく実務的だった。だが言葉にも思念にもならぬ、けれどここ一番で自分が最も見てほしいものを見てくれた。叫びも泣きもせぬこの無情の佇まいから。見抜いてくれた。代わりがいないものを匠、というがこの人はまさしくそれだと綾波レイは思った。そして、この一件のゆえに、特務機関ネルフはこの人物を失うことになる。縁切り。