「なまえ・・・・・?」
 
 
肝心要のいいところで足止めをくらっていた惣流アスカたちがこの間、手をこまねいて碇シンジのレンズ盗聴通信に耳を傾けるだけ、というと、そうわけではなかった。その間、ひなゆきせ撃破のための方策を練り実行にうつすべく着々と行動してはいたのだ。未だなまえのない銀鉄に「真名」を与えることで生まれる”命名火(ゴダイゴ)”なる超新星的エネルギーを用いて吹雪の結界を突破する・・・・・ただ、銀鉄管理局の許可と認定資格者の立ち会いなしにそれをやれば列車の「格」はガクンと下がる。その命名火をもって次なる新しい銀鉄の基礎を製造するというのだと。・・・・部外者には百年説明されても分かる話ではない。あえて単純に言おう。同僚から尊敬されたいかバカにされたいか、どちらか選べといわれれば当然、前者であろう・・・・・”そういう”事だ。
 
後継を持つ車体と持たぬ車体・・・寂しさはどちらが強いか。
 
その手段を聞かされた惣流アスカの表情が凍りつく。
 
そのあたり、長い葛藤があってしかるべきなのだが、運転手のヤニとススキノ、車掌のマサムネはずいぶんと早く決断を下した。「走行を再開すべし、一秒でも早く」と。あらかじめ降車するよう告げられていた乗務員、阿比留と歓喜も特に異議を唱えない。賢翁は賢翁でさすがにこれはやりすぎだと思ったものか、「トシと話さしてぐる」と妹であるひなゆきせの車掌に連絡すべく駅舎の事務室の方へ行っていた。
 
 
・・・・・臨時駅よりここまで。荒い、というのもなまやさしい無茶な行程を走ってくれたこの最新式の銀鉄がかわいくない、どうでもいいわけでは、ない。決して。それに値する性能を、信頼性を示したこの列車には出来うる限りの与えうる限りの格付けをしてやりたい・・・。
その気持ちはエヴァ弐号機に搭乗する惣流アスカにも痛いほどよく分かる。ゆえに「やれるんだったらさっさとやりなさいよ!」などとは口が裂けてもいえなかった。
 
 
ただ。
 
「銀鉄はこれからも走り続ける。乗客を降ろした後も繰り返し、何度でも。オレ達は構わない。ただ、乗客にとってはその旅は一度きりのもので、銀鉄に乗りながら目的の地に辿り着かないと言うのならば、ここまでの軌動の一切が無駄だったという話になる。
オレは・・・・この列車に一ミリたりとて無駄な軌道はさせたくない。その走りが無駄なものだったとこの宇宙の何者にも言わせたくない」
 
 
ヤニが皆の感情を統合し(一部削除し)代弁した。ぶっきらぼうだが、まとめ方がやはりうまい。碇シンジの安否に触れそうで触れない所など非常にうまい。
 
 
「名前を考えておいてくれ。オレたちは列車の名容作業に入る。・・・・通信を聞きながらでかまわないが、なるべく・・・・良い名をな」
 
「え・・・」
ヤニたちは駅舎倉庫から防寒着をそびき出すと着替えて列車の方へ。「さ、寒いのよ〜、作業なんか出来ないのよ〜!」嫌がるマサムネを引きずり歓喜、阿比留たちまで行ってしまうから残るは相変わらずコタツから出ないペトロのみ。
 
 
「寒い、寒い・・・」置かれた携帯端末からは碇シンジの貧乏くさい独り言がつづく。
こいつが扉さえ開けてしまえば・・・・・そんなことさせずにすむ・・・・・心乱れる。
 
 
「あいつら、おかしいのだ」ペトロの呟きに無言でコタツに
 
ケリ
 
をいれる惣流アスカ。
 
「にゃっ!!んてことをするのだ!!今度同じことをやったら・・・・」ずれそうになるコタツ布団を必死に内部からおさえて怒るペトロだが・・・・
 
 
「・・・・・ひっくりかえされたい?」
 
 
「・・・・・なんでもないのだ。おとなしくしてるのだ」
惣流アスカの脅しに一秒で屈する護線官。
 
 
 
「・・・・・名前、か・・・・」
耳では聞こえてくる碇シンジの動向に注意し、頭では考え得る限り最高の列車名を求める2方向で脳を使う惣流アスカ。これはこれでかなり厄介な作業である。ちなみに、惣流アスカのネーミングセンスは・・・・本人にのみウケる、というやつであまり評判が良くない。さすがのヤニも特務機関ネルフ内でのそんな彼女の評判まで知りはしない。
 
 
「命名を客にまかすなんて・・・・そんなの、ありえないのだ」
こりない性格なのか、コタツの中からぽそっとペトロが言ってくるのを
 
 
「・・・分かってるわよ、そんなの」分かっている惣流アスカは蹴らない。
 
それでも、腹案があるにしろ、現在必死で作業中の者より、願うための時間をもっている者が考えた方がまだいいのだろう。この先、幸あれ無事であれ、と願いを込める時間をもつ者こそが・・・・ふさわしい、と。ここから列車の方を見てみりゃ、作業どころか雪中行軍訓練しているようにしか見えない。狙いが分からないにせよ、ひなゆきせにしてみれば列車にとりつこうとする者には妨害あるのみで、吹雪で打擲くらいのことはやってくる。逃げ戻ろうとするデブ猫を歓喜が足ひっかけて抑えつける光景がなんとも涙をさそう。
 
 
考えつく最上級の列車名と
 
 
扉へ向かった碇シンジの動向を
 
 
求めながら、時が過ぎてゆく。駅舎内の古びた柱時計が無情に惣流アスカを見やる。
猛吹雪はおさまらない。扉は未だ閉じたままで、天上切符を持つ何者かは碇シンジを待ち続け、碇シンジはそこへ向けてウネグネと歩き続け、賢翁は妹の車掌に事情を聞き、ヤニたちはなまえのない銀鉄に名前を与える作業を続けて、ペトロはコタツで丸くなり、惣流アスカは
 
 
 
・・・・・ファースト
 
 
ふいに、その名に思い至った。ファーストチルドレン、綾波レイ。
 
誰が、扉の前で待っているのかを。ふいに悟った。未来への創造と現在の追跡と脳は2方向の仕事で忙殺しているはずなのに。奇妙なことに三方向めの仕事が最も早かった。閃き。”サード”、奇怪と言い換えて良い。それは、過去から。地上においてきたはずのもの。
もう一人、天上切符を持つ、その資格がある、渚カヲルに直々に招かれ呼ばれる、彼の少年と同族の気配をもつ少女。どうやったのかは知らない、どういう行程を経れば先回りできるのか、知ったことではない、けれど、確信がある。それしか、ない。
 
 
もともと切符は二枚あり、「どういうわけか」ファーストの手には渡らなかった。
・・・・賭けてもいい、先に手にいれたシンジの奴が”隠匿”したのだ。そういう奴だ。
彼女の分は、渡さなかった。・・・・それを落として鈴原の手に入ってしまった・・・・
紆余曲折はあったものの、結局、そのもう一枚は地上へ戻って・・・・・
 
 
「はあ?綾波、この切符、もともとお前んだったんかい。ほーか、そんなら返さんわけにもいかんのー、今まではこれこれしかじかで、こうすれば銀鉄とかいう列車にのっけてもらえるわけやー、気いつけてな」
 
セリフがこんなあっけらかんとしていたわけでもなかろうが、だいたいこんな調子で、ファーストとなぜか会った鈴原が・・・・・切符を持つべき者に「返却」する。
かなり苦しい想像で、使徒来襲ではないといえ明暗と参号機一体という状況であの子が動くか・・・帰った後で検証してみないとどうにもはっきりしないが、これを前提として考えを進めると・・・・・
 
 
あとは、ひなゆきせに切符を使って乗り込んだファーストはそのまま、なんのトラブルもなく夏への扉まで。瞳の色が片方蒼とかいうのも、こっちのレンズに相当するものか強い光に目をやられない保護コンタクトのようなものかもしれない。ネコが立って話してたりするのに慣れた先入観だ。シンジの言うとおり、こっちは寄り道しまくったわけだし。必ず立ち寄るはずのここでこんなまねをした、ということは・・・・・光馬天使駅に行くつもりはない、もしくは碇シンジには行かせるつもりはない、ここで最新式の列車を奪って自分だけ、渚カヲルのもとへ行くつもり・・・・または、端からこれをただの夢だと認識していて、ただ第三新東京市、自分たちの任地へ引き戻すことだけを考えている・・・・
いくつかパターンが考えられるが・・・・・駅舎を出る前にシンジが呟いていたこと、出ていった後の盗聴独り言を加味すると・・・・
 
 
「仲良く、三人でいきましょう・・・・・・・・てなことにはなりそうもないわね」
 
この問答無用のやり口からするに、完全に自分たちを屈服させたあげくにひなゆきせに乗せて地上に送り返そうというところだろう。光馬天使駅にたどり着けるのは、その性能をもつものは銀鉄広しといえど、最新式のこのなまえのない銀鉄の他にはない、らしいし。
それを壊れてもかまわぬような荒っぽいやり方で止めて、なおかつ武装列車まで強制借りしていったのは・・・・これ以上旅をする者の思考ではない。
 
 
それに・・・・・向こうからすれば、こっちの動向こそ、異常なのだろうし。
使徒に誘惑、騙され誑かされ拐かされている、と見たとしてもおかしくない。
 
 
そうなると・・・・・扉の前で待ち受けるファーストと、ビビリながらもしょうがないからそこに行く碇シンジが会えばどうなるか・・・・・つまり、一対一(タイマン)、おそらく狙いはシンジの持つ天上切符、それを取り上げて完全にこっちの思惑を潰す、ということになるが・・・・・
 
 
「・・・・・勝てないわね・・・」
 
 
極悪だの怪物だの言われても、碇シンジが綾波レイに勝てるわけがない。少しは怒りに膨れていても会った瞬間に熱気が抜けて凝縮することまちがいない。その勝率は・・・・・勝利する光景が想像すらできない・・・・それは零より悪いこと。完全なる制御役。
 
それゆえのファースト。なんのかんのいっても、一目、おいている。
 
精神的にも、戦況的にも、勝てない。まさに、”ウサギとカメ”の「この世の常識版」。
亀がいくら智恵を働かせてリードを稼ごうと、ウサギがその気になればそんなリードはなんの枷ハンデにもならないのだ。つまり、それが「現実だ」。
 
 
・・・・・本気になったファーストチルドレン、綾波レイ・・・・・
 
自分だってそれを想像すると、多少は震えがくる。普段が普段であるから・・・爆発なんぞではすまない、周囲の生命を次々枯死させてくような恐ろしさを感じる。
 
 
・・・・・引き返させた方がいい!
 
 
惣流アスカは決断した。ヤニたちには最後の最後まで迷惑かけるが、ひなゆきせを列車の力で抑えられるなら、・・・・そのほうがいい。ほんとにわるいんだけど・・・・。
その詫びにイカス名前はあいつに考えさせよう。列車の未来まで使うことになるなんて・・・本当にこの道筋は・・・っっ!!惣流アスカは自分の手のレンズに思念を込める。思い切り叫ぶつもりで・・・・・
 
 
 
 
”カヲル・・君・・・・・・・?”
 
 
携帯端末から聞こえてくる碇シンジの一言が。
 
停止させる。
 
惣流アスカの魂から全てを。
 
時間が、止まった。止められた。動けない、何もできない。思うことさえできない。
 
 
”そう、心配になってね・・・・迎えに来たんだよ・・・・・シンジ君”
 
 
間違うはずもない、その声。渚カヲル。もうそろそろ扉だというところで、待っていたのは。銀鉄に乗った目的が。
 
ひかりのひとら まちみてり。
 
そこに、綾波レイは・・・”いない”のか。
 
 
”・・・・・!?・・・・・・”
”・・・・・・・・”
 
 
”・・・・・・・・・・・?”
”・・・・・・・・・・・・・・・”
 
 
いきなり音声が強い雑音にかき消されるようになる。慌てて携帯端末を耳に押しつけてみるが明瞭な語彙は聞き取れない。雑音自体もだんだんと小さくなってゆき・・・・
 
 
 
かかっ
 
 
一瞬、駅舎の中に強い光が走りぬけた。全てを白く染めるような。
 
 
それきり、音信不通になった。
 
 
突然の光の炸裂に驚いたヤニたちが駅舎に戻ってくると同時に猛吹雪が止んだ。
 
賢翁も同じく戻ってきた。各自がそれなりに手を尽くしたが、遅かった。ひなゆきせの足止めが終わった。ひなゆきせにそれを望んだ乗客の意図が果たされたのか、または「それを越える」事態が起こったのか・・・・・答えを知るはずの碇シンジは、答えない。端末のマーカーからも消失、この夏への扉のどこにもその姿はない。惣流アスカがいくら呼びかけても返答はない・・・・。とりあえずひなゆきせの妨害から解放された列車を発車させるべくヤニとススキノが駆け出そうとした時。
 
 
 
「扉が・・・・開いたのだ」コタツから顔をひょいとだしてペトロが言った。
 
 
その一言が魔法であるかのように・・・・・・みるみる白の世界がもとの、色彩を取り戻していく・・・・あれほどあった雪が欠片もなくなって・・・・
 
 
「これで窮屈なコタツから出られるのだ・・・・・・・・あれ?」
 
 
急速に楽園季候に戻りつつある駅舎の室温も適当。コタツ電源を切り、ストーブも消そうとしたペトロの笑顔が固まった。それにつられて、他の者も駅舎の外を見る。
 
 
落葉
 
 
雨のように天から、次々と紅の葉が落ちてくる。赤い旋風がどこからともなく運んでくるようだが・・・・見る間に周辺が赤く染まる有様は、楽園的とはとても言い難く、憂鬱にして陰惨な心象を叩きつけられるような気さえする。「こんなのは・・・初めてなのだ。扉が開いたのに・・・なんでこんなのなのだ」アッという間に白から赤へ。気温も動くのに問題ないが、頭が幸せになってくるような温度ではない。あとわずか足りない涼しさ。
これが日本では失われた四季のひとつ、秋、というものだと惣流アスカは気づかない。
汽哭啾々と。
 
「きれいですけど・・・・・・どこか、こわいですね」隣にいた歓喜が呟く。微妙な位置取りで惣流アスカが駅舎内から飛び出さないように、当人に悟られぬよう制止している。
次から次への異常事態で、どう動けばいいのか銀鉄の乗務員マニュアルはとっくに飛び越している。乗客の安否、現場確認のため、駆けつけるのがセオリーかもしれないが。
扉周辺で何が起きたのか予想もつかない以上、列車の機器復活を待ってそれで様子を伺ってから動くべきだろう、と阿比留と頷きあう。ここぞとばかりに残りのたい焼きをほおばっている車掌は無視。ぼうっと駅舎の外を眺めるだけの惣流アスカはこの場合ありがたい。
 
 
 
自分が何かとんでもない間違いを、罪をおかしてしまったのではないか・・・・・・
 
 
ふいに襲いかかるそんな直感に鍵をかけて箱にしまう悪戦苦闘中。その後にも、
 
”そんなこと”なら・・・・・最初っから迎えにくりゃいいじゃないのよ!!
 
というつっこみとの第二試合も控えているのだから大変なのだ。いろいろ思考していたことの柱の一つ、根底が崩れた。ただショックをうけているわけではない、それをねじ伏せてクリアーな状態まで戻すのがちと厄介で時間かかるのだ。
 
 
復調してイの一番に考えねばならないのは・・・・・碇シンジが
 
 
”連れて行かれた”のか
”ついていった”のか
 
 
そして、
 
 
”結局、ファーストだったのか、そうじゃなかったのか”
 
 
このことだ。あかとあおとをいれかえる。今さら惑わされることもないだろうに。
こうまのえきにみちはとどかず。くそ、大当たりじゃないのよ・・・・・。
 
 
強く震える惣流アスカ。そこに
 
 
「”ひなゆきせ”と”ブーン”がこちらに急速接近、降下してくるそうでござる!」
 
列車のヤニたちから連絡を受けた阿比留が伝えてくる。「え?」「なぜ?」妨害を止めたとはいえ、今さらこっちに顔を見せれる義理でもあるまい。まさか勝利宣言でざまみろとか言いに来たわけでもなかろうが・・・・とりあえず、戦闘態勢に入る惣流アスカと歓喜。
列車に戻るか・・・・それとも駅舎内に留まるか外に出るか、すぐに反応できるように。
 
 
「くるならくるのよ〜、最後まであきらめずにたたかうのよ〜・・・・ういっ」
マサムネの威勢がやたらにいいのは、隠してあった日本酒を見つけてラッパ飲みしたせい。
 
 
「まだ呼んでいないのに、なんで戻ってくるのだ?・・・・あの信号娘が乗ってるのだ!」武装列車の持ち主であるくせに完全にコントロールを奪われている護線官もまあ、デブ猫車掌の御同輩といわれても文句は言えない。ただ、肝心なことは把握しているようで。
 
 
「・・・・・・一緒に、いかなかった・・・・・?いや、ちがうの・・・・?」
反射的に言ってしまったあとで、それがあまり意味のないことだと思い返す惣流アスカ。
待ち伏せしていた武装列車の実力で、心配してやってきた渚カヲルを追い払い、碇シンジを捕獲して連れ戻してきて、次は自分・・・・・その可能だってあるのだ。そうなると、どうなるか・・・・・とりあえず、どういう形にせよ所期の目的は果たしたのだから、満足したかどうかは別として、碇シンジがここで第三新東京市に、家に戻るというのなら・・・・わたしも戻るにやぶさかではない。正確には、戻らされる、連れ戻される、のだとしてもいまさら反抗してもしょうがない。碇シンジは綾波レイには、敵わなかったわけだ。
・・・・・そのことで無力感や相対的卑小感を、なぜか、感じない。不思議なのだが。
詳しく分析もしない。しないでおこう。だけれど、そんな期待は。
 
 
赤子の手をひねるように。
 
 
紅葉の雨が線路を埋める中、銀鉄ひなゆきせと武装銀鉄ブーンが、到着した。
なまえのない銀鉄の発車を塞がない位置に降りてきたことで、ヤニはそれを認めた。
ここで争って得をする者は誰1人いない。ここが、旅の終わり、終着駅になってしまったことは皆が気づいている。ただ一人目的地を望んでいた乗客も歩いていってしまった。
列車を、降りてしまった。
 
 
裏切られる。
 
 
駅舎にて、迎える。銀鉄ひなゆきせから、女性の車掌と雪だるまの運転士を。
そして、武装銀鉄ブーンから、天上切符をもった乗客が、1人。だけ。
誰しも声がない。まるで暗殺の会合でも行われるかのように息をひそめている。
 
 
かさ さく
 
さく さく
 
 
ふりつもった紅葉を踏む音だけがやけに響く。
 
 
赤い瞳。
 
両方とも、赤い。
 
肌の白い、惣流アスカのよく知った、顔。
 
空色の髪。
 
よく知っているはずの赤い瞳。それなのに・・・・・強い違和感。その赤さが。
まるで異なって見える。無表情の中に確かに、時には常人より強く、激しく、灯っていた世界を照らす感情の赤ではなく、なにもない、赤い虚、赤い洞、ひたすら己の意に呑み込ませようとするような・・・・無感情の赤。見ているだけで自分の感情も無くなっていくような、対として光を意識させることもなく、闇よりももっと封滅的な色。
 
 
綾波レイ・・・・・・ファースト・・・・・・
 
 
こんな”眼の色”をしていたか・・・・・・
 
 
ちがう、と云いたかった。自分たちと今まで共にいたのは、こんな瞳の色をしていなかった。確かに造り笑顔をしない子ではあったが、心の中には確かに自分たちと共鳴するものがあった。それが、完全に失せてしまっている。どこかで自ら捨て去ったかのように。
 
 
「・・・・・・」
何か、云うべきであったが・・・・・声がでない。赤い瞳は以前より強い力を感じさせる。
人前では圧迫感を与えぬよう掛けていたカバーを一気に剥がしてしまったように。遠慮なく鋭い視線を浴びせてくる。色だけではなく、眼の使い方さえちがっている。適切にあった抑えがない。生物無生物、無機物有機物、一切の区別をしない眼、というのはおそらく一切の偏見のない神の視座なのだろうが、これほど恐ろしいものだとは思わなかった。
 
・・・・・人間にやれる眼ではない。もしくは、造られたことを忘れた人形の眼だ。
はっきりと惣流アスカを見る・・・呑み込もうとするように、見ている。
 
 
「あ・・・・・な、なんで・・・・」
 
 
そこまでなんとか声が出せた。一応、ここからなら、どんな話にでもつながるから、息がつげる。主に精神の息継ぎが。しかし。
 
 
「帰りなさい」
 
 
その前に命令が来た。無感情な、命令。
 
 
「ここはあなたがいるべきところじゃない」
 
なんの感情もそれを伺う抑揚もなく、淡々と。これほどつまらぬものはないかのように。
瞳の色と同様に、声の色も以前とは違う。表情豊かとはいわないが、前はもっと・・・・
こんな、何百年も昔に吹き込んだテープのような声はしていなかった。話す言葉が少なく短いからこそ、その奥にごまかしようのない嘘偽りのない、心情があった。心の波、こっちに伝わる波紋のようなものがまったく感じられない・・・・・ひどく恐ろしいことがあって一夜にして髪の毛が真っ白になった、とかいう怪奇小説があるが・・・・赤い瞳に宿る深い虚は外的要因に影響されるようなしろものではない、無慈悲無情、機械仕掛けの造り神のごとく、何者にも侵されぬ威圧を、時間の大河にも削られず形を保ち続ける無限の強固を、忘却の大海の中、呑み込まれることもなくただ一人赤い火を回照し続ける灯台守
赤い孤絶、紅の岬に立つ、人の器に注げば爆裂するしかないほどの意思を湛えたなにか。
 
 
綾波レイではない、と思った。自分の予想は外れていたのだ、と。思いたかった。
「アンタ・・・・」声を振り絞った。内蔵する力のケタが違う。”現状では”非常に危険なことだと、己の身体の内から警鐘が激しく鳴らされるが、黙るわけにはいかなかった。
 
だが、最初に出たのはぶしつけな命令をしてきた相手への怒りでも反意でもなく
 
「渚に・・・・・なんか・・・・された・・の」
一番先に到着したのが、綾波レイで、次点が渚カヲル、だとするなら、そこで何が話し合われたのか・・・・二人の目的が互いに譲歩融合できるようなものだとは思えない・・・碇シンジを巡って・・・・一戦あったとするなら・・・・いま、こんなところにいる彼女は破れた・・・・そういうこと、だろうか・・・・手出しをせぬその証に・・・管理用の傷(タグ)でもつけられた・・・・・とか・・・考え得る最悪の予想。だがそれすらも。
 
反射的に出た、仲間意識からくる心配など無用、とばかり。
 
 
「”使徒は使徒同士で殺し合わせておけばいい”」
 
 
返答は、理解不能の言葉によって。なんの感情もなく。告げられたのみ。一切の状況説明過程を省き、最終解答のみを答えているのは雰囲気で分かった。渚カヲルと綾波レイと、そして碇シンジが再会する場所で、式が始まり、そこで終わったのだろう。答えは導きだされた。思うにこの三者が揃うとき、互いに反応し混じり合い、何か凄まじい、莫大なエネルギーが発生するのではないか・・・完全に立ち位置が違う。この連中はここよりなお遠い、光年の彼方で会談をやってきたのだろう。宇宙開闢の時間が経過した星々の教えのごとく。話がさっぱりわからない。”使徒同士の殺し合い”、とは・・・・
 
 
「?それって・・・・・なによ・・・・・・なんのことよ!!答えなさいよ!!」
 
 
それで説明は終わり。いくら待とうとこれ以上なんの言葉もないのは赤い瞳を見れば分かる。あなたにいえるのはこれだけだ、と。もうなにもかんがえることもはなすこともないのだと。なにも、なにもない。なにもない、ということは・・・・・恐ろしかった。
恐怖によって逆上した惣流アスカが詰め寄り、防寒コートの衿を掴んで。揺さぶろうと。
した瞬間。
 
 
赤い瞳が光った。
 
 
とたん、強烈な金縛りにあい、その体勢のまま、ぴくりとも動けなくなる惣流アスカ。
 
 
「それは!やりすぎです!!」掴みかかったのは惣流アスカの方で確かに金縛りは自己防衛のためなのだろうが、術の掛け方が強すぎて動きだけではなく呼吸やら停止させたら命にかかわるところまで金縛りが利いている。慌てて歓喜が云わねばどうなったか・・・・
 
「・・・・・・」一歩さがるついでにそちらを一瞥して、少し金縛りをゆるめる赤い瞳。だが、瞳はただ赤いだけでなんの感慨も映っていない。云わねば窒息死するまでその調子でいたのではないか・・・・・駅舎の空気が透徹し殺伐としたものにかわってゆく。
 
 
 
「すまないが、もう少し詳細に事の次第を聞かせてもらえないか」
全員を巻き込む渦のような赤い瞳に対して、猫眼の輝きを強くしてヤニが問う。
 
 
「あなたたちには、関係ない」赤い瞳が相手の立場も無関係に答える。涸れた井戸から土が軋るように、真意を伝え波紋するものがない。ヤニはこの機械的人間との対話は無駄と判断する。そして、これこそが怪物が恐れる・・・・者なのだと、悟る。
 
 
「ならば、そちらに向かったはずの乗客の安否と行方・・・・現在位置を教えてもらえないか」
身体の動きはぴたり止められても、心の方はそうはいかない。シンジ!沸騰点を超え己の器から溢れそうになる。惣流アスカのその様を見ても赤い瞳は微塵も揺るがない。
ただ、答える。
 
 
「光馬天使駅に。迎えと一緒に」
 
 
「・・・・そうか。さっきの光は・・・・・そういうことか。あちらから出迎える分にはなんの苦労もないからな・・・そうなると・・・オレたちは」
銀鉄における乗客、つまりはメインの燃料、唯一つの到達への意思を失えば、いかに最新式の性能を誇ってもそれだけでは銀鉄は目的地に辿り着かない。辿り着いてはならないのだ。臨時駅からここから。試験列車としてこれ以上ないほどのハードな試験になったわけだが・・・・・ここで終わるか。可哀想だが、娘の方はこの赤い瞳に地上に連れ戻されることになるのだろう。あの怪物子供なしになまえのない銀鉄はこれ以上の坂は登れぬ。
 
 
しかし、ヤニの進退に対する思考は意外な方向から破られる。
 
 
「新たな乗客は・・・ここにいるわ。切符も、ある」
ヤニの思考を読み切った上での言葉。「!」天上切符を持つ赤い瞳にほぼ全員が呑まれた。
 
「見届ける必要がある・・・・・・誰が滅びるのか。・・・光馬天使駅まで」
 
 
自分を送り届けよと。肯かぬわけにはいかない。むこうには天上切符がある。
 
 
「・・・分かった」ヤニはこの乗り換えに同意した。あかとあおとをいれかえる・・・・・このことだったのか?「・・・・こちらの乗客はひなゆきせで地上まで送ってもらえるのだろうな」赤い瞳とひなゆきせ車掌・トシを交互に輝く猫眼で見ながら。
「・・・・乗務員もそちらに移すがかまわないか?」歓喜、阿比留、ついでにマサムネも厄介払いしてしまうつもりの有能な運転手である。「ええ」ひなゆきせ側はそれを受けた。
 
 
「・・・・・」声は出せないものの、ヤニがあっさりと赤い瞳の要求に屈してしまったことに裏切られたように感じる惣流アスカ。たかが切符一枚でそんなゴリ押しがまかり通るのか、と。そして、綾波レイにも怒りと不審がある。宇宙海賊も真っ青のこの強引極まるやり口・・・・・あのファーストだろうか・・・・確かにやるときはやる、ような気はしていたが、こんな乗っ取り・・・これはあまりに・・・・・幻の星が造り出すこれもまた幻影かなにかじゃないのか。にせ者が表面だけ見て真似てみれば確かにこんなイヤな奴になるかもしれないが・・・・だが、ほのかな期待はすぐに打ち砕かれる。誤魔化しようのない方法で。確かに己の身の内が結んだ約束によって。
 
 
「碇君との・・・・・彼との約束」
 
 
命令の実行順番がきたように、それ以外なんの意味もない唐突さで。赤い瞳は金縛りで動けない惣流アスカの上半身を剥いた。「おおっ!!?」人間型は少ないが、それでもいきなりの奇妙行動に皆が目を丸くしてひく。羞恥は周囲の反応を確認してから胸部先端より立ち上ってみるみる顔を紅朱に染める。(な・・・・な・・・・な・・・・・!)
 
 
「・・・・・”炎を蘇えらせる”。少し、痛むから」
 
 
惣流アスカの意識にはない、碇シンジがラングレーと約した念炎能力の治療。だが、身体が確かに覚えている。それを聞いたラングレーが驚喜する。予想もしない人物から予想もしない状況だっただけに嬉しさもひとしおだった。「え?ええっ・・・こんな・・」下腹部から突き上げる覚えのない奇妙な喜びにどうしていいのか混乱する惣流アスカ。それに構わずに、赤い瞳は・・・・・
 
 
碇シンジがラングレーにかけた、思いつきのまま若気の至りで一夏の暴走したような、術式もなにもない強引極まる無茶苦茶力づくの封印を、解いた。魂の底にある勾玉とキャンドルを複合させたような念炎機構を水没させがんじがらめに縛り上げていた・・・・だけではあきたらずに、その上から何十ものテトラポットや鉄錨をぶちこんで。物理的にそうなっているわけでは無論ないが、赤い瞳による診立てによるとそんな映像が見える、ということだ。
それにくわえて、能力の使用に対する自身の恐怖感、強く作動しすぎるよう設定し直された安全装置・・・・ほっといて自然治癒するようなものではない。かなりタチが悪い。
能力治癒を得意とする綾波者にでも診てもらわねば再使用可能は難しい。まず無理だろう。
 
 
 
”どう解かれた”かは、もう歓喜によって再び衣服を閉じられている惣流アスカに聞けば早いのだが、絶対に教えてはくれないだろう。人間型ではないとはいえヤニたちも遠慮してよく見なかった。気絶したあげくに金縛りは解いてもらえず、有無を言わさずそのままひなゆきせに運ばれた。感情を無視さえすれば、非常な手際である。用件を正確にすませ最速。そして、その治療行為は二人の少女の事情を銀鉄乗務員達に納得させるに十分だった。単純に敵であり妨害者であるのなら、彼らも乗客を守ろうとしただろうが。
そして何より、連中に振り回され感化されたところもないではなかったな、とヤニをして思わせるほど、その赤い瞳はまごうことなく「銀鉄の乗客」だった。
 
 
運転手や機関士はそれぞれの列車に戻り、燃料を補充し終えて機関を暖めている。
「大迷惑だったのだ」とかいいながらペトロはブーンを格納庫にしまいにいき。
賢翁と車掌トシが久方ぶりに兄妹の語らいなどしながら、銀鉄管理局への連絡など。
阿比留と歓喜がひなゆきせに移るために、なまえのない銀鉄から片づけなどして。
 
あっけないほど話がまとまった状態であり、次の出発にむけて各自、動いている。
 
 
 
「いいのか」ヤニが念のため、赤い瞳に最終確認。
 
 
「あのひとはここで帰った方がいい。・・・・いやなものをみなくてすむもの」
 
無感情にそう言って、なまえのない銀鉄に向けてゆらり歩き出す綾波レイ。そこに。
 
 
「あ、あの・・・これを・・・」
歓喜が風呂敷包みを綾波レイに差し出す。なまえのない銀鉄の冷蔵庫に入っていた碇シンジの荷物、あの臨時駅の駅弁売店で自分が売っていたもの。少年は代価を払ったが、デブ猫車掌は食い逃げした。「これは・・・・あなたへのおみやげだったようです。ですから、ここでお渡ししておきます」それはなにか、と惣流アスカに聞かれた時に、碇シンジは適当なヒントだけ出して正解を教えなかった。最初に「あ」がつく人で、と。いつもそう呼ばれているから「アスカ」でもおっけーだと思っていた少女は誤解したわけだ。
 
 
「・・・・・・・」
惣流アスカが自分に土産を買うわけはないから、それは碇シンジからのものだろう、くらいの見当はつく。姑息と云えば姑息だが・・・・・・怒らせている自覚はあったのか。
こんな手みやげひとつでおさまるとでも・・・・・・その無神経が・・・・・・
 
 
いつもなら、碇シンジの行動に対して表にはあまり出さぬものの、そのように、もくもくとわき出す強い情動があるのだが・・・・・・なにも思わない。思えない。なにも。
ただ受け取って中身を確認する・・・・・
 
 
ウルトラマン駅弁
 
 
なにもおもうものはない。疑問すら感じない。これからの行動に不必要だと判断した。
ゆえに、駅舎の隅にあるゴミ入れに・・・・
捨てた。それを、駅舎にいる全員が見た。そこになにがはいっていたのか。紙屑でもいれるようにしたのを。
赤い瞳は、綾波レイはなまえない銀鉄に向かう。
 
 
「捨てるのなら、もら・・・・・・」そこから駅弁を拾い上げようとするマサムネを
「・・・・捨てたんですから、拾ったらダメです!!。捨てたんですから・・・・」
歓喜が激しい剣幕で制する。それに何が入っているのか自分で売っていたから知っている。鋭い視線で自分たちと入れ替わりの新しい乗客の背を刺す。声も聞こえたはずだがふりかえりもしない空色の髪。
「・・・・・もったい、ないのよ〜・・・・」未練たらたらだが、今の歓喜には逆らえないマサムネである。
 
 
「ひなゆきせも、そろそろ発車しますが・・・・よろしい?」
車掌トシが声をかけてきた。賢翁はこの秋季候の調査のためまだしばらくここに留まるという。扉が一部破損でもしているのではないかという話。
 
「阿比留さんはアルビレオで降ろすことになりますが、歓喜さん、あなたの本来の乗務列車メーテルドライバーまでお送りできたらよろしいのですけれど・・・」
「いえ、わたしもアルビレオで一緒に降ろしてください。そこで待ちますから・・・・・そうなると、車掌さん、いやさ、マサムネさん、あなたにお客様のお世話を地球までお任せしなくてはなりません・・・・・いいですか?もし、手なんか抜いたら・・・・」
「ひ、ひいっ!!わかってるのよ〜、ちゃんとご飯は三度三度食べさせてあげるのよ〜」
「・・・・おそらく眠っている間に到着するでしょうけどね。それでも、これ以上、おかしな目危険な目、いやなことに会わせたら・・・・・・どうなるか・・・・」
歓喜の象面が怪しくギラギラ輝く。
「ちゃんと守るのよ〜約束するのよ〜食い逃げした分もちゃんと初任給から払うのよ〜」
「あら。覚えててくださってたんですか。半分、忘れていましたのに」
「し、しまったのよ〜!!いうんじゃなかったのよ〜!!やぶぞうなのよ〜!」
 
 
トシ車掌に続いて銀鉄ひなゆきせに向かう。
 
 
「・・・・それはいいですから。着いたら”これ”を渡してあげてください」
すっと、マサムネの車掌服のポケットの中に何か紙片のようなものをいれこむ歓喜。
「これ、なんなのよ〜?」
「ヤニさんに渡されたものです。いいですか、大事なものですから。わたしたちにとっても、なまえのない銀鉄にとっても。必ず、忘れずに、渡してあげてくださいね」
そんな重要なことなら自分でやればいいのよ〜、といいたいマサムネであったがもちろん黙っておく。「渡してくれたら、食い逃げ代も忘れてあげます」云うとおもったのよ〜。
「確かに、任されたのよ〜おまかせなのよ〜」
胸だか腹だか分からない、本猫は胸を打ったつもりなのだろうが、デブゆえタヌキ顔負けのにいい音がする。
 
 
そして、銀鉄ひなゆきせに乗り込む。見送りなど乗務員同士ではありえない。銀鉄にある以上、走り続ける以上、いつかは会えるだろう。会えないかもしれないが。また、こんな奇妙な出来事が、あるかもしれない。いくつかの謎を残しながら。列車は走り出す。いつまでも停車してはいられない。走り出さねばならないのだ。
 
 
発車はなまえのない銀鉄先行。蒼い光の軌跡を残して、赤く染まった路線から消えた。
もう一切の邪魔も迷いもなく、一直線に目的地に向かった。光馬天使駅、その周辺を囲む結界も、あの到達の意思、あの加速度ならば突破できるだろう。天上切符はそこを指し示していたのだ。
 
 
続いて、銀鉄ひなゆきせが発車する。夏への扉から、太陽系第三惑星、地球へ。
これで、惣流アスカの旅は、終わった。結局、肝心なことは、大事なことは、目的は、自分で果たせずに。負けるのが大嫌いな少女にとっては、おそらく最悪の形で。