「まだ、生きていますよ・・・」
 
 
墓の下の死人がいきなりやってきて言ったよりなお驚いた。自分はあまり驚愕も興奮もしない性質の人間であると自他ともに認めてきたが・・・これにはやられた。
 
鳩が豆鉄砲、というより鳩が鳩時計を制作した、といったような掛け値無しの驚きだった。
形としては一杯くわされた、ということになるが、怒りは湧いてこない。もとより怒る資格もないわけだが。
 
 
目の前の相手をよく見る。
 
 
水上左眼。あの日、ゼーレ気象皇庁に予報された特大級の連続自然災害に蹂躙されて地図上から消え去ったとある地方都市にいた少女。
 
そこで無人をいいことにとある極秘実験を行った我々は彼女らを巻き込んでしまい、あろうことか少女の姉を本人の同意なく強化特訓してしまいもしかすると心身に大いに負担と傷を与えた・・・かもしれない・・・うーむよく考えてみるととんでもなく極悪犯罪だな・・・ユイ君はすでにアレであるからそのフォローは我々が行わねばならぬわけだが・・・非常時というか特異な状況に填り込んでいたことを差し引いても、かなり負債があることになる。その責から逃げる気はさらさらない。
 
一時は、感情の縺れ等、混乱していたのか、「その街」から出たくないなどと取り返しのつかぬことを言っていたが、しばし時をおいてみるとこちらの言うことにも素直に従うようになり、その「もはや失われた思い出の」街から脱出し、新しい生活に移った。
 
まあ、それはそうだろう。
思い出は綺麗であっても、無人の街など単なるゴーストタウンだ。お化け屋敷に住んでいるようなもので、徐々に色褪せて情緒だけでは耐えられるものではない。街が稼働するには大量の人間が必要なのだ。朽ち果ててゆくのを見届けるほど枯れるには早すぎる。そして、姉の才。表に出すわけには今はいかず、このまま埋もれさせておくわけにも・・・・・そうできれば最もいいのだが。隠し玉は隠したままで。
 
とはいえ、嗅ぎつけられよその組織に奪われでもしたら目もあてられない。
 
へルタースケルターも操作の失敗による暴走で海に沈んで立ち上げることが出来なくなったとか。あのようなものは無理に回収せずそうしておく方が正解であるような気もしていた。最もあれが本格的に稼働すれば、業界の者なら地球の裏側からでも察知するだろう。
 
 
三次の出張所で二人の面倒をみることにした数年。報告では何事もなかった。
 
 
緊急異常の報がなければそちらに目をやり手配りする時間も余裕もなかった、というのが正確なところである。刀の破片、生体部品と融合した視覚にもとりわけ問題なく過ごしているようで安心していたのだが。やはりあの夜の、傷ついた迷い鳥のようなイメージが強く残っていたのが警戒を緩ませたのか。事態は予想だにしない方向へ舵を切っていた。
 
 
普通の娘として生きていくのだと決めてかかっていた。それが許される内は。
 
 
そしてその期限が終わり近くになっていたある日のことだ。話を切り出すタイミングはかなり迷ったのだが
 
 
「どういうことだ・・・」
 
 
今後の身の振り方について姉の右眼を呼び出したのだが、現れたのは妹の左眼であり、しかも記憶の中にある娘とはまるで別物の異様な存在感を備えていた。
 
匂い立つような・・・濃厚な力の気配。力で対立を解消し続けてきた者がもつ乾いた雰囲気。ただの学生が纏っていいものではない。医療用の眼帯が、剣豪のような刀の鍔をあしらったものになって
これから吸血鬼でも狩りにでもいくような防弾性能の高そうな黒の機能コートを羽織って
 
コートの内側左右に二本、縦に吊してあるのは黒鞘の日本刀。もちろんただの学生が携帯する代物ではない。
 
そして何より。
 
その体のシルエットを浮かび上がらせるように包んでいるのはセーラー服ではなく、エヴァの操縦用のスーツ。プラグスーツという正式名称もまだ決まっていなかった頃のもので、細かい型式が異なるが、まさかこの帰りにどこぞの海にダイビングするのに着替えるのが面倒なのでこの格好で来たとかいう坂本龍馬の青春エピソードのようなことは言い出すまい。一見して材質は同じものだ。だが、それを着るというのは・・・いや、どこでそれを手に入れたのか・・・・一つや二つ問いただしたところでとうてい追いつかぬ量の虚がそこにあることを示してみせたわけだ。この女は。
 
 
己の内の中に。
 
 
世間で喧伝するほど女の秘密などというものはたいそうなものではあるまいよ、と考えていた私の蒙も開かざるをえなかった。どうも女性に秘密がある、のではなく、秘密を生み出すことができる・・・らしい。でなければ説明がつかない。
 
 
そして水上左眼は淡々と説明を始めた。まず第一に、頑固に居座ろうとした娘二人も去り、完全に閉鎖、何者にも使用されることなく自然消滅していくはずだった「あの街」がまだ
 
 
生きている
 
 
と。
 
 
当初の想定よりずいぶんと長持ちした「あの技」の効力ではあるが、それでも無限に続くものではない。それは絶対で。歪んだものは自然の反発力修復力によって元に戻る。
その歪みを固定化すればどうなるのか・・・・・・当然、周辺地域に影響が出るだろう。
 
それにしても・・・年単位で効力が保持するなどと・・・計算違いも甚だしいが。
 
まあ、ユイ君の、彼女の技らしいといえば、らしい。
 
「いや、たぶんそれはわたくしのせいじゃないですから」赤木ナオコ君も苦笑するだろう。
 
まあ、あの技を使える者がもういなくなってしまったのだから仮定にすら意味がないが。
 
実験テーマはそれ自体ではない上にそこまで手が回らない、観測のみを出張所に行わせておくにとどめた。あれは奇跡の業でもなんでもなく、どちらかといえば狸が化かすといったようなもので永続させてよいものではない。人の記憶に残すのももってのほかだ。
大ゴケしたエヴァ・へルタースケルターの実験記録とともに葬ってしまうのもまた。
 
 
そんなことがあるはずがない、
 
 
というはたやすいが。明らかに決戦装束でやってきた目の前の変わった、変わり果てた独眼の女の姿がその疑いを呑み込み消し去る。この業界で生きている人間のカンがこの女を今すぐ拘束して全ての情報を吐かせるべきである、と最優先アラートで告げている。
 
 
が、興味の方が強かった。やはり自分は学者なのだろう。
 
それも、どちらかといえば、ひとでなし系の。
 
そんな話は聞くべきではないのだ。聞くのは相手を完全に無効化した後でいい。
明らかに間違った領域に足を踏み入れたこの娘にまず言うべきことはなかったか。
 
 
あったかもしれないが、自分のことを棚に上げて言えたものではない。
おそらくは同じものに魅かれた相手に、お前はこちらにくるなとは。
 
 
「まずご理解していただきたいのは、私たちは街・・・竜尾道の存続を第一義として行動する、ということです」
女は化けるというが、ここまでくると変身というしかない。あのユイ君の地獄スパルタ道場をなんとか生き抜いた生命力の姉と違い正直、怪我した民間人A子、己が手術けた患者、というイメージが優先して当人が何を考えていたのかあまり考慮したことはない。
望んでいるのははっきりしていたが、それはあくまで脱却すべき子供のこだわりのはず。
 
 
「あの時、納得して碇に引き連れられて外に出たのは、誤魔化しだったというわけか」
あの斬り取りされた街に自由に出入りできるのは、ユイ君、碇、そして私だけだ。ユイ君がそのように調整して斬りとったからそうなっているわけで、特別な能力が必要なわけではない、ただ逆に言えば、たとえ特別な能力があろうとその三人以外は出入りできない。
あくまで瞬間刹那の効果を求めた技であるから、指定範囲領域の結界化を狙ったわけではない。結果的にそうなったというだけの話だ。あの技の正確な意義を知る者でなければ。
 
 
「皆様の数年に渡る手厚い保護には感謝します。が、私たちは自分たちの故郷で生きていきたい。ただそれを願い望んでいるだけです・・・それを実現できる力も手にいれました」
 
 
それにしても、一夜にして化けたわけではあるまい。目の前の彼女とて生物である以上、変化には相応の時間と下準備の百夜千夜が必要だったはず。そして、触媒が。
 
どうにかして、自分たちだけで「あの街」に出入りする手段を手にしたのなら・・・その間のことは外からはいかなる方法を用いようと感知することはできない。変異するにふさわしい完璧な繭。そこで頭痛がちで顔色の悪かった片眼の少女は、鉄血の螺旋階段を上り詰めていた。もはや後戻りなど考えられぬ目も眩む・・・光なき高所。
 
 
「その素朴で純真な願いを排除する権利は誰にもない。そこまで言うなら好きにするがいい・・・といいたいが、別に街の菩提を弔いながら生きていこう、という話ではないのだろう・・・それならば、竜尾道、といったかね・・・わざわざそのような名をつけることもない」
そしてその様相は尼僧のような穏やかさとはまったく相反したもので、暗躍の波風で鍛え抜かれた海賊の大頭目そのもの。そして彼女は力、といった。実現できる力、と。
それは正しい。正しいのだが、ただ、口にして欲しくはなかった言葉である。
 
 
力を、実際に所有しているのは、姉の右眼の方だ。へルタースケルター。あの悪夢の機体を本気で使用するつもりでいるなら、まさしく骨が折れるどころではない。シナリオは全身複雑骨折、下手をすると病院送りで全て御破算、ということになりかねない。この現段階で表に出てこられてその存在を知られては困るのだ。
その姉の力を当てにした言葉であるなら、当人がここに来ないのは実に合理的だ。
が、脅しをやろうというのなら、その妹が単身やってきた、というのは非合理である。
少々、身に覚えがあろうと・・・・人間が一人でどうこうできる施設ではない。
 
ここは。
GOD`S IN HIS HEAVEN ALL `S  RIGHT WITH THE WORLD
人間以外の存在を相手にするための機関であるのだから。
自分を人質にでもすれば多少の時間は稼げようが、それで望む要求が通るわけではない。
 
 
左眼の眼帯に覆われていない方の片眼を、もう一度よく、見る。
人間の目ではない。人間以外の力を秘めた、目だ。人間を何か別種の、己と同等の存在だと思っていない生命体の目。この業界に入ってさまざまに禁忌の代物を見てきたが。
 
これは別格。
 
特別級に反則の輝き。”改造人間”古びたSFヒーローものの単語が脳内を過ぎった。
しかし、「自分の故郷で暮らしたい」などというローカルすぎる願いをわざわざ叶える悪の組織があるだろうか。・・・・ありはしない。
 
 
このためにどれほどの代償を支払ったのか・・・・
 
 
「そうです。そして何より、死んだ街では皆さんのサポートができません。第二義として、私たちは・・・いえ、正確には私が、ですが、ユイ様たちのお手伝いがしたいのです。個人のささやかな力や才ではなく、一つの技術経済集団として」
 
「何だと・・・?」
絵空事だと叱りとばすには、あまりにもその言葉は重たすぎた。あの街の地理的特性・・・・それが長期間保証されるのであれば、何か事を成すにあれほど便利な場所はない。
だが・・・
 
 
「意外に思われるかもしれませんが、あの場所に頓着がないユイ様たちは調査をほとんどなさいませんでしたよね?まあ、早期に閉じることを想定されていましたから無理はありませんが・・・私は暇にあかせて隈無く歩き回りましたが、いろいろ”面白いこと”が分かったのです・・・・・真、人間の所業ではありませんでしたね・・もちろん敬服しているんですよ。あのおかげで街は・・」
 
 
「話の途中ですまないが・・・確認させてもらおう。まさか、あの場所に他の人間を・・・住人の呼び戻しを行ったわけではないだろうな」
いつ閉じるか分からない不安定な蜃気楼の街に大量の人間を招き入れるなど・・・自分たちの行ったことの裏返し・・・子供が大人の真似をした・・・その姿は焼き直し・・・自分たちに責める資格はないが、・・・ただ、これはあまりにも。いくら若さ故の過ちとはいえ・・・すぐさま是正せねばなるまい。可能な数であればいいが・・・
 
 
「先ほども言いましたが、人がいなければ街は死にます。血と同じですね。・・・現時点で二万九千八百十八人・・・乳幼児を含めた数ですから実働数はもっと少ないですが技術レベルはなかなかのものですよ・・・それにこれからもっと増えますし」
 
 
おぅ・・・
のぅ・・・
 
力無く天を仰ぎ・・・GOD`s IN HIS HEAVEN以下略・・・・それから
 
なにしとったんじゃ!三次出張所!オンドリャー!!
思わず内心方言で糾弾する。
 
保護監視どころか完全に野放しで好き放題にやらせておいたということか。
それにしても・・・この手腕。いくらなんでも娘二人でやらかしたにしてはあまりに。
ハッタリにしては数字がでかすぎる。それを把握できないなどと・・・。
いや、ハッタリであってくれればいいのでござるが・・・・いかん、驚きのあまり語尾がヘンであった。にんともかんとも、だ。気を静めねば・・・平常心平常心・・・
 
 
「時間さえあれば大概のことはできますから。ささやかでも減色なく望みを叶えるには・・・人の生活時間は短すぎますね」
この娘はユイ君に憧れていたはずだが、彼女が決して見せないような翳りの色がそこにあった。永い時間を得ておきながら日暮れの笑み。それを賭け金に大概のことをやってしまったらしいこの娘は勝ち続けたのか負け続けたのか。
 
「まあ、それに関しては同感だ。が・・・要するに、こう解釈していいわけかね。我々の保護から離れて自立するが、我々の支援勢力・・・味方であると」
 
「はい。私たちの第一義の目的を妨害されない限りは。まあ、諦めが悪い、程度に腐される程度ならば許容しますが」
 
「成る程。では、君たちは何をもって支援してくれるんだね?支援勢力と言うことは我々も君たちに危難が起きれば保護に動かねばならない時がくるかもしれない」
 
「基本的には捨ておいてくだされば結構です。大概のことはこちらで対処できますし、いよいよ最後には隠れてやり過ごすこともできますし。どこからも誰からも攻められることはない、ある意味、世界で一番安全な場所なのですから・・・そして」
 
「その安全な場所で・・・皆様のための武具を造りましょう・・・・これから、必要になるのでしょう?あの”巨大な”人造人間、エヴァンゲリオンのための、武器が」
 
「・・・・まさか・・・」
 
「百聞は一見にしかず。試作品を持ってきているんですよ。搬入許可がいただければすぐにお運びしますが」
 
明らかにおかしい。まるであれから五十年も百年も経ったような物言いだ。この女・・・
竜宮城を見つけたとかいうんじゃあるまいな・・・変容の速度が速すぎる。特殊な才能を無理矢理に開花させられた姉の右眼ならばまだ分かる。しかし、なんの特異才能もなかった妹の方がここまで、とは。正直、とても信用できたものではない。が、向こうから「その裏を見せてやる」と言われては・・・そして、その言葉が一番奇妙なのは・・・・
 
「すぐに?だと」
 
試作品の出来不出来などどちらでもいいが、巨人用のそれを「すぐに」運び込むなど出来るわけがない。ここの地理的条件もあるが、何より厳重な警備がそれを許さない。もちろん言葉の綾、解釈というもので相応に数日かかる、というのなら納得できるが
 
「はい。今すぐに。適当な場所を指定してくだされば、そちらに直接、降ろしますよ。
十分もあれば」
宅急便のようなお手軽さで水上左眼は言ってのけ、こちらの驚きを嘲笑うようにその通りに実行した。
 
その手段こそが、姉のものではない、妹の専有する「力」だった。人の言葉で飾られることを拒否する、おそらくは「現実を呑み込む幻想の」力。埋められた失敗作が地上に這いだしそこから足掻き藻掻きいかなる輪廻を経たのか、空を飛ぶ能力を持つに至った。いやもとより持っていたものを回顧し抉るようにしてそれを引き出したのかもしれないが。
なぜ人間はわざわざ己がおそろしがるものを具現化してしまうのか・・・。
 
福音ではなく、おそらくは黙示録が形を成したモノ・・・・・
 
それは・・・