実験名:「へルタースケルター」は大ゴケした。文字通りに大ゴケした。
 
 
繰り返してしまったが、その規模を考えるとそれでもまだなまやさしい表現であっただろう。ちょっとした天変地異、天災、いやさその中心に人間がおり意思と行動目的をもってやらかしたのだから、人災といっていいだろう。私たち現地にいた三名は、承知の上でそれをやらかしたのだ。研究所でバックアップにまわっている赤木ナオコ君の「ほら、わたくしとマギたちの予想どおり」そんな声が聞こえた気がした。
 
 
「いやー、失敗しちゃいました。やっぱり無理ですね」と災禍のど真ん中にいたユイ君はあっけらかんと笑っていたが。大ゴケした瞬間、それを見守っていた碇の顔が恐怖の青から絶望の白へ鮮やかに変色したのは見物だった。ユイ君の、愛する妻の声を聞くなりすぐに血色を取り戻したのもまた傑作であったが。この男、普段は資金凍結状態のくせに彼女が近くにいる時だけその場その場の現金払いの反応を見せる。
 
 
ともあれ、ユイ君、碇ユイが笑いながらであろうと「無理」と言った以上、それを成せる者は誰もおるまい。世界中探しても誰一人。いや、世界中探せば一人くらいはいるだろうが、探す手間も時間もかけられない以上、その仮定は現実的ではなく、「へルタースケルター」は実現不可能な代物であると断定してしまった方がよい。まあ、私も碇もハナから無理だと思っていたのだが、”あるいはユイ君ならば・・・”などとちょっと夢見てしまったのだ。ともあれ、実験で証明された。無理なものは無理、と。
 
 
時間は、限られており。
 
 
「これですとあまりにスピードが・・・パワーで押し切るのも悪くはないかもしれませんがどうしてもトリッキーになりますしね・・・・・だいいち、見た目が子供好みじゃありませんし」
 
これが負け惜しみでもなんでもないことはあとで分かった。自分たちがそろって「ああ、無理なものはやはり無理なのだな」と思っていた時にも彼女はすぐに次の手段を考えていた。普通、これだけの大ゴケをやらかせば多少は弱気になるものだが、まあそのあたりがユイ君の、碇ユイたるところというか。
 
 
 
「・・・・大丈夫か、ユイ・・・」今更こんな時間をたっぷりかけて何を言うとんだこの男は、というところだが、碇、碇ゲンドウ、この男のユイ君への理解というものは相互に機能しているとはどうも傍目からは言い難いのだが・・・
 
 
「はい、大丈夫ですよ、あなた」
まあ、ユイ君がいいのならばいいのだろう。その頭脳では明らかに他のことを超高速で考えているはずなのだが、デュアル機能なのか天才にありがちな気難しさというものを言語に表すことがほとんどない。代わりにあるのが陽光のような明るい笑顔。そして時々、雷のような肉体言語だった。いや、それを合わせての彼女、暗闇の中、あきつしまを浮かび上がらせる稲妻の光、といったほうがいいか。
 
 
「そうか、・・・・ならばいい、のだが」
たまには言い切ってやってもいいのではないか、とも思うが、いらぬ世話か。
人間の興味と好奇心は最終的には人間に行き着く、のかもしれない。新しくなくとも、人類は十分にまだ、面白いのと思う私は古いのだろうか。変革することなき古いままでも。
しかし、以前の自分ならばこの規模の実験の失敗に歯噛みし固執しただろうが・・・
この厄介な状況を楽しんでいるのは・・・・・まだ、楽しめるのは、
 
 
 
「さて、お偉いさんたちの目をくらます隠れ蓑の大実験も終わりましたし・・・本日のメインイベント、本実験に入りますかね」
 
こういうことをぬけぬけと言う彼女の存在と
 
 
「分かった。初号機を用意する・・・”ガシャ”から降りて乗り換えろ、ユイ」
それを現実の物をしてしまう実務能力の持ち主、彼の仕事ぶり・・・・のせいだろう。
 
「ガシャちゃんはどうしましょうか、これだともう動かせないけど」
「本実験終了後、中枢部だけEダイナソアに運搬させる」
「ああ、それであの子を連れてきてたのね。あの子は忠実だけど未熟すぎてこういうことの露払いにもちょっと・・・難しい仕事は無理だと思ってたんだけど、俊敏だしいいかも」
「・・・・狡猾な他の連中を地上に出せるか、それこそ大惨事だ」
「・・・・まあ、お約束の日がくるまで、眠っているのがあの子たちのためかな」
 
 
人の身でありながら魔神のような夫婦の会話を聞きながら外を見た。激しい風雨が暗闇を切り裂き続ける。接近する超巨大異常竜巻。瀕死状態にあった一つの街を今夜溺死させる。
ゼーレ気象皇庁の予報通りに。
 
もはや避難は完了し人間のいない市街に対しては、壊滅、といった方がいいのか・・・
いやさ、壊滅なればまだ復活する可能性もあるが・・・リミッターの外れた自然の猛威に蹂躙されて生活基盤を根こそぎ破壊されたそこに人が再び戻る可能性がないのならば、それは街の死であろう。別段、珍しい風景でもなくなった。時に風化されるのも同じ人間に焼かれるのもこうしてまた自然の流れに呑み込まれるのも・・・さほど違いがあるのか。ただ一個の人間が記憶するには、目に焼き付けるのは、多重な感情というものはあるが。
 
 
 
「冬月先生?」
声が疑問系なのはもしや何回か呼びかけが続いていたのか。碇のそれは無視しても痛くもかゆくもないが、ユイ君のそれときては。
 
「あ、ああ。すまない、回線の秘匿状況をチェックしていたんだ・・・それで、どうしたユイ君」
誤魔化しつつも、この期に及んであまりやばい話はせんようにと釘を刺しておく年の功。
それを指摘せずスルーするのも若さの魅力、というものだ。そして、そんなユイ君は
 
「街の住民避難はほんとに完了しているんでしょうか」
と別方面から非常にこちらの心臓に悪いことを聞いてきた。