「眠れません」
 
 
碇シンジはそう答えて「そういえば僕、夕方までぐっすり昼寝してたんですよね。皆さんこそ、休んでください。ええ、遠慮なく。師匠と向さんみたいにすやすやと」皆に促した。
 
 
「できるわけないだろうが」
一蹴されるのは分かっていたが。その目は鋭く、それを支える体力も十分な余裕があるらしい。生名シヌカ、弓削カガミノジョウ、大三ダイサン、眠気など近寄らせもせずに自分を見張る三人衆に碇シンジは正直にならざるを得なかった。家族でもない人間が夜いるうっとさを考えれば、さっさと自分の部屋の布団に入って眠る真似をするのが一番いい。
この三人(向ミチュはもう完全にただの友人宅へのお泊まりだと思いこんでいるようだが)が自分が逃げないように見張っているのが仕事だというのなら、その気がないなら眠る真似をするのが親切というものだが・・・・・
 
 
それですまない何かが起こったら・・・・当然、自分を標的とした何かが。
 
この竜尾道に拉致されてきた初日に、札無しの自分を捕らえようとした「巨大な手」。
クレーンゲームじゃあるまいし、地元怪異の福音丸のものだというそのふざけた手は弾き返すことに成功したけれど、似たような事態が起きないとも限らない。
 
そういった事態になった時、きちんと見捨てて逃げてくれればいいけれど。
 
安全宣言(竜尾道式、水上左眼式ではあるが)が出されていない以上、のんきにぐうぐう寝ていられるはずもない。今夜はなにかまずいことが起きる可能性がある。
 
 
父さんが逃げたせいで。
 
 
そんなこと、思いたくない・・・・・というのが良い息子なのだろうけど、思っちゃう。
 
大いに思ってしまう。というか、99%そうだ。逃げるなら逃げるで、なんか一言、もしくは書き置きでもすればいいものを。もしかして、父さんはヒメさん以上の手練れに奪われたんじゃなかろうか。再拉致とか。新体制ネルフ本部の元司令奪還作戦が成功したとか。
とにかく、
 
 
「今日は徹夜ですよ。・・・僕は学校にいかなくていいんですから、余裕ですよ夜更かし上等ですよ?」
 
「まあ、そうだろうな・・・これでお前に高いびきで休まれてもなんか腹立つしな」
そろそろ寝ろ寝ろ寝てしまえその間に課題を仕上げさせてもらう、と言っていた生名シヌカもそれ以上押さなかった。別に意識を失わせてでも、などと言い出さないのはやはり考えるところがあるのだろう。そう思ったのだが
 
「・・・・・麻雀でもするか?あれだけの博打打ちの家なら当然あるだろ、牌」
 
「ありません。二人暮らしですし・・・でしたし」
よく探せばあるだろうが、危険な予感がしたので回避する碇シンジ。
 
「そうですか・・・・・」
意外にも弓削カガミノジョウが残念そうに呟いた。回避して正解だった、と確信した。
 
「仲良くゲーム、って面子でもねえしなあ・・・・・・」
「そうですね」
麻雀はゲームではないらしい。本当に避けて正解だったと内心で自分をほめる碇シンジ。
 
しかし
 
 
「向も寝てるし・・・・・ここは、尋問でもするか」
当たり前の顔して生名シヌカのいうことには一気に反転させられる。僕のバカバカ!バカバカの僕!こんなことなら大人しく麻雀やって勝って勝って勝ちまくって連中の身ぐるみはいてやった方がどれだけいいか。
 
「うっ!!僕、急におなかが痛くなって・・・・・」「ダイサン」
逃げようとしたところ、生名シヌカに命じられた大三ダイサンに取り押さえられるのかと回避ステップを踏もうとしたのが読み違えだった。ドヅン、ドスン、と巨体を揺らして予想外の速度で移動する大三ダイサンに避難場所たる厠へのルートを塞がれてしまった。まさに肉の壁。そして、閉じられる避難所。
 
「まあ、逃げるなよ碇シンジ。別にとって食おうってわけじゃない・・・・今更眠気に襲われた、なんて言うなよ?先の読めることしか言わねー奴は腹立つんだ」
 
こちらは座ったまま、はじめて見るかも知れぬ楽しげな顔で生名シヌカは。
 
「どう見ても・・・・ここまでして見張るに値するヤツには見えないんだが・・・・こうして見張らざるを得ないなら、確かにその値打ちがあると、出来るなら証明してほしいって話さ。そうでなければ、つまらん夜だよ」
 
生真面目な顔のまま、弓削カガミノジョウは沈黙。つまりは同意している。
 
「逃げて見せろ・・・って話じゃないですよね?」
そこまで言われれば碇シンジも気合いが入らない、こともない、が
 
「いや、それだとモロに悪役だろう。どこの悪女幹部だそれ」
あっさり否定された。「ヒマだから身の上話をしてみろってことさ。聞いてやるから」
 
 
「そういわれても・・・・・・」
言ったところで考え、その話しやすさに一瞬ぎょっとする碇シンジ。竜号機なるエヴァに近い異形がぶんぶん空を飛び、超法規的組織ネルフのことも全く恐れる必要のない独立愚連地方、竜尾道・・・そこの住人にとっては「使徒」以外のことであれば何を話そうとごく当然のこととして受け入れられるだろう。その創世に自分の両親が深く関わっているとすればもう。わざわざ秘密にするようなことはあまりない気もしてくる。微妙に馴染んでしまっていたのか、よく考えるとこの市街はかなりやばい。
 
 
「じゃ、お前が尋問してみな、碇シンジ。相手は誰でもいい。この生名さんでも弓削でもダイサンでもな」
長生きできない感じだな、などと余計な感想を思っていると
 
「え?」
意外な追撃が。まるでゲームのように。それで、つい
 
 
「この街ってやばくないですか」
 
 
バカを超越して、ド正直な問いかけをついやってしまった。質問とは言い難く、街に愛着を持っている者ならば悪口にしか聞こえまい。これで相手から引き出せるのは怒声か軽蔑か・・・・
 
 
 
 
「やばすぎる、ね」
 
 
と、そう言ったのは同時刻、海竜寺で寺犬といっしょに串から肉を外しながら石碑に座って焼き鳥を食べていた水上右眼だった。見ての通り、市街の厳戒態勢を完全に無視していつもの通り、気ままに風来していた。外見でいえば風来嬢なのであるが。
 
 
「やっぱり、ヤバすぎますか・・・・この警戒状態。どっこもかしこもえらくキンキンきてるじゃないですか。賭場まで閉じるなんて・・・・一体何があったんですか」
背後から砂利を踏んでやってきたのは坊さん、ではなく、子分のサーラ皿山であった。
 
「あら、皿山。どうしたの、お前、パトロールに行ってたんじゃないのかい。だめだね、高速のアシがある身がこういうときに地域のために駆け回らないってのは・・ほらお食べ」
もちろん最後のは皿山に言った台詞ではない。賢い寺犬に言った台詞で焼き鳥の肉のことだ。自分のことは棚にあげつつ。
 
「町内会のオヤジども、やばい奴が現れたらお前に即任せる、嫁は探してやらんけど骨は拾ってやるから心配するなとかフザケたことぬかすんで帰ってきました」
 
「まー、ほんとのほんとにやばいのがやって来たらもうお前に対応させた方がいいだろうね。犠牲は少ない方がいいし、そうなるとお前が最初に相手したほうがいいだろ。皆がやられていよいよまずくなってようやっとご到着、なんてのはただのグズのノロマだよ。・・・・あんたはもうちょっと味わって食べたらどうだね」
 
「うっ・・・!!もしかして、オレが抜けて帰ってきたのってかなりまずいですかやばいですか」
 
「こっちも千里眼じゃないしねえ・・・・でも皿山君も小父さん連中にいじめられてかわいそうだし、ここにいればいいんじゃないの。一緒に焼き鳥でも食べて」
 
「い、いや、やっぱりちょっともう一回りしてきます!・・・まさかあのバカアマ返り討ちにあってたりとかしないだろーな・・・・・じゃ!失礼しまっす!」
 
「あ、皿山」
 
「なんですか!?もしや悪い予感が走ったとか!?ターボかけて急げ皿山!とか?ただものではない怪物の接近を予測してオレを引き留めるとか!?いや、止めないでください」
「帰りにビール買ってきて」
 
「え?」
 
「あとカールも。うす味のやつ」
「は、はい・・・・じゃ、いってきます・・・」
 
 
走り去るバイクの音が完全に消えてから、つぎに砂利を踏む音がした。
 
 
「もう危険はないんじゃないの?もともと外部と示し合わせた内応行動でもないようだし」
声は少女のもの。夜闇に映える青い瞳。黒いレザーのツナギ姿。ヘルメットはないが
 
 
「おや、乗るようになったの」
答える水上右眼の声には見抜いた上でのからかいがある。
 
 
「まさか。送らせただけよ。・・・・あんまり心地いい体験でもないしね。それでも、そうでもなければあんたは捕まらない・・・・って、それでも四度外したけどね。着いた当日のアレはほんとにラッキーだっただけね」
姿だけはライダーのそれだが、別にバイクに乗ってきたわけではないラングレーであった。
 
 
「もし、今回の境界突破のドサクサで外敵に侵入された場合の危険度を計測するなら・・・・・最高値は今、ここなんでしょうけど。エヴァ・へルタースケルターの操舞者、水上右眼のいる”ここ”が」
 
「知らない者の方が多いからね、”そんなこと”は。ここに札無しで入ってこれた幸運、そしてへルタースケルターのことを知っていた幸運、そんな幸運大王ならかえってこんなところに来てる場合じゃない。愛する者のもとに花束でももって押しかけるべき命短し走れよ乙女・・・・・と、そんな話をしにきたのかい」
 
「いや、もちろん。違うわ。確認しにきただけ。今回のことで、”揺らいだ”かどうか」
 
「いんや。揺らぎもブレもほとんどない。もう調整済み。もう少し稼いでいられる」
 
「・・・さすがは碇、元司令、なのか、あんたを誉めるべきなのか・・・・」
 
「別に、息を少し深く吸うかどうか、くらいの違いしかないよ。そんな程度のことさ」
 
「・・・・・まあ、そうかもしれないわね。息を吸うように、か」
しばし、沈黙がおりる。自分はとにかく、相手はヒマとは縁遠い。ゆえに右眼は問う。
 
 
「用事は済んだ?」
そのまま首肯して立ち去ってもよかったのだろうが、今度も捕まえられるとは限らない。
駄賃のようではあるが、こちらが出て行く前に言っていたことについて尋ねてみるラングレー。もしかして、あれは出番を控えていたこちらに対して告げたことだったのか。
 
「・・・・そういえば、やばすぎるっていうのは、何を指して言ってたわけ?・・・・あのドラゴンのこと?」
自分のことか、と言うのもちと憚られたので、あえて豪然としてある竜を指してみる。
ここで自意識過剰だととられるのもシャクに障る。特にこの女相手では。さすがに恥ずい。
 
返答は意外なもので。
 
「いんや、この過剰反応のことだよ。髭の旦那が消えたくらいで騒ぎすぎだ。2,3日知らぬ顔でほうっておけばいいものを・・・何を怯えてるのかね・・・」
表情の天秤のわずかな傾きをラングレーは見逃した。
もとよりそのような情緒関連はあまり得意分野ではないのもある。惣流アスカならば確かに感じただろうが。
 
「怯えてる?あれで?あれが?」
暗殺を恐れているなら、まさに手の出しようもないあの竜の中ならそれはそうだろうが、見ればわかる。それは違う。あそこで街の支配者は己の仕事をしているだけだ。
ラングレーの目にはそのようにしか映らない。その間に右眼の天秤は元の平衡に戻り。
 
「動揺してるっていうかね。とにかく、やばいのはあの髭旦那が戻ってこれなくなることさ。まあ、そんな下手を打つとも思えないけど・・・なにせ・・あの鬼オバさんの旦那だから」
 
「戻って・・・・くる?碇ゲンドウが?」
 
「べつにあたしも千里眼じゃないからね。そうでなければ困るって話さ。あんたは困らないかい」
 
「困るってほどじゃないけど、いた方が話を通すのに都合がいいかしらね。よそ者だし・・・・じゃ、そろそろ行くわ」
 
「すまないね、忙しい旅行者に地元の心配までしてもらって」
 
「別に。沈む時期を知りたかっただけよ。その前に逃げるから」
照れもなく本気発言のラングレーも立ち去った。
 
 
「ずいぶんと重心がかわってきてたなあの娘・・・あの調査能力で何を探してるのか知らないけど・・・・教えておいた方がよかったかな・・・・なあ、わんころ。この寺に伝わる名言をさ」
見上げる犬は答えない。この夜中に得体の知れぬよそ者が来ようと吠えもしなかった犬は。
 
 
「極楽は、東にもなく西にもなく、北(来た)みち探せ、南(皆身)にあり・・・ってね。まあ、外人さんに言っても分からなかったかもしれないね」
水上右眼はそのままビールとカールがくるのを待っていた。
 
 
 
「・・・あの人を待っているだけだ」
生名シヌカの返答はいかにも合致していない。どこか遠いところから拾ってきたような感じであり、碇シンジとしては怒声でも軽蔑でもないことに一安心しながら首をかしげるほかない。たぶん、それは説明の言葉ではなく、地元民の心情がこぼれたものなのだろう。
「この街は・・・・」
 
「特殊な地理状況にあるのは認めます。隠れ里というにはあまりに活動的かつ生産的ですし、あまり公表もできない人や金銭の流れ、交流の場になっているのも確かです。・・・外に楽園を求めるでもなし、居心地は悪くないと思います。ですから、心配されるほどでは・・・たとえるなら、貝のように。外から見れば殻の硬質で中身をうかがうことはできませんが」
生名シヌカの言葉を弓削カガミノジョウが遮った。余計なことを言うべきではない、あなたもいまのは忘れてください、と射抜く視線が矢のように。一つは命中り、一つはハズレ
 
 
「貝・・・・・・貝は夢を見て夢を吐く・・・・そして、生まれ変わる・・・・」
 
あらぬ方向に気持ちを浮かせているらしい碇シンジが呟く。なぜか艶っぽい。
役目正論の年下の釘どころか矢に当たって苦い顔の生名シヌカも、鋭く放った当人も一瞬、ぎょっとするような匂色であった。いつものバカボンからのこの切り替わり、驚異である。
「それって・・・・・ハマグリ?」
 
 
「え・・・・・あ・・・そうかもしれません。まあ、蛤でもいいかと・・・貝ですから」
問いかけの意味がよく分からなかったが、とりあえず頷く弓削カガミノジョウ。話が危険な箇所から逸れていくのが望みでもあった。
 
 
「・・・・あー、あ。とにかくお前の手番は終わったから、今度はこっちの番だな。さっきの続きになるが碇シンジ、お前はなんでこんな目にあってるんだ?父親の巻き添えにしちゃおかしいしな・・・水上城のやり口らしくない・・・腫れ物扱いっていうかな」
 
「生名さん・・・いいんですか・・」
碇シンジをおでき野郎扱いしたことが悪いといってるようではない弓削カガミノジョウ。
 
「別にいいだろ。会話を禁じられたわけでもなし。当人がブツクサ自問自答の独り言を言っていたのを、たまたまあたしらは聞いてたんだ。監視役として当然のことだろ。それを言うなら向の睡眠の方がもっと問題だろ・・・って電気人形みたいに起こしやがったら・・・・」
「しませんよ。聞かせたくもありませんし・・・・それで?」
 
 
「あ?僕?そこでバトンが渡ってくるから・・・・・なんでこんな目に、っていうと長い話になるかな・・・聞きたいですか?」
 
「まあ、途中で聞きたくなくなる可能性もあるけど、そうなったら遠慮なくストップかけてやるから。あー、先に言っておくが、女が絡んでどうこうとかいう恋バナだのノロケ系の部分は削除してくれ。聞きたくない。弓削、お前もいいだろ」
「勿論です。ではどうぞ」
 
「そうですか、それでは碇シンジ、一席ぶたせていただきます・・・時は西暦2015年」
「ストップ」
 
「ええ!?もう集中が切れたんですか?カルシウム足らなすぎじゃないんですか」
 
「いやそうじゃなくて。なんでお前の個人メモリーにいきなり年号いれてんだよ。そんな記録映画じゃないんだから、重箱の隅からスタートするような真似せずに、もっと要点を
絞ってだな・・・・」
 
「そ。ドカベンの真ん中を、ガバーッと梅干し掘るみたいに、だ。ね、シねーちゃん」
 
「そうそう、ダイサンに言われてりゃおしまいだよ、お前。しかも話始める前に膝を払って正座なんかしやがって小癪なんだよその気合いの入れ方、薬屋の福助人形かてめえは」
 
「それは別にいいと思いますが・・・」礼儀正してこの言われよう、さすがに立つ瀬がなかろうな、と弓削カガミノジョウでさえ思った。碇シンジの目の色が変化したようにも思えて抑えにまわる。
 
「いや、絶対気色悪い。いかにも今から作り噺しますよ、って宣言されたみたいで腹も立つ。というわけで、手短な感じでやってくれ」
が、遅かった。
 
「そうですか・・・・・じゃ、手短に。僕、水上左眼さんの乗ってるあの、竜号機ですかね、あれに乗れるかもしれないですよ。これがどうも、こんな目にあっているタネみたいです」
そんなわけで、ご要望に応じた急所の一刺し。其は絶妙の呼吸。