傑作とは、いえない。
 
 
「作品」であるのはどちらなのか・・・・今になってようやく思えるのは完成に近づいてきた証なのか。それともただ完了、終わりが近づいてしまっただけか。
ひたすら駆け抜けてきた昔はそんなことを思う余裕もなかった。
どちらか片方、それとも両方。他のことは考えずただひたすら練り上げてきた。
捩りあわせるようにして月日を編み込んできた。片方だけでは立ちいかぬ。
二つそろってはじめて作ることができる。
 
 
その姿
 
 
今現在の機体の形を見る者は異存もないだろう。その実物を目撃した者は誰もおらず、あくまで想像上の、言ってしまった者勝ちであるところの、色や形、性質よりもまず「強存在であること」を示す形容・・・・その割に食物連鎖の頂点とされたようでもない・・・その内に神威やら大自然への畏怖やらを詰め込み、それからあまり俗世のことは考えない・・・なんでもあり高次元の、地上には収まりきれないナガモノ・・・・つまり竜
 
 
ある人から「竜」だとされたその姿。今となっては誰からも異論は出ないだろう。本物の竜を見た者などいないのだから。化石ならあるかもしれないが、それは、生きている。
 
 
己と、ともに生きて、生きてきた。
そのように生まれたわけでもないのに。
それと名付けられたから、そのような形になるべく、変化してきたのだ。
それは、成長ではない。目を覆ってしまいたいほどねじ曲がった変化だ。
自然界にもとより直線のものなどないが、それでもこれは酷かった。
道などない荒れ野を切り開いてきた。手元にあった地図を燃やし迷宮を抜けてきた。
 
 
竜などと呼んで欲しくなかった。もう、ありのままトカゲの足でよかった。
そうすれば四足で移動する足は直立する必要はなく、広い世界を移動することもないから海を飛ぶ必要もないから翼もいらない。手が使えなければ刀を鍛えることもない。
 
 
けれど、
 
 
トカゲの足にくっつく己はなんだというべきか。トカゲの尻尾か。切り離されても再生可能で、とりかえしのつく、コピーで、危機において大事な命を逃す、それも重要な機能であろうが、その時の自分にそのように考える余裕も度量もなく囮をうまく果たす頭もなかった、あったのは胸を焦がす情念と勢いだけ・・・それは作品造りという冷静な揺るぎなさとは全く相対するものであり。己を今の己に変化させたものは、造りかえていったものは己の意思や志などではなく。
 
 
まだ世の中が混乱中で熱く煮え滾り大きな荒事をやるのに向いていた時代
 
奈落の舞台、その中央に閻魔のごとく突き刺さる一降りの血刀
 
己が刀を打ったのか、刀が己を打ったのか・・・・
 
 
いずれにせよ血肉を鍛えて鋼とした。はじめからその名を知る者には想像も出来まい。
己らがただの土塊であった日のことなど。地に這い回り輝きなど無縁であったことを。
 
 
エヴァ・・・巨大な力を宿す神像を己のものとして感じ操る才能・・・・・輝く金剛日輪にも喩えられるであろうそれ。息をするように、それを成す己とほぼ同じ血肉をもつ存在。
 
 
へルタースケルター。
 
 
おそらく、ここで己は嫉妬に狂わねばならないのであろう。あまりの才能の差に。
天への遠近に。与えられたギフトの量に。悶え苦しむところなのだろう・・・が。
 
片眼から連続するもっと具体的で強烈な別の痛みでそれどころではなかった。それは変化の第一段階であり受け入れるほかなく癒すことなど出来はしない。孤独に対峙するほかない痛み。狂い、正気を失えば、あっという間に乗っ取られる。片眼と同化した「破片」、孫六殲滅刀の中枢生体部品・・・古来から続いた刀鍛冶と剣士の魂を刷り込んだ、という触れ込みのその部品は情け容赦なくこちらの体を奪い取りに来た。悪い冗談だと思って聞いていたが本当だった。誰がそんな金属を作ったのか。形状記憶どころか思念伝達合金。刀であればその「生きた」支配伝達具合が良かったのだろうが、もともと生きてるこちらに同じ真似された日にはたまったものではない。・・・あのまま、刀剣の亡霊どもに体を乗っ取られていたらユイ様や冬月先生はどうするつもりだったのか・・・・あまり対応を変化させてくれそうもないし、もしやもうそのつもりで相手をしていたかもしれない。ユイ様はなにせこだわらない方だ。
知識や技能だけは有り難く、慰謝料代わりといってもいいが、頂いた。刀剣制作や剣術開発の情熱はあくまでも己のものだと信じたいが、境界線が引ける代物でもない。たまに降りてきた、としかいいようのない感覚があるのだが、それはモノ造り一般に通じる話であろう。
 
 
そして、慰めもあった。小さき者には小さいモノ。弱い者には弱いモノ。なりそこねの。
 
マスコット、などという可愛らしい代物ではない。どちらかというと妖怪人間ベロ的な。
ベロかわいいんじゃん!ベロ!という意見はこの際聞かないことにする。
ベムかっこいいじゃん!ベラ美人じゃん!ベラはオレの嫁!という者は好きにしろ。
 
ユイ様たちは「月光」とか「ぴょん吉」とか「メタルギア」とか「平安京」とかどういうルールなのか不明だがおそらく、その日の気分で呼んでいた。まあ、おみそ扱いだ。
そして、無銘。
 
運搬役の今回の用事が済めば、再び地の底に「埋められる」ことになるはずだという
出来損ない・・・エヴァになりそこねた悪部品の寄り合わせ・・・「魂がないの、そのコには」とユイ様は言った。どうやって生まれたのか分からないから、怪物の子ですらない。子怪物、とでもいうべきか。その孤独ぶり・・・・遙かな時空を跳んで現代に迷い込んだ恐竜の子を連想させた。実際は、地元に帰ればその地の底の墓場にゴシャゴシャ仲間がいたらしいが、その当時はそんなことまで知らなかった。こちらも子供であったから。
 
 
子供の頃に見た映画から「ぴー助」と名付けた。文字通りに天を衝くへルタースケルターの威容とはあまりに違いすぎるその小さい埋められ者に。速度はとにかく、馬力にして一馬力あったかどうか怪しいくらいの弱々しいハ虫類がゴールであったらしいそれに。
 
殲滅刀の破片集め、という仕事が故郷延命の事業に変わったあとも乗るのはぴー助だった。
この世にこれほど便利な乗り物があるのか、というほど相性がよかった。速度に高低悪路性能、化石燃料にこだわらぬ燃費の良さ、そして周囲の風景に溶けこむ光学迷彩能力。
雲に乗るような、というのは言い過ぎとしても、鎌イタチの橇にでも乗ってるような。
あの空間の切れ味を知れば、もうバイクだの車だの旧弊な代物には乗れたものではない。
あの頃はよっぽどアンタの方が暴走族だったとか姉は言うが、聞こえない。
夜明けの廃棄高速道の途切れた先を、紫の空に向かって飛ぶ快感を知るのだから爆走族といってほしい。
 
 
なにはともあれ、その当時は人を集めるのが仕事だった。
そもそもの始まり、天災に七たび破壊され破壊しつくされたはずの故郷を「切り取り」して救った孫六殲滅刀、その再生を目論んでいたのだ。刀を完璧に再生させ姉のへルタースケルターでそれを振るえば・・・「奇跡の再現」になりはしないかと。それを実現させるためにどれほどの人材が必要になるのか・・・・破片の知識で刀剣鍛錬に関してはある程度の見当はついたが、それ以外となると・・・もちろんユイ様たちには秘密なのであるから頼れはしない。そんなことは不可能だ、と告げられるのが落ちだろう。
資金と資材にしても、こんな地方市街を十回復興させる以上のものが必要になるだろう・・・・・などと見当がつくのも最初に味方につけた三次出張所のあの男に聞いた後だから無茶もいいところだった。
 
 
ぴー助の背にある疾走感がなければとても前に進めたものではない。
姉とへルタースケルターは地元にあって後ろ盾になってもらわねばならぬのだから行動は常に一人だった。求心の旗、力の秘宝であり、無敵にして最後の担保であったからおいそれと動かせる代物でもなかった。戦争をしようというわけではないのだから・・・・。
 
 
が、人が材であり財であるのならば、それを集める所業はやられる方にしてみれば戦争を仕掛けているようにしか見えないのも無理はない。その認識の甘さが、ぴー助を殺すことになった。