郵便配達も届かない人里を遠く離れた深山にも茜色の風が吹く。
 
目の前には、大きく揺れる、天に一筆何字いれようかと悩んでいるような青い髪。
仙人が使う宝貝・禁鞭のように長い、長い髪。先の先まで霊力の充ち満ちた特別の浄髪。
どのような宗派の神殿に掲げられてもおかしくはない、その見上げるに邪心を忘れさせ雲上の安らぎをもたらす美しい髪が風に靡き自分たちを導いている。そして実用的な効果としては、毒虫よけ。髪から漂う不思議な香気が生命にかかわるほど集ってくるはずの虫たちを周辺に近寄らせなかった。その他毒蛞蝓毒蛇毒蛙は言うに及ばず。毒物の王、奔枯朱蛤(ボウコシュコウ)ですら。
 
「少し、冷えてきましたね・・・・寒くありませんか」
その髪の持ち主、自分たち二人を連れる旅の主が顔だけこちらを向けて歩をゆるめた。
まだ若い。とても若い。七星の巡る片眼鏡をしたやさしげな・・・どう見ても十代、それでいてどこか侵しがたい風がある。かといって腕がそれほど立つわけでもない。ただ、その美しい髪に免じてか、夜鬼でも暗虎でも道を黙って譲ってくれた。事実、そのようなケースを何度もこの目で見てきた。獣は格を一目で見抜く。喰われもせぬのにわざわざ争うこともない。道を迷わせ己の形代にあの世に引きずり込もうとする霊物もその髪に一撫でされれば満足して消え果てた。彼らはどこへ消えたのか、「天国ですか」旅の途中に問うたことがある。「神様は世界に線など引いて国をつくったりしませんよ。ただ人は・・・」
「ただ?」その続きが思い出せない。目の前をゆくこの人はなんといったのだったか・・・・
 
 
 
その名を、その顔を知っている。知らずして旅を同じくするはずもないが、「綾波レイ」は自分たちを先導するこの文人の風格ある若者を知っている。確かに。それは黒羅羅・明暗のはず。対になる名であるは朱夕酔提督、だが・・・・
 
 
蒼青浄幻帥
 
 
「この先に野生動物の生態観察キャンプがあります。このご時世ではおそらくもう使われていないでしょうが、そこから天京が見えます。できれば街の灯を見ながらあなたたちのこれからの暮らしについて教えておきたいのです、もうすこしがんばれますか?零零(れいれい)、晨晨(しんしん)」
 
自分たちのことをこう呼んだ。いや、正確には自分のことを「零零」と呼び、隣にいる紫の頭巾をかぶった小さい男の子をことを「晨晨」とそう呼んだ。
 
「応です」晨晨が答えた。幼い身で歩きづめの旅は辛くないはずもないが、それを隠しながら。蒼青浄はそれに微笑んで曰く
「あなたはなんといわれても応、としかいいませんから、逆に心配になのですが・・・・・・まあ、男子ですものね。それで、零零、あなたは先ほどからずいぶん静かですね。・・・・まだなにか感じますか」
 
「ぱ、パンダに会えますか!、そこで!」
自分の、零零と呼ばれた自分の口からそんな質問が飛び出したことに驚く。しかもかなり熱心に。隣の晨晨も目をぱちくりさせて少し年長であるこちらを見ている。思わず赤面したのは自分だったのか、零零だったのか。
 
「そうですね・・・機材が生きていれば位置くらいはわかるかもしれませんが。運が良ければ会えるでしょう。けれど、元気なパンダは豹とも互角に渡り合える猛者ですからねえ」
旅の主として導き手としてはさほど会いたい相手ではないようだが、零零を気遣ったのだろう。語り口は夢を壊さないように穏やかなもの。笑みは晨晨にむけたのと同様に優しい。
「天京にいけば、たくさんの動物と会えますよ。なにせ交通運搬手段の三分の二が自動車などの機械ではなくて生物が担っているような街ですからね。我が天の京は」
 
「は、はい」赤いままの零零の返答。向けられたその笑みに照れているのか、パンダに喜んだ己の幼さを恥じているのか、まあ、かなりのおませだ・・・・・と綾波レイは思った。
 
それに、自分たち一行の背後を機嫌良くついてくる・・・杯上帝会の紋のついた行李を背負った「鰐」・・・土偶を思わせる皮の厚そうな鰐だ・・・白黒熊よりそちらのほうがよっぽど驚きだ。体高が低い分、こうした木々の深い山を同行するには都合がいいとはいえ・・・肉食動物が襲撃してこないのも蒼青浄の人徳以上にこの護衛がいるのもかなり大きい・・・・・不思議と行李の中の食料や着替えはいつも新しく減ることがなかった・・・
 
 
そして、今晩はそこで泊まることになるであろう、生態観察キャンプに向けて歩を進める。
子供だけの、乗り物にも乗らぬ異様の旅の風景・・・・・・
 
 
 
それは、まぼろし
 
 
 
光馬天主堂に足を踏み入れた綾波レイは、感情がないだけにすぐさまそれが幻影だと分かった。この場に強く焼き付けられた残留思念・・・・過去であると。
 
ただ、どうすればそれが終わるのか抜け出せるのかは分からなかったが。
 
 
自分の視点は俯瞰ではなく、零零、この少女のものと同じくされている。もはや惑わされることがない身ではあるが、それなりに精神状況も同調されているふうでもある。
 
 
そうなると、晨晨、この子供の視点を碇シンジが借りながら、同じくこの過去の幻影を見ている・・・・とは考えられないだろうか。零零にアプローチさせることは・・・不可能。もし、出来たとしても知らぬ顔をするに決まっている。それに、希望が過ぎる。到着の時間差と招かれた客と招かれざる客とは扱いもまた異なるであろうし。感情がないだけに焦りも苛立ちもない。ゴール直前でずいぶんと待たされるハメになったが、恐れることも怒ることもなく、ただ眼前の光景を見続けていく綾波レイ。それはどこか時の流れを超越した伝説上の神鳥のようでもあった。
 
 
小屋の梁から吊り下げられた鍋が湯をボコボコと湧かしている。薪よりは丸太といっていい大きさの燃料が明かりも兼ねていた。放棄されて久しい様子の観察キャンプはそれでも一夜を明かすのには十分使えた。これまでの旅行きのことを考えれば中の下、といったところ。人目と人の多いところをなるべく避けたこの旅の目的は、零零と晨晨、この二人が天京まで辿り着くこと。お経をとりにいくわけでもないのに、ひたすら徒歩である。道なき山をゆく。乗り物にはまったく乗らない。渓谷だの川越えだのよほどの難所であれば鰐が乗せてくれたが、その速度はいうに及ばず。人目につかぬことを第一とした隠密行。
 
仲間割れかそれとも党軍にやられたのか、半壊した匪賊の屋敷に泊まったこともあれば、とうの昔に死んだはずなのにその遺体がいつまでも腐らないという猟師小屋で夜を明かしたこともある。もともとこの不思議な青い髪の若者と二人が出会ったのは、墜落した戦闘機から漏れ出たウイルス”キョンシー”が原因の伝染病で党軍からのワクチンも間に合わずにあっけなくほぼ全滅してしまった山奥の村。防護マスクもつけずに村に入ってきては生き残った二人の子供をそこから連れ出してこのような道行きに付き合わせている・・・・その綺麗な青い髪のままに流されている・・・・・否応もなかった。村を囲んで立ち往生していた党軍の人間に保護されるかこの青い髪の若者に連れられるか、判断を求められたのは若者からだけで、党軍の人間も若者の意向に逆らえないようであったから。
 
 
自分の京をもっているという、この若者の言葉を頭で信じたわけではない。いくら山奥育ちとはいえ、そのくらいの分別はあった。そこは自分たちを受け入れる約束をした場所。ただ、若者の言葉にはそれを心に信じさせるなにかがあった。焦土となった故郷にはもう住めない。
 
 
「機材は・・・さすがに貴重品ですから持って下山したようですね」
この観察キャンプのように。棚には苔むした大量の資料。いずれ時が過ぎてもう一度動物学者達がここまで登ってくれば活用されることもあるのだろうか。
「残念ですね、零零」
 
 
「そ、そんなに見たかったわけじゃ!ありません。確かに珍しいな、とは思いましたけど。旅の途中なんだし、”新濫我”も慣れるとかわいいし!黙って荷物を運んでけなげだし!」よほど見たかったのであろうな、ということは綾波レイにも、目の前の青い髪、書青浄にも分かっている。疲れたらしい晨晨は、もううつらうつらしている。確かに、書蒼浄に盥に張った足湯で洗ってもらうと非常に気持ちが良く、零零もあやういところで寝こけてよだれをたらすところだった。過酷な旅ではあるけれど、こんなふうにこまめに面倒をみてくれるからついていけるのかもしれない。なんのために自分たちを連れて行くのか・・・・このような面倒な旅をして。ただ天京とやらに運ぶだけなら楽ちんな交通手段はいくらもあろうに。
 
もし、この人が人さらいなのだとしても・・・・・ずいぶんと割に合わない、と思う。
それに、悪い人には見えない。・・・・・やさしい。
村に住んでいた時には、古い古い超級風水士の家である自分たち親子は敬せられつつ避けられ恐れられていた。表看板は酒屋のそれを出してはいたが、あまり客も来ず村の者はまず飲みはしない葡萄酒だけを造る妙な酒屋だった。当然、妙な噂も立ち、たまに立ち寄るのは裏家業の者ばかり・・・家族以外の人間からこのような扱いは受けたことがなかった。
疫病に潰された村から自分たちを救い出してくれた恩人とも頼っていたし・・・この子は
 
 
利用されているなどと、夢にも思わない。
 
 
感情がないだけに、感情移入することもなく冷静にその関係を見抜く綾波レイ。
 
朱夕酔提督、という明暗とはまるで別物の別人格を隠し持っていたフォースチルドレン。
そのうちの二つは使徒バルディエルの欠片が演じていたのだから、セカンドチルドレンか。
やはり人格が四つあり、朱夕酔と対になるのがこの蒼青浄であるとするなら、自分の知る、第三新東京市で出会ったあの明暗よりわずかに若い。時期的に、教団を成長させる発展期だろう。杯上帝会、その名の通り、威徳の基礎となるのは聖杯。それも本物の聖杯をこの教団は所有していたが、こともあろうにマルドゥック機関をはじめとするゼーレの部門と事を構えたばかりに潰された。崩壊混乱期にその在処を吐かぬまま前教主は墓の下へ。明暗の話どおりなら天国にはいけそうもない人間だったようだが・・・。エヴァと使徒が地上を闊歩する現状においてそういった聖遺物がどれほどのものかはよく分からないが、大事な者たちには大事なのだろう。一度、自分たちで潰した教団を自らの手で復興させてまで、それを得ようとする・・・・・・
 
 
それは使命。そのために使われる者。
 
 
聖杯探索の旅
 
 
まるでどこぞの円卓の騎士のようであるが、その陣容はかなり文弱。その探索方法もこうして風水の家の血を引く者をダウジングロッドとして深山を彷徨う、というおおらかというか非効率というか、まさしく神のご加護でもなければ見つけきらんだろうという呑気さ。
 
 
またそれも、さもありなんで発見方法はこれ一つではないし、だいたいこのエリア内にあるとも限らない。子供の足ではいくら毎日歩きづめとはいえ、稼げる距離はたかが知れている。わずかな手がかりをもっているはずの教団崩壊時に蓄電した幹部連もまだ見つかりも戻りもしていない現状では、あてづっぽう以外のなにものでもなかった。それでも、純真に神を信じる蒼青浄はこの行動が目的に向かって前進していることを確信していたし、事実、その通りになった。聖杯そのものが見つかったわけではない。前教主・黒基督が聖杯を隠した場所を教える品物が見つかったのである。”金花十字架”・・・十字架に少女娼婦の彫金がされた、てのひらくらいの品物であるが、これもまた聖遺物には及ばないが、”返答する神”と命名された最高級秘祭具・・・・機能的には情報保持性能を持つ、テープレコーダーのようなものであるが、その中には原初基督教の者たちの”肉声”が入っている。紀元の渚、大昔ににそんなもんがあるわけがない、いわゆるオーパーツというやつであるが、どういうわけか、彼らの手に入って使われたらしい。数ある奇跡のうちのいくつかの種はこれ。教団崩壊時に散逸した宝物の一つでもある。金気と縁があるが基督教とは縁がない零零は本人も意識することなく、これを見つけ出した。これに聖杯の隠し場所を吹き込んである、と見た蒼青浄は解析のためと、そろそろ子供二人にふつうの暮らしをさせるために、帰京を決めた。
 
そして、それも到着まであとわずか。出迎えを用意させてもよかったのだが、二人と行動をともにするのもこの旅で終わり、聖杯が見つかればこのように自由に動くことも出来なくなる、教団のために神のために身を捧げる覚悟はできているが、わずかな猶予と、この子たちだけの、不平等不公平な教えを、愛情を、もう少しだけ注いでいたい、天京に入れば誰にも公平に接しなければならないから。本来はこの厳しい探索行にはこの子達の親を雇うつもりであったが、あんなことになり大幅に予定が狂ってしまった。世界の毒という毒を浄める己の身体能力を頼りになんとか二人だけを助け出せたが・・・・・教主などと名乗りながら、わずかに二人の命だけしか救えなかった。すぐに天京に戻る気にはなれない己の弱さに付き合わせて彷徨わせて・・・・・己の弱さに嫌気が差す。
 
 
だが、生きる道はこれしかない。
 
 
たとえそれが外部による操作、聖杯を奪う手段にすぎないのだとしても、教団の再生がなされるなら、この乱世の大陸、裂華の時代、苦悩難儀する民衆に安らぐ場所と時を与えることができるのなら。マイスターカウフマンに教団の土牢から救われ、無慈悲な神とは無縁な人の、超人たるチルドレンの教育を受け・・・・ギルプログラムを己の基盤と焼き付けて生育し、そして資格を得て初めてエヴァ参号機とシンクロした時、いかな異常が発生したのか、機体は無惨に爆散し、黒かった己の髪が白を通り越して青く染まり・・・・エヴァと同調する能力を喪失しチルドレンの資格を失った己に残され与えられたものは。
 
 
機械仕掛けの神から、言の葉で創り上げる人の神へ
 
 
「なんだったのでしょうね・・・・・・・」
 
 
それは、うつろな幻か。それでも、神のいる場所をこの地上のどこかに・・・・
 
 
蒼青浄の目がこちらを見ている。すでに零零も晨晨につられるようにして炎の明かりのそば、壁にもたれて居眠りしてしまっている。その目は、零零の中にある・・・自分を見ている・・・・綾波レイは、相手との無尽の距離を感じ取る。声にならない声で焚き火に揺らぐ影のような相手に語り続けていた。
 
 
ああ、このひとたちはもう。
 
 
このひとは自分たちの知る黒羅羅・明暗ではない。違いすぎる。浄くはあるが強くない。
あの全てを吹き飛ばすような猛風のごとくの強さは全く感じられない。
弱みなどなく。戦えば戦うだけその分だけ無限に強くなっていく、化けていく者たち。
心に止まり続ける人。心などないように自在に振る舞う、あの人、あの人達。
 
 
だが、自分は知っている。時間軸でいえば、教団を育て上げて、エヴァ参号機を乗りこなし、これからあの明暗になっていくのだと。綾波レイは知っている。
 
「ほら、見えますか・・・・・」
 
約束通りここから天京が見える。裂華の大混乱期、テロにより暴走し放棄された原発跡を一年半かけて1人で浄め治して何者も恐れて近寄れぬ、禁忌の聖地を己のものにして拠点として活動する・・・市街の形をとった聖杯探査キャンプが。
 
 

 
 
kuraokami
 
 
takaokami?
 
 
内部になんとか上に上に奥に奥に押し寄せようとする電子の泥棒を大量に抱え込み返り討ちにしていくのに忙しい<天眼>が第三新東京市に向かって現存するいかなる航空機にも不可能な超高速で西の空より飛来する物体を感知し検索しそれを敵性体、砲撃対象として認知したのは、コーンフェイドが無責任というか映画チックというか、あとはお任せで巨大拳銃を投下したのとほぼ同時。周囲の状況が完全計測済みであれば放電攻撃の照準は刹那。
なぜ、それを”敵”だと判断したのか、天眼自身にもよく分からない。プログラムされた己にそのように命令した・・・・・制作者がいればそのように判断するのだろう、としか。元来、存在するはずの狙撃手、使用者たるエヴァ初号機搭乗者からの号令があるはずもないが、・・・・・・その点において判断に遅滞が生じタイムラグが発生したが・・・
 
 
takaokami?
 
 
kuraokami
 
 
その隙に厳重にプロテクトされていた放電機能の外部へのアクセス門がわずかに開き・・・数名の盗人がそこへの侵入に成功した。戻ってこれるかどうかはまた別問題として
 
びか
 
<天眼>は発令所の人間が止めるどころか、モニタすることもできぬ速度で放電砲撃した。
謎の笛吹男に騙されて都市じゅうの電気ネズミ十万匹がいっぺんに連れられたような
全エネルギーを用いるわけにはいかなくとも使徒の2,3体はまとめて骨まで残さずに焼き殺すに十分な威力。たとえ速度が規格外の超高速であろうと天眼の目から逃れられるはずもない。
 
 
同時に、SPAWNロボが奪った、起死回生に弐号機が手にするはずだった拳銃”炎名”を二発、鉾に向けて撃つ。鉾が撃ち抜かれては機能を維持することは不可能、もし、浮上する第二支部が鉾の支えを失い、落下するようなことになれば・・・・・・それほどでもなく天眼の照準が狂う程度のことであっても・・・広範囲烈震以上の大災害は間違いない。
もともと、SUPERロボでもあるSPAWNロボには地球規模の狙撃能力がある。慣れない武装であっても二発とも外す、ということは、その確率は微生物学的に低かろう・・・・・計算する度胸も時間もネルフ発令所にはなかったが。
 
 
敗北
 
 
その二字が肌を焼き刻印する肉が焦げる幻臭をともなってスタッフの目を閉ざす。
 
 

 
 
「まだ、こんなとこにおられたんどすか」
 
 
紅葉の着物に、アラバスターの体、体の前面を覆う巨大な仮面、仮体をつけた異様の人物、六分儀二十七章が幽閉されている碇ゲンドウにあきれたように声をかけた。
 
 
竜尾道・大林寺(おおばやしでら)・寂神房(さびしんぼう)
 
 
根城である第三新東京市はネルフ本部にも帰れずに、ずっとここに閉じこめられていた碇ゲンドウは和服、誰の趣味なのか古い映画のビデオが壁といわず積まれたここで、三度の食事つきで、ずっと映画を見ていた。今見ているのは黒沢映画「七人の侍」。
 
 
「ふーん、サムライ7じゃないですねえ」そう言ったのは赤いブレザーに赤い靴の娘。
 
 
「水上の姫と竜がいなくなった今が機会、この子の助力をもってしても潜れるのは今だけどす。逃げるのなら今しかありませんえ」
ビデオを止めもせず、眼も画面にあるかつて自らの主であった髭の男に分かり切ったことを勧める怪人・二十七章。
 
 
だが、動きはない。不動の碇ゲンドウ。
 
 
「逃げる気がないみたいですよ。せっかく助けに来たのに無駄足だったようですね・・・・・まあ、ここで待っていれば父子の再会は果たせるわけですし、その後でユイさんとも・・・・ここにいたいんじゃないですか?。望みを叶えてもらえるかもしれませんし」
怪人の助っ人であるらしい赤い靴の娘が、歳に似合わぬ深い深い底知れぬ谷底の笑みを見せた。
 
「妻を選ぶか、息子を選ぶか、選んでいるようじゃ、いくら待っても時間の無駄ですよ。
ここで契約を果たした、ということでいいですか?雇主さん?」
 
 
「確かに・・・・・待たれるどすか。ゲンドウ殿」それには返答せず、問いを重ねる怪人。
 
 
「ああ・・・・・・すまないが」
重い声。聞く者の耳が軋み潰れるほどに重い声。されど、ここまで来た者の苦労はそれ相応であるので理解はするが特に軋むことも恐れ入ることもなかった。冬月副司令が密かに放った腕利きもこの寺どころか竜尾道の結界を越えることさえ出来ていない。使用スキルがなあ・・・あの二人も見失ったしな・・・・司令、死んでるかな・・・無精髭の男がのぼることのできない坂道を見上げてぼやいていた。
 
 
「さようで。けれど、東の鎧都の方はよろしいんどすか?話を聞くになにやらあちらはたいそうな大荒れであるとか」
 
だが、碇ゲンドウは
 
 
「それは幸いであったかもしれん・・・・竜と人が戦えば、人が勝つ道理はない・・・・・それは使徒であろうと同じだ。そして、左眼にはシンジしか見えていない・・・竜が餌を捕らう邪魔をすれば何者も無事ではいられぬ・・・・冬月先生も手出しはさせんだろうよ」
 
 
あくまで、ここで待つという。第三新東京市で何が起き、冬月副司令をはじめとする部下たちがどれほどの目にあっているのか、分からない人物でもなかろうに。
 
 
「そちらの業界のことは疎いんですが・・・エヴァとかいうロボットより竜の方が強いわけですか。こんな火事場泥棒の不意打ちみたいな真似をしておいて」
契約が切れたことを要救助者の態度から確認し、赤い靴の娘の口調には少し遠慮が失せた。
それでも谷が深すぎてその激しい感情はまだ顔の表に上がってこれない。谷は、深すぎる。
バカ娘が興味本位に聞いたような問いかけではあったが、房の室温が、しんと冷えた。
 
碇ゲンドウがこの問いに答えたのは、仕事とはいえここまで水上の結界を抜けてきた者への礼儀であったのか、または答えぬと何をされるか分からない類の人間だと知るがゆえか。
 
「機会は見計らっていたのだろう・・・・・・シンジが、初号機から離れる時を。ただ」
 
赤い靴の娘の赤い瞳を、見て、云った。
 
「竜、というのは例えにすぎない。その正体は同じエヴァだ。規格外の変異体・・・・ユイがいつもの調子でつけた名で呼ぶのなら・・・・」
 
 
「・・・まさか、”エヴァ竜号機”とかいうんじゃありませんよね」
 
娘に先に言われた碇ゲンドウは無言。せめて号のあたりを、虎でもつけて「号虎」と少しはひねりたかったのだが、中身さえたっぷりなら外見にはあまりこだわらないユイはこれでいいじゃない、とこれにしてしまった。だから当時の関係者はあまりに直球ぶりに神秘性ハッタリが失せるとしてわずかに謎ませて、竜号機といえばいいものを、わざと、竜、としか呼称しなかったりする。
 
 

 
 
発射された魔弾は、二発。それは、紛うことなく正確な軌道をもって鉾に命中するはずであった。多少の風があろうとも、そこはなんせ魔弾であるから自分で修正してしまう。そもそもいかなる障害があろうとも必ず命中し敵の命を奪うのが魔弾の魔弾たるゆえんである。その代償として愛する者の生命をいずれ支払うことになるのだが。それを二発も。
外れることは、絶対にない。この世に絶対はない、としても、放たれた一発が神の贔屓悪魔の悪戯その奇跡の題目に捧げられたとしても、もう一発がその隙に標的を倒していることだろう。
 
 
オリビアには確信があった。SPAWNロボにも確信があった。高性能ロボット二機が計算し命中結果を100%予測しきっていた。魔弾自体も現状にまつわる因縁などは全然関係なくとにかく撃たれたからには貫くだけ。正義も悪も全く関係なくただ標的を倒すのみ。
 
 
イクゾヨ!
 
 
その結果、数万単位の人死にがでようと知ったことではない。殺意の固まりとしてはそんなことは願ったり叶ったりであった。ワラワハイクサヲアソブモノ。ワラワハコロシヲアザワラウモノ。ブキモツモノスベテワザワイアレ!!トコシエニコロシコロサレヨ!ウ・ラ・ミ・ハ・ア・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ!魔弾は黄金に輝く鉾に向かって渦巻いて飛ぶ!!。
 
 
 
 
 
 
 
ノハズ
 
 
魔弾は、目標に到達することを許されなかった。断固としてそれに抵抗したが果たせなかった。命中するまで停止することのない怨念加速が、それ以上の強靱な意志に阻まれた。
 
ありえない。
 
魔弾を止めたのは、強化鋼の壁でも絶対領域の力場でもなく、金属の棒、鍛えられ焼きを入れられた金属の板、超絶の技をもって振るわれ舞うそれらは刀剣。正式には剣鈴と呼ばれる武楽器。
それが、長短、形状は様々に異なえど十ある。十の剣鈴。特殊な技法を用いられてもたかが材質は金属であり、たかが技が超越至高していようとそれは金属の固まりの運行にすぎない。魔弾を止められる、受け止めることなどできようはずがない。だが・・・・
 
 
水上流十連交響抜刀術
 
 
佐々木小次郎の燕返しを越えるべく軍艦鳥返しを編み出すべく苦闘する海賊の若者
その海技を
恋人の復讐をするべく男装し剣技を鍛え上げて憎む仇を捜し出し一斬する血咲く女
その華技を
丁髷袴和装のままに海を渡り西部のガンマン相手にバッサバッサと斬りまくる侍
その士技を
姉を奪われ遙か東の果てまで旅をして馬上葡萄の円月刀と渡り合う騎士の少年
その英技を
師匠が打った切れることは切れるが魂のない失敗作を叩き折るために戦う巨漢の鍛冶屋
その錬技を
子供を守るため猛り狂った獣を前にし逃げることもかなわず腑を切り裂いた腕のない猟師
その狩技を
仏を憎み仏を殺すために毎日天に刀を突き刺すが届くはずもない盲目の僧侶
その法技を
なんとなく理由もなく喪失した感覚のままに他者を刺すために彷徨う狂人
その灰技を
王座に吊された剣に耐えられず国の敵を飛んで倒す魔法をかけさせ自分が貫かれた王様
その王技を
 
そも、刀と剣が触れあえば、時が止まる。空間は切り取られる。それらは刀と剣が振り舞う間、自由を奪われその中に閉じこめられる。因果の糸を、切り刻み。
 
 
宇宙が誕生爆発したような、黙示録の四騎士もけたたましい喇叭など吹きようもないほどに完璧完全なシンフォニー。夜の闇を粉砕し新しい何かが生まれてくる澄んだ気配と力感に充ち満ちて。この地上にあるあらゆる剣技の集合体。源流であり全ての支流の束ねでもある。静と動の完全な融合。無限無尽の攻撃でありながらただ二線の剣閃でもある。
おおよそ、人の子になせる術では、ない。
 
敗北の焦げた匂いに耐えられずに目を伏せていた者たちも、確かにそれを感じた。
魂に直接届く、強く、それでいて濁りのない澄み切った波紋のように交わる響き。
古今東西、剣という武器を扱う者たちがしょうこりもなく磨いてきた技という技の歴史書秘伝奥義を豪華絢爛のタペストリにして見せつけられたような、イヤでも聞かされる、それはひとつの物語。
 
瞬間風速70メートル超の天風天雨を具した巨大な影が鉾への射線上に飛び込みざまに十の剣鈴を抜き放ち、かのごとき神速神音を響かせると魔弾は纏う怨念を切り裂かれそのこの世ならぬ加速力を失い、地に落ちた。
 
 
「あれは・・・・・・」
赤木博士とともに発令所でその瞬間を確かに見ていた葛城ミサトはモニタに映る巨大な影の形に声が出ない。アレが何か、それに対応する言葉はある。副司令から聞かされて内心怒り馬鹿にしていたそのこと。それがなんのてらいもなく、そのままの形を持って自分の目の前に現れた・・・・・副司令はなんの誤魔化しもしていなかった。確かにアレはそう呼ぶほかない。刀剣らしき武器をたくさん吊した翼、仕上げが粗いわけではないのだろうからおそらくは通常のもととは異なる機能を備えた鱗めく特殊装甲、頭部に生えた二本の大きく長い角、しかしながらフォルムはあくまで人型、二本足歩行を基本にしているのだろう爪のついた長い足、右手には鞘にあるままの大太刀、左手はうっすら輝く玉のようなものを握っている。
口のあたりが電気ぱちぱちと輝いているのは、いつかどこかで見たような気もする・・・。
 
 
 
「映画レンズマンに出てくるベランシア人のウォーゼルに似ている・・・・・・」
日向マコトが何かを、ソウルを取り戻したかのように、つぶやく。
 
「それって・・・・主人公の仲間なのかしら・・・・」あえて、マジに問うてみたり。
副司令に聞いた話では、竜が住んでいるところの地域住民が総司令を幽閉したとかいう話で、どうもこっちに悪感情なり怒りなり好戦的態度とか、そういうもんを保持している感じというか、ケンカを売ってきたのだからそんな連中は叩きつぶせばいいなどと考えていた乱暴な己を振り返ったりする葛城ミサト。・・・・やりたくてもやれなかったわけか。
 
 
「あれがカタツムリに似ていたら、デルゴン上帝族だとかいって敵にするの?・・・・そんなことより、鉾の放電砲撃がさっき発射されて・・・・対象は、アレだったんだけど、命中したのは間違いなし・・・・けど、ダメージは・・・・見あたらないわね。いつかの初号機みたく、食べているみたい・・・・・それから、放電砲撃の命令コードがなんとか掴めて今解析しているから。あともう少しでこっちでコントロールできるようになるわ・・・・」
赤木博士が底冷えする声で告げる。鉾に魔弾が命中しなかったことは喜んでいいはずだが、そんな余裕は現在のネルフ本部発令所にはどこを探してもない。
 
 
「アレは・・・何?なんなの?」
「天眼は、kuraokamiと不確定名称づけしているけど」
赤木リツコ博士もあえて、そのまんまの名前を、自分が一番最初に使いたくないらしい。
葛城ミサトの問いを微妙に避けた。「日本国内に他にもエヴァがあったわけか・・・・・・懐刀とはよくいったもんだわ・・・・”エヴァ竜号機”・・・・これでいいんでしょ」
 
「操縦者は水上左眼。応答はしないだろうけど、いちおう、教えておくわ・・」
零鳳、初凰を打ち上げたのもあれだ、とは赤木博士もさすがによう云わなかった。
 
「まあね・・・砲撃しちゃってるんでしょ・・・無傷とはいえ」
葛城ミサトにしてわずかに声に震えがある。
 
 
オリビアもSPAWNロボもさすがこの展開に仰天しているのか、魔弾の連射はない。
全弾が魔弾でなく、あの二発だけがそれで残りは通常弾というなら使う気になるまい。
もしくは、アレが自分たちに襲いかかってくる可能性を考えて構えているのか・・・・
自分たちの味方なら、通信のひとつもいれてきてくれりゃあいいのに・・・・と思うが、とにかく気の抜ける状況ではない。魔弾が外れたことに小躍りしたいくらいだが、やはり出来ない葛城ミサト。弐号機とアスカは完全にこれで・・・使い物にならない。
激しく倒された衝撃で脳震盪でも起こしたのか、操縦者も気絶状態で機体はボロボロ。
ごめん、アスカ・・・・・・・・
いきなり現れた竜号機とロボたちがにらみ合っている隙に逃がしてもらおう・・・・
一体何しに来たのか知らないが、あまりに副司令が吝い交渉するのに頭に来て都市攻撃にきた・・・なんてことはあるまい・・・・いやしかし、確かに無断でこの領空に入ったからとはいえ警告もなしに放電砲撃をやらかしてしまったことでさらに怒り心頭、という可能性もある・・・・
 
突如の乱入者のことに囚われて、葛城ミサトの判断がまた遅れた。疲労もあるがどうしても広域をカバーするだけ切れ味も反応速度も鈍ってくる。
それよりもなお人型の利点を生かして素早いオリビアが早かった、ということもあるが。
 
「葛城三佐!オリビアが弐号機のエントリープラグに接近!」
オペレータの報告にぎょっとして目をやると、走ったオリビアがなんと倒れた弐号機の首元、つまりエントリープラグに手をかけている!まさか操縦者のアスカを引きずり出してあの竜号機相手の盾に使うつもりか。使徒同士には味方の認証があろうし撃った魔弾を切り落としたことは敵対の意思ありと見たのか、またその実力は完全に未知数・・・恐れるのも当然かも知れないが、こっちがやってほしくないことばかり、さっきからオリビアはやってくれる。こっちの内心を見透かしたように。こうなるとウスノロ巨漢使徒なんぞよりよっぽど凶悪強敵である。
 
「やばいっ!!」
弾幕をはろうにも近すぎる。倒れた状態で射出させても・・・・「プラグの射出信号受け付けません!!」ATフィールドで一か八かの賭けすら潰される。ミギミギミギミギ・・・・・・プラグ挿入部分の装甲を不気味にマッチョに膨れあがったオリビアの腕力がひきちぎっていく・・・・・「うそ・・・」サイズスケールでは信じられないのだが、そのまま人型のオリビアがSPAWNロボの手も借りずに独力でエントリープラグを引きずり出していく・・・
 
 
竜号機には動きはない。その様子を黙って見ている。
我関せず。人界の有り様などなんの興味もないように。
 
 
オリビアがエントリープラグに馬乗りになり・・・・「やめて・・・」発令所の人間全てが、青ざめ総毛立つ「やめてくれ・・・!」・・・・マウントパンチ攻撃を開始する。
 
ガゴーン!、ガギーン!、ガゴーン!!
 
装甲がひしゃげる音が地に轟く。それは破壊の弔鐘。雨の都市を通り抜ける。1人の少女を告死する。それなのに、天には届かない・・・・・音は沈み、深い深い地下へ。
 
 
暗い、暗い、暗黒よりもっと暗い、残酷な闇の中にいる
 
 
もう1人の少女を呼び覚ます。