「あー、なんでワシらがこんなことせんといけんのじゃろ。こんな機動隊の真似事なんか。なあ、シヌダロウよ」
 
 
深夜の国道二号線でパトカー一台で検問を張っている。ずいぶんと着崩した警官姿の老人が隣の、同じくしかしこれは皺のひとつに至るまでピシリ完全に着こなした警官服姿の実年に愚痴っていた。それが本名だとすると子供の頃はさぞかし苦労したであろう謹厳そのものといった実年の男は
 
 
「それは、我々が警察だからでしょう。警察”官”、ではなくとも」
竜尾道以外では見かけに反した頭の出来を疑われるような発言を返した。意味は不明でも折り目は正しく。そして、ここは竜尾道の、竜尾道と「外」との境界領域。深夜の道路は走る車の一台もなく信号機も既に熟睡している。それにつられて世にいう常識とやらもまどろみかけているのか、天を仰げば竜が座す・・・・と、それは別に幻想でもなんでもない。確固たる意志をもて人間が運命に爪アイゼンをたてて登頂しているだけのこと。
自分たちはそれを知り、ゆえにこのようなことをやっている・・・・・
生名シヌダロウ竜尾道警察署生活安全課長は帽子をかぶり直し、隙のない警戒視線を夜の彼方、境界の向こうへと注ぎ続ける。
 
「ワシら、腕力なんぞほとんどないのにのう。日の本いちの平和警察・竜尾道署として日夜やっとるのは拾得物の処理くらいなもんで、交通事故の処理もほとんどせんちゅーのに。まー、まともにこの街で犯罪捜査せいっちゅうたら一日も命たまらんわな。入ってくるのは文字通り札付きの悪党ばかりときとるから喧嘩の仲裁も怖くてようできんわい。警察がこれでやっていけとるんじゃから、まさに絶妙なバランスというやつじゃの。わははは」
竜尾道警察署の署長が笑った。これが生名シナンゾー。
 
生名シヌダロウの実父であり、生名シヌカの祖父でもある。無責任かついい加減であるが、署長である。そのように見せかけて実は有能、などという気の利いたギミックなどは装備していない。提灯は夜に灯し、カミソリは髭を剃る時だけに使う、ここ以外にありえない地域密着型、いわば駐在署長である。そのためにこんな、ルーキーなりたて刑事のような、言わんでもいいような説明ゼリフをしゃべってしまったりするのであった。
 
「真面目に本来任務を遂行しようとするなら、まずは蓄財に励み、装備を調え人材を増員する必要があるでしょうね。ただお父さんはそれを絶対になさらない。副署長はそれがいささか歯痒いようですが?」
視線は外さずに返答だけ。言葉に感情は伺えない。二人のトップの二つの方針、どちらを首肯するようでもなく。ちなみに、副署長は生名の名をもたない。
 
「左っ子は金銭大好きときとるからな。使う額もでかいが稼ぐ額もでかい。不思議でしようがなかろうが、ワシは金なんぞチビチビ使うのが好きなんじゃ。小遣いをやりくりして買ってこそ目も肥えるというものじゃ。足るを知る、これが満足」
 
「骨董も・・・はまると底なしといいますからね。その点は丁度いいのでしょうが」
 
「じゃろ。清く貧しく美しく、それがワシのモットーよ。ダーティはいかんダーティは。若いおなごならいいかもしれんが、男はいかん!」
力説した生名シナンゾ竜尾道警察署長。
「そういえば・・・若いおなごといえば、シヌカはどうしたんじゃ?ワシらよりあやつの方がよっぽど荒事向きで荒事好きじゃろ」
孫娘を荒事に向かわせようとする、その点はかなり官僚的K察である。人情派でも純情系でもなかった。
 
「あやつと大三のデカブッチャーが組めば・・・」
 
「ダイサン君ですね」
 
「そうそう、そのデカブッチャー」
 
「ダイサン君ですね」
 
「そうじゃろというとろうが、で、その大三のトコのデカブッチャー・・」
 
「ダイサン君ですね」
 
「ワシのは別に赤ん坊の頃から知っておる親愛の表現じゃからいいじゃろ!?産湯汲みにどれだけ苦労させられたか・・・・べつにいじめて言っておるわけではない。愛じゃよ愛。びゅーてぃふる愛じゃ」
 
「では、ダイサン君で。親しき仲にも礼儀あり・・・・という以前の問題で、他所の子供をそのように呼ぶことが犯罪なのです。自重してください。逮捕しますよ」
 
「うるさい奴じゃ。こざかしい権力をふりかざして、地域のぬくもりを奪おうというのか!逮捕じゃと?やれるもんならやってみい!このわからずやのくそおまわりめ!」
 
役職上、その元締めであるはずの人間の発言。無自覚無責任ここに極まれり。
 
名刺の上ではその下の位にある水上左眼がよくその首をすげ替えないものだと、碇ゲンドウあたりなら思ったかも知れない。とはいえ、その光景は地元民なら慣れっこであり外地なら大喜びしそうな新聞記者も鼻もひっかけない。そんなレベル。そんな実力が竜が司る無法地帯において屹立と存在感を示している・・・・わけがない竜尾道警察であった。
 
 
「ぼす!おおぼす!来ました!へんなのが!」
「マルヒはモクモクとしてギョウニンみたいです!」
 
そこに白い三輪バイクが大急ぎで駆けてきた。
白いヘルメットをかぶった二人乗りの小学生くらいの子供。
生名シナンゾーと生名シヌダロウのどちらとも似てないが、この子たちもまた地元警察一家、生名の名をもつ生名イキナと生名イキテである。男女の双子であり、生名シナンゾーには孫にあたり、シヌダロウの子供である。一般的な父親、祖父名称の呼びかけでないのは別に複雑な家庭の事情ではなく、単純そのものの家庭の事情であり刑事警察モノに染まりきっているだけのことである。ある意味純粋培養であり、それが気にくわないシナンゾーはなんとか道楽者の道に誘うのだが、小学生の孫たちはまったく相手にしてくれない。
ぼす、が父親で、おおぼすが祖父のことだといって譲らない。その上、自分たちで隠語を毎日のように作り出してはそれを真面目な顔で使うときている。周りの家族は毎日かなり痛い思いをしているのだが今は耐える時期だとふたりの成長を待っている。
 
小柄な体を生かした竜尾道所轄内の高速走行をこんな戒厳令中に連絡斥候役に使うあたりこの一家は基本的に無茶なところがあった。
 
「分かった。二名ともご苦労。引き続き、周辺の警戒にあたれ」
 
とても親が子にするとは思えない角度の敬礼で送り出す方も送り出す方だ、と生名シナンゾーはてめえの息子を横目で睨んだ。
 
「・・・さっさとお家に帰れと言わんか。危ないじゃろうが」
「最も危険なのはおそらくシヌカの担当区域でしょう。弓削の若君に向のお嬢さんまで集められていますから」
「うーむ・・・・一体何が起きておるんじゃ・・・現場では・・・!、とかパニック映画みたいな顔して言ってみたいがここが現場と来とるからのう・・・ワシなんかも会議室で能書きだけ垂れてもいい年頃だと思わん?」
 
「いえ。全く」
断言して耳元に指先をやるのは父との会話を断ち切るためではなく。
竜号機を介した完全盗聴防止天網線をチェックするため。
 
 
「・・・なんじゃ。因島の囲碁目小僧の連絡はなしか」
 
「ありませんね。どうも当たりが来たようです・・いきましょうか、お父さん」
 
「まあ、危なくなったら左っ子が助けてくれるじゃろ。そのための五月人形じゃろからな」
 
「戦車やミサイルが相手ならそうでしょうが・・・・街中の対人ではあまり期待はできませんよ。とにかく、我々が最初に対峙するのが最良でしょう。それが一番、賊に厳しく街に優しい」
 
「ワシにも厳しいぞそれ。ガチンコ肉弾戦なんぞ硬い殻の機動隊の仕事じゃろ。警察とは別に組織せいよ、そんなもの」
 
「別組織というなら、”三ツ首”がありますが」
 
「・・・いくらワシでもあの連中と一緒にされてもかなわん。いくら怪人襲名の権利をもつほどに由緒正しい歴史があろうと・・・泥棒の組合とはな」
 
「この街から札付きの手癖の悪い部外者に盗まれ掠め取られていく事案が皆無に近いのは彼らの力です。財産も情報も、そして生命も」
 
「そんな有能な組織があるんじゃからワシらはそう張り切って仕事せんでもええじゃろ」
 
「副署長が見ているのに署長が手を抜くわけにもいかないでしょう。それに、三ツ首の優秀性はあくまで同じ土俵で”この世に盗めぬものはなし”相手の手の内をより良く知っているからにすぎない・・・・お父さんとは比べものになりませんよ」
 
「義理ならともかく、実の息子に誉められてもなあ・・・もうちっとお前はワシを邪険にしてくれたほうがいいんじゃがの・・・・それじゃ嫌々ながら行くとするか」
まんざらでもない顔をしてパトカーの助手席に乗り込む生名シナンゾー。
 
「そうですね、急ぎましょう。せっかくあの子たちが知らせてくれたのですから。手柄にしてやらないと・・・そういうわけで、飛ばしますよ。ああ、ベルトお願いします」
 
 
回転灯が夜を切り裂く。サイレンも派手に鳴らす。普段であればいろいろと激越な拒否反応を示したりする札付きの旅行者のため、控えめにするのだが今夜は別だった。
警察らしく。なんぴとよりも先に現場に急行せねばならないのだ。よろしくカメドック。
 
 
 
というわけで早急に現場に到着した。
 
正体不明能力不明の怪しいモノが竜尾道内に入ってきたら可能な限り追い返せ、というのが今夜の仕事であるわけだが。
完全にこれは捜査ではない。誰が怪しいか領域内に侵入しているかは明らかであり。
 
 
 
ピノキオの連隊行進
 
 
 
とでも言えばいいのか、人間サイズの鼻のえらく長い木製らしい人形が100はくだらぬ数でゾロゾロと深夜の道路を進んできている。行きも帰りもそう簡単にはいかないこの竜尾道で行われるはずもない異形のパレード。
 
確かにコレは、へんなの、としか報告しようがない。
不必要な形容をせぬあたり、うちの子はなかなか優秀だと生名シヌダロウは思った。
 
同時に拳銃を威嚇無しで先頭の人形頭部に命中させる。手応え無し。やはり人形だ。
 
速度は人間の歩行より遅いくらいだが、札無しで竜尾道侵入を果たした能力は速度にはないのだろうから慰めにはならない。怪異とはそうしたもので対処法が未だ分からぬものだ。
 
副署長こと水上左眼が令を出し街を封じて極端に警戒していたのはこのことだったのか。
さて、と生名シヌダロウは考える。
 
単純にあの人形の体内に爆弾でも仕込まれていて、このまま行進に市街に入り込みばらけ時間になって連鎖爆発でもすればこの街は終わる。それにしても数が多い。
 
「威嚇も警告も無しか。おまえさんもなかなかワイルドーベルマンじゃのう。あの中に人間がまぎれておったらどーすんのじゃ。それに、単なる仮装パーティだったとか」
 
「私の知る限り、あの人数でそのような特殊な趣味の会合はなかったはずです。少なくとも地元民には。・・・・・それから、紛れていますかやはり」
 
「そりゃそうじゃろう、あの鼻なが人形、どう見ても賢そうに見えんしせっかく入ったこの街で一仕事させようとしたら、もうちいと頭の働く者がおらんといかんじゃろ・・・・あの人形の構造に動き方・・・・糸人形じゃろかな・・・あの糸の繰り方・・・性格の悪さが伺えるのう」
 
「糸の繰り方以降の指摘は完全に適当ですね?・・・糸くらいならば境界を抜けるレベルの力があり・・・人員の管理に対して比べようもないですが甘い物品の管理の隙をついて事前に用意しておいた人形に接続し混乱時を見計らって稼働させる・・・・手口はこんなところでしょうか。まあ信じがたいほどの人形繰りの技量ですが」
 
「おい、そこはそこまで分かるんですか!とか感心してみせるトコじゃろ。侵入手口の考察なんぞ知ったことか。親不孝者め・・・ともあれ、あんな数ワシらじゃどうにもならんわ。勢い込んで来たものの、ここはバックバック」
 
「そうですね」
射撃体勢からあっさり運転席にに戻る生名シヌダロウ竜尾道警察全課長。
 
「まさに、ゾンビぞろぞろ、やる気うせうせ状態じゃ。ここでいくらがんばってもアカデミー賞はとれん。数の脅威を周知するだけのバロメーター役なんぞワシはごめんじゃ」
 
「それもそうですね。バックしますのでお父さん舌をかまないように」
パトカーは来たときと同様の問答無用の後退速度で怪人形の群れをみすみす見逃せるような建物の陰に隠れた。
 
 
ぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろ
 
 
「横スクロールアクションものデッドなバイオってところじゃのう・・・」
目の前を通り過ぎていく怪異をみすみす見逃しながらそんなことをほざく生名シナンゾー。何しに来たのかさっぱり分からない。税金で養われているわけではないとはいえ。
 
「何の喩えですかそれは。生きているのですか死んでいるのですか」
謹厳な表情を崩さない息子にも物陰に日和った無念さはなく。
「いや、そこはスルーしてもらってもかまわんから。お前の銃もきかんのじゃからワシらの出る幕はなかろう」
「それもそうですか」
 
そんなことを言いながら人形行進の最後尾が通り過ぎていくのを待っていた。
その時。
 
 
ガタガタガタっ
 
 
パトカーがふいに揺れた。後部の方から何かに揺さぶられたような感じだった。
 
人形たちの中の一体、もしくは群れにまぎれていた人間が未遂に終わりはしたが自分たちの進行の妨害をしようとした警察車両をあくまでゆるさず密かに後ろに回り込んでいたのか・・・・・どの選択肢を選ぼうとバッドエンド直行の運命であったのか・・・逃げる奴からしんでゆく、逆走不可の屍ロードであったのか。
 
とにかく、竜尾道警察署長と全課長は終わった・・・トランペットの音とともに走馬燈が。
 
 
「起きたか。頃合いじゃの」
 
 
そのはずだったが、そうはならなかった。悲鳴をあげる代わりにそんなことを言う。
二人は突如のパトカー振動の源と原因を知っていた。生名シヌダロウがトランクレバーを解除する。次の瞬間
 
 
ずがんっっ!!↓↓ 
 
 
パトカーの天上から激しい衝撃音が。音が激しいわりに凹みもしないのは、いろいろ厄介ごとに一方的にさらされる場合を考慮して改造されている竜尾道警察特製パトカー車体の強靱さのたまものであり、それに真上からぶっつける運動パワーの凄まじさはガチでハンパなかった。
中の乗員のことなど考慮せぬどころか・・・・・ガチで圧殺を狙っていた。ハンパなく。
 
 
「ジジイ!!なんべんオレを裏切れば気が済むんだ!?これからマイスウィートデートって孫に対してエチケットガムと称して麻酔薬ペーストってどういう神経してんだ!!・・・って今何時だオイ!?ってもう夜じゃんしかも深夜!・・・・・・・・・ノー連絡ノーフォローの完全ブッチ・・・・・・・・・終わった・・・・・・・・・・・さよならオレのマイラブ・・・・・」
 
ずずずず・・・・・と燃え尽きた尺取り虫のようにずり落ちてきた、ローラースケートをはいた流星のような髪型をした若者・・・いちおう警察の制服をてきとうに着せられてはいる・・・これが生名イテヨシ。本人が語るところによると年齢は19.9才。
現在中学生と同じ教室にいれられてはいるシヌカより確実に年上であった。
 
「ああ、それが一番後遺症の残らん安全な処方じゃからな。可愛い孫の今後のことを考えてそうしたわけよ・・・・健康問題とかいろいろな」
 
「考えてないじゃん!!というか考えてるのはジジイ、てめえの都合だけだろ100パー!!あー!もー!!どーしてくれんだじょー!!どーしてくれんだじょー!!」
ローラースケートはいたままで助手席めがけてケンカキック。
これまた強化車体でなければ年寄りのハンバーグができるくらいの威力であった。半べそかきながらこれである。少しハタ坊入っているが。
家族でなければドン引きするしかないところである。
 
「まあまあ、そう悲しむな。では、責任とって署長を辞任してやろうか?」
「そんなの関係ねえだろオレに!定年もブッチしてやがるくせにー!」
「では漢らしく、ミニパトとミニスカの似合う嫁さんを紹介してやるから機嫌なおせ」
「それ、なにげにトドメさしてねえ?もうダメってこと?見込み無しってこと?・・・・ていうか、オレはそういう深夜番組みたいなのは好みじゃないの!!」
「早朝番組みたいな女、というとアナウンサーか教育番組のおねえさん系か・・・・うーむ、あの娘はそうではなかった気がするが・・・・ならば、イテヨシよ。あの娘はおまえの真の好みではなかったのじゃ。破局はすでに決定していたも同然」
「なにその回避!全然男じゃないじゃん!あー、もー!あー、もー!!」
「お前の母はミニパトとミニスカの似合う女性であった。それをないがしろにするということは・・・・お前は母を愛してないのか!!・・・・・言いつけてやるぞ」
「くっ・・・・・こ、このジジイ・・・・・」
 
 
「お父さん。そろそろイテヨシの足で間に合わなくなります。イテヨシ、任務だ」
老親と息子を生名シヌダロウが制した。
 
「・・・オヤジの言うことでも・・・・オレ、今日明日は非番だっての。・・・・だいたい世襲制の警察なんてありかよ郵便局じゃあるまいし・・・・けどまあ、仕事だからしょうがないよな・・・・なにすりゃいいの」
 
「なんでワシと態度が全然違うんじゃ。祖父と孫がタッグを組み父親に抵抗するのが正しい大家族のあり方じゃぞ」
 
「るせージジイ!基本的にオレは最低限の敬老精神くらいは持ち合わせてる男なんだっての!。孫に麻酔薬かましといてよく言えるなそんなこと」
 
「そうせんかったら逃げるじゃろうが。おぬしに逃げられればワシらでもよう見つけん。副署長にお願いするのも恥さらしじゃしのう・・・・」
 
「・・・・よく考えたらこんな時間にオヤジはともかく、ジジイまで出張ってるってことは・・・・かなりゲロマズイことが起きてんの?」
 
「久方ぶりの戒厳令だ」
 
「昔はよくあったがの。左っ子がよく負けて泣かされて帰ってきては戒厳令、とかでな」
 
「・・・嘘だろ?」
 
「封鎖は本当だが。お父さんの昔話はどうだろうな。・・・・・とにかく、二号線を市街中心に向かっていった絡繰り人形の一群の最後尾の一体をここまで拉致してこい」
 
「はあ、カラクリ人形の・・・とにかく、”よく分からねえ敵”ってわけだな・・・・それじゃウチの仕事っていうのも無理ないか・・・」
 
「そうそう。じゃなかったら三ツ首に任せておるわ。うちはなんせスタントマンのおらぬ平和警察じゃからの」
 
「戒厳令ってことになれば・・まあ、言い訳たつかな。戒厳令なら仕方ねえもんな・・・・と、上着は邪魔だから脱いでいくぜ」
ほとんど祖父と父親の言いなりになってしまっている生名イテヨシは一応いなせといっていい脱ぎっぷりで制服の上を、ばっと夜空に見栄飛ばすと、それを祖父がキャッチするより早くこの場から消え失せていた。
 
 
耳を澄ませば聞こえる、加速装置付きローラースケートの駆動音をのぞけば。
 
 
「光学迷彩でもなんでもなく、まごうことなき自前自能、正真正銘、己から外は見えるが外から己は見られないSF突っこみ御意見無用のマジックミラー的透明人間。・・・・・あんな奴が孫でなくて三ツ首なんぞに入っておったらどれほどの犯罪者になっておったか・・・ゾッとするわい。なあ、シヌダロウよ」
 
「心配無用でしょう。それならお父さんに毎回騙されたりしませんよ」
 
「そうかのー」
一見、ホームメイドそうな会話であるが、異形の一群につっこまされた孫にして息子が相手に気づかれ囲まれてボコボコにされたりする心配はしない上司ふたりであった。
 
 
「それに・・・・」
ここではじめて謹厳な表情をわずかに緩める生名シヌダロウ。
「なんじゃ」
その綻びを警戒するように逆に表情を渋くする生名シナンゾー。
 
 
「・・・・おっと、もう戻ってきましたね」
言いかける前に、もう人形を一体背負ってイテヨシが戻ってきた。ワイヤーでぐるぐる巻きにしてあり傍目には人形が低空飛行してこちらに向かっているようにも見える。
 
「こちらも準備にとりかかるとしましょうか」
パトカーの後部席から何やら取り出す生名シヌダロウ。銀色のクーラーボックス。
 
「・・・・早すぎるぞイテヨシめ。もうちっと間を持たせろあのおろか孫め・・・」
本人が聞けば怒り狂うだろう文句を呟きながらクーラーボックスを受け取り慣れた手でフタを開き、中の小道具類を確かめていく生名シナンゾー。目の色が、先ほどと、違う。
 
 
「おらよ、一丁上がり。まるで気がついた様子もねえ。見かけは不気味だが有象無象だなーありゃよー。まとまっているトコに油でもまいて火でもつけたらイチコロじゃね?」
有象無象でなくてもお前の接近離脱に気づくのは難しいだろう、とは言わず、鼻の長い人形を受け取ると零距離射撃で六連発、四肢の可動部と喉と、そして長い鼻を撃ち抜き撃ち飛ばした生名シヌダロウ。目にもとまらぬ早業というか、あらかじめ知識として知ってはいても、何回見ても認識できない。今、この男が人形に何をやったのか、”認識できない”。
 
やばい音がしたな、危険な匂いがするな、というあたりで意識はスキップする。
 
”飛び道具というものがこの世にあると認識できなくする能力”・・・目の前で銃を発砲されてもそれと分からなくなる・・何が原因なのか分からない・・・なんとも地味な能力だが、もしこの人物が殺し屋を開業したら敵う相手はいないだろう。
 
そして、その手首は”折れない手首”・・・・これまた地味ーな能力だが、おおよそ携行可能であればどれほどの大口径高火力の銃器でも大砲でも使用可能・・・飛び道具認識不能能力と相まって実際、どんな火器を使っているのか他人にはよく分からない。市街地にあれば文字通りのワンマンアーミーであり、警察の服を着せてなければ何をしでかすか、
それこそ分かったものではなかった。生名イテヨシが大人しく従うのも無理からぬ。
 
「強度はそれほどでもないようです・・・・見た目通りの木製程度ですね・・・・おっと」
撃ち飛ばした鼻の断面を確認しようとした生名シヌダロウの眼球めがけて弾け尖った鼻が突如伸びた!一般人なら避けきれぬ速度と意外性であったが、顔色一つ変えずそれを避ける。「・・・・この速度・・・人体など簡単に突き破りそうですね。これがほぼ百体・・・夜闇にまぎれてさらにこのルート以外の多方面から入り込まれていればもはや打つ手無しですが。この意味なく目立つ数はあくまで陽動なのでしょうし。単体の方が怖い」
言いながら生名シヌダロウの謹厳さはわずかな緩みを再び見せていた。
先の続きのように。
 
 
「・・・・まあ、鑑識次第じゃがの・・・・ワシの」
 
つまらなそうに人形の胴体部分に白い粉をふりかける生名シナンゾー。続いて何種類か色のついた粉や塗り薬をふりかけ塗り・・・・そして、筆や金属棒でそれらを払い掻いていく・・・・・高難度外科手術にも似た緊張感があたりに満ち、ついつい祖父を尊敬のまなざしで見てしまいそうになる己を誤魔化すためかイテヨシなどはそっぽを向いている。何をしているのかは知っており、口と性格の悪すぎる祖父がそれを成し遂げるのも信用しているので不安はない。というか、あれのあれで仕事もダメだったら救いようがない。
 
 
「こいつらの弱点は・・・・・”うそをつかれること”。連中に聞こえるように盛大になるべくでかい嘘をついてやることが効く。鼻が伸びて伸びて伸びすぎてそのまま月に突き刺さるか途中で鼻が折れて墜落死するじゃろう・・・というわけで」
 
 
ものすごい嘘をついた
坊さんも屁をこくくらいの
 
 
竜尾道警察署長の仕事は、鑑識。基本的に竜尾道内部には札を持たない者は入ってこれない。札無しが入って来た場合もすぐに分かる。が、それらをクリアする異常な存在というものも広い世の中には存在する。ここは別段、神の庭でも仏の宴会場でもない。人間離れした存在が入り込める余地はあり。猛威を振るう可能性があるのも取引する気のないそれらだ。ごく、稀にでも。ここまで入り込んでくる正体不明の謎の敵の”弱点”を見破ることが出来る・・・・という特殊中の特殊技能であった。どんなに口と性格が悪くとも水上左眼が副署長を務める以上、署長のポストを与えておくしかなかった。
要するに、へんなの、を相手にするスペシャリストであるわけだが、某国のXなファイルとはなんの関係もない。弱点を解析するだけで出所を捜査したりも一切しない。
 
 
「・・・・・ああ疲れた」
シナンゾーの言葉を実証して、人形は完膚無きまでにゴートゥー大霊界であった。
 
 
「おつかれさまでした。お父さん。一応、確認しますが後半部分は伝達しなくても構いませんね」
 
「まあ、嘘の程度によるからの。イテヨシ程度が考えつく嘘なら鼻伸びは3センチじゃろ」
 
「なんだよオレ程度の嘘ってよ!!いや、逆に正直者だとホメられてんのか・・・納得いかねえようなああはなりたくないような・・・」
 
「まあ、目聡く糸なんぞ狙うよりそっちの方が効率がいいわの。ちゅうわけで、ワシらの仕事は終わりじゃ!あとは人数のそろっておる実働部隊の仕事に期待じゃ」
 
「だといいのですが」
 
「札無しで境界を抜けてくる輩などそうそうおるかい。・・・と言い切れぬ昨今かの」
 
「ああ、日が切り替わっちまった!オレの今日の非番は?楽しい連休はどうなるんだ!」
 
生名イテヨシの悲鳴を嘲笑うかのように天網線からの通信が。
 
「・・・了解。”いつもの面々”がいらっしゃったようだが、今夜に限って規模が違うようだ。しかも精鋭を揃えてきている。町内会もかなり苦戦しているようだ」
 
「ワシはパス。連中のはひたすら努力と根性だけじゃからのう。それで越えてきとるだけじゃから対応策もこちらも知恵と勇気でいくしかない。ワシの出る幕はないわの」
 
「え?オレ?オレだってかんべんしてくれよ。無差別宗教連合会ってなんだよそれってカンジで嫌なんだよなー相手にすんの。ここぞとばかりに一致団結してるのもキモイし。なんでここを魔界の総門谷みたいに目の敵にするのかねー、神様がお告げでも下したのかよっての。世界のバランスとか魂の吸引穴とか・・・オカルト本の読み過ぎじゃねえの・・・・オレなんかモロ、魔物呼ばわりだし・・・なんか懸賞金かかってるらしいしな・・向こうにしてみりゃこっちは悪のパノラマ、怪奇いっぱい江戸川乱島みたいなもんなんだろうな・・イメージは悪そうだよな」
 
「皿山君たちが苦戦しているようだ」
 
「皿山が?あいつはいつも苦戦必死だろ。苦戦しかしねえ革命野郎なんだからよ・・・・あー、なんかオレ喉かわいちゃったなー、ちょっと自販機でジュース飲んでくるってばよ」
 
「なんで少年忍者みたいな語尾になっておるんじゃお前」
 
「うるへージジイ!!・・・・ジュース飲んでから署に戻るから心配いらないってばよ」
 
「そうか。では警戒を怠るなよ」
そして、生名シヌダロウはこれまた敬礼で息子を送り出す。ローラーの駆動音が夜の彼方に消えていく。
 
 
 
「まだ、動きませんね」
息子が消えた道の先ではなく、夜天を見上げて言った。
 
先から体勢も位置も変えていない竜号機。その中で水上左眼が何を見ているのか・・・・
 
支配者でありながらこの地に紛れ込んだ危険な怪異の排除に己を動かさずにひたすらに悪竜のように睥睨している巨大な怪物・・・声の調子は不動を詰るでもなく、不動に安堵するでもなく。ただ事実を告げこの夜がまだ続くことを再確認している。どのように変化しようと受けて立つ無私無言の覚悟を隣の父親は肌で感じる。
 
「ま、左っ子と五月の竜がねぐらに戻らねばワシらも枕を高くして眠れんわの・・・・・しかし、左っ子も苦労なことよの。あそこまでする必要が・・・・と、まあそれはワシらなんぞには言えんかの。そこまでせねば、ここは沈むか・・・・」
なにせここは敵が多すぎ目の敵にされすぎている。もう少し隠里らしくしていればいいのだが・・・ただ生きるだけでは認知はされない、その価値を示さねば値を吊り上げ続けねばとここの主が考えを囚われているうちは。
 
 
動け、と命じる者は誰一人としていないから、竜号機は夜天にあって動かない。
 
孤独な支配者は孤独な支配者の仕事を、たったひとりでしていたからだ。
 
 

 
 
 
映画をみていた。
 
 
600ほどの同時上映シネマコンプレックスということになろうか。
 
 
たったひとりで映画を見ていた。
 
 
竜号機の内部で特殊なアイスコープでどれひとつとして感情移入することなく見続け、ときおりフィルムに転写する音がする。スコープは映写機ではなく転写機だった。
 
鍔の眼帯が外されて傍らに収納されている。映像は唯一人の観客の眼球が生成していた。
全てノンフィクションの自伝映画である。万華鏡の網膜に踊る主人公たちはそれぞれ思考し惑い状況に対応し、己の利と目的を追求し果たそうとしている。演技のはいる余地も無し。正直に本心と本音を語り、存分に行動しようと構えている。賑々しく蠢いている。
 
 
ニュー・シネマ・インフェルノ・・・・
 
 
シネマ以降はコキュートスでもアガメムノンでもメギドラオンでもなんでもいいが。
 
竜尾道を訪れた”札”を携帯する者たち。興味本位の観光客ではあり得ない、竜尾道と水上左眼になんらかの利益や効能をもたらすためにやってきた・・・”取引相手”を。
こんなところにわざわざ来ようというのだから、一筋縄ではいかぬ者ばかり。
当然のように竜尾道から己が欲利を持ち帰ろうと考える相手の今現在のその様態を。
 
 
その有様を見ている。
 
 
越境の際、必ず持たせるようにしている”札”・・・・それは神社の威を雑ぜた紙片ではなく金属の断片だが、竜尾道を切り取りにした縁起刀、かの孫六殲滅刀の欠片でもある。
 
 
それは、外にあってはただの金属だが地元においてはいろいろと実利的な御利益がある。
 
携帯する相手の動向をその場にあって凝視するかのように知ることが出来るのが一つ。
水上左眼の片眼と連結するそれらはひとつひとつが超高性能の感覚器官といっていい。
いかなる盗聴監視殺しを装備しようが、技術レベルのケタが異なるので太刀打ちできない。
見られている、ということも知らず、取引相手たちは水上左眼に己の弱みを晒し続けることになる。大組織の大物クラスはさすがにカンが働くものか、竜尾道逗留時にはおかしな真似は断じてせずに紳士的な態度、友好的なビジネスに徹しているが。騙し合いや駆け引きというのはこの水上左眼のホームグラウンドでは断じて通用しない。そういった噂が広まるまでに吸い上げられ積み上げられたマル秘情報という切り札の山はその一角が崩れただけでも大陸間抗争が始まるほどの代物だった。姿だけ見れば十代の小娘であるからたとえ竜機を駆る異能をもっても対話となれば油断する。水上左眼の一人勝ちであったのだ。
 
よもや、札を持たせた者全てを同時に遠見できるなどと思いも寄らぬ者は敗北してきた。
その辺りの騙しの線引きを水上左眼は狡猾にやってきた。鍛冶職人とは別の、裏の顔で。
 
 
今夜も己がいきなり発動した里封じの戒厳令に札付き連中がどう反応するか、じっと
見ている。ここぞとばかりに怪しい言動に出れば、それに応じて指示を出す。証拠として網膜映像を転写するのはそのためだ。シャッターを切るごとに痛みが走るがその代わりに得られる儲けは巨きい。もちろん、これを好機と破壊活動やスパイ活動に走ろうとする愚か者どもを潰す安全保障の為もあるが。外敵を払うのが城住みにおける最優先事項であろうが、身中の食中毒を焼くのは己にしか出来ない。この街を外の者が気にくわないのは理解できるが了解する覚えもない。もしくは、気に入りすぎて手に入れたい、という気持ちも。昔話のように大人しく外の者に知られず、生きながらえることが出来ればいいのだろうが・・・そうはいかない。自分たちもやはり仕事をせねば生きていけないのだから。
始まりが間違っていようとも、今更どこかに移れるはずもない・・・。
 
 
それが禁忌というのなら・・・・・
 
 
「・・・・銀磨、市民病院前の五名が動き出す。全員、舌に音波兵器を仕込んでいる。安全装置はロックしたままだ。・・・奇襲制圧後、舌を切り取っておけ」
そしてまた己の定めた禁忌を破る取引相手に慈悲の欠片もない指示を送る。
 
竜は動かない。動けない、と判断した素人が多いのか予想より指示の件数が多い。
それだけ見続ける退屈ではないが感動のない”映画”の本数が減るわけだが。
ここが司令塔であることを見抜けぬのはかえって業界寄りの人間に多い気がする。
 
「・・・・造船所横のバー・だごんで酔い潰れている演技中の赤毛の船員グループ、全員拘束しろ。許可を出すまで冷凍しておけ」
 
人の景色に心動かさず、微動だにせぬその姿は機械仕掛けの菩薩を思わせる。
戒が破られるその瞬間を待ちながら、そこにあるべき憤怒の形相はない。
静謐な穏やかさだけが続く。
 
「ポートプラザホテル・・・201号室・・・・は、結局同士討ちか。突入は中止。従業員に被害がない程度に放置。・・・・後の立証が面倒だな・・・同ケースだがしまなみ交流館四階フロアのアリバイ工作を妨害しろ」
 
しかしながらやっていることは悪鬼を見逃さぬ明王めいた厳格な監視と誤診のない観察。
それを映画鑑賞というのはあまりに映画冒涜というものかもしれないが、当人は悪びれもせずにそのようなものだ、と認識していた。だからこそ口元にうっすらと蕾のような秘笑が浮かんでいる。その任を自然なものとして己の体に受け入れきっている。
 
外の人間などどうなろうと、銀幕の向こうの俳優たちがどうなる程度にも興味がないのかもしれない。それでいて、600以上の数の有様を同時に見ることが出来る。
 
物語のない映画はつまり映像の羅列になるが、渦を巻く万華鏡の映像たちはそこまでいけばそう呼ぶしかないのかもしれない。
 
ここまで完璧に感情移入が出来ないというのは、ある種の才能であろう。
竜の稼働とマーカーの監視作業の同時進行。チルドレンどころか人間業ではない。
常人には耐えられないほどの神経への過大な負担も、もはや慣れてしまっている。
 
 
これも全て故郷の存在と存続のため。この体が朽ちて磨り減り別のものになろうとも
たとえ竜から一匹の石竜子に転落堕したとしても。この管理態勢を維持する。
まあ、竜など。人の間になくてもよいものだから。
 
 
それだけに札の効果がきかない二人の動向については異様に不安になる。
碇ゲンドウはまだいい。もともと事の始まりの一人である。タネも仕掛けも承知している。
手品師に奇跡も手品も通じないのと同じように、ある程度の推察もできる。
 
 
が、その息子の碇シンジ。こいつだけはいけない。札など問題にしていない。
 
どうもユイ様の息子、というだけでは全て説明できないような所がある。
これほど長く自分の手元におく予定ではなかったこともあるが、どうにも扱いづらい。
 
<こんなやつは再びトランクの中に仕舞い込んでしまえ・・・・・・>
 
そう思うと同時に、どこか
 
 
期待、してしまうのだ。
 
 
何に対しての、何の期待かも分からない。明確になった時点でそうなるように己で強制なり策を弄するなりするのだろうから、それではもはや期待とは言えない。子供のような。
言葉で言えば、胸がわくわくどきどきする、というやつになるのだが。口にはできない。
さすがに。
 
 
同時に。己が彼と彼の父親に行った行為は、裏切りであり敵対行為である。この地を抜け出しエヴァ初号機を取り戻した暁には、報復に出る可能性は百に近い。のほほんとした顔をしているが、当然、来るだろう。生粋の戦人のように。心躍る義務として。
悪いが戦闘狂度合いでは鎧の都の連中にはかなわない。
当人たちに自覚があるのかどうか知らないが、あそこに住む人間はどこかおかしい。
最大戦力を失いながら、まだやるつもりらしい。頭を潰された白蛇がまだ蠢くような。
 
 
手に余るからもう誰かにくれてやるか、いっそ奪われてしまえ、と思わぬでもない。
が、一方で、あれこそ何をおいても死守せねばならぬ玉の子、玉をとられてもその子さえ健在であれば再戦は可能だという意味で・・・・そうであるのか、という気もする。
 
 
それを近くで見守るべき父親がどこぞへ逃亡してしまったのだから、今後誰がその役を果たさねばならないのか・・・・かなり困るし面倒だが・・・・自分をおいて他におるまい。彼の存在がこの街の存続のためになるのかどうか・・・・・判断しきれない。
決断の遅れはいつも致命的な事態に陥ることになった。決断を送らせていいことはひとつもなかった。それでも。爆薬を仕掛けるつもりで自ら地雷を踏んでいった者たちを竜の目で見送りながら。水上左眼は。この街の暗黒を細大逃さず見続けながら。その双肩は怨嗟と懐疑の刺青で彩られながら。懐に魂の色があるならギラギラとオリエンタルレザーに。
鋼の光も届かない。
 
 
 
だが、朝の光は竜眼の視覚を直接刺激する。容赦なく厳しい支配者時計の針を進める。
 
 
結局、竜号機が直接相手にせねばならぬような危機レベルには到達しなかった。
 
侵入者のやる気は高かったようだが全て小競り合いで済んだ。
 
災禍の中心になるはずの大林寺からもなんの反応もなかった。報告役の弓削カガミノジョウからなんの連絡もないあたり、肩すかしのような一夜だったのだろう。
 
正確な被害は三ツ首からの報告を待つとしても。住民で片の付く襲来であったのはこの地元の底力を誇ってよいのか、もうしばらく疑心せねばならぬのか。ともあれ。
 
 
この戒厳令を今日も続けるかどうか判断せねばならない。操業を休むとそれだけ損をする。
境界線を詳しく漏れなく調査したが、碇ゲンドウは脱出の際、第三者に転用されるような抜け穴を残していったようなことはないようだ。竜尾道は今日も完璧に隔絶されている。
そうなれば、ここまで大がかりな態勢をとる必要はないのだが・・・・これは油断か。
 
悩む一秒ごとに金銭が吹き飛んでいっている。十秒ごとにそれに加速がかかる。
 
 
「あー」
「いー」
「うー」
「えー」
「おー」
「かー」
 
 
いきなりの発声はべつに発狂したわけではない。孤独な支配者とは誰も見ていないところでこういうことをやるのだった。
 
 
今回かかった費用を碇ゲンドウ・・・はダメだろうから息子の碇シンジに請求するというのはどうだろうか・・・それなら・・・と思いかけるが、無理だろうなあと否決する。
子狸の皮なんぞ剥いでも算用にならない。一時的に荒稼ぎしていた資金はおそらく手が出せないようにしてあるだろう。
 
 
「ねー」
 
 
水上左眼は戒厳令の解除を決定した。本日のスケジュールもスライド変更すませたものを順に実行していくことにする。取り返しのつかない稼ぎや仕事もあったが、仕方がない。取り返しのつくところから取り返していくほかなし。ここらへんが同じ強面系でも第三新東京武装要塞都市と違うところであった。そうなると、ちと頭をひねらねばならぬのが碇シンジの保管場所であるが・・・
 
 
「どうしたものかな・・・」
 
 
相談役もいないでもないが、昔、軍師役に裏切られて火あぶりにされかけて以来、なんでもかんでも意見を求めるようなことはない。たいていのことは自分の頭で判断できる。だいたい、そんななんでもかんでも相談できるスーパー軍師なぞ実際にはいないものだ。そうに決まっている。
と水上左眼は思っている。
昔はいたが、今はいないと信じている。いてたまるかと。いたら許さんとまでも。
 
 
優秀で有能な軍師の意見を仰いでいれば、おそらく皆「あのような者は熨斗をつけてでも今すぐ第三新東京市に返すべきです、殿」と進言しただろう。この時期の第三新東京市、ネルフ本部に碇シンジが帰還すれば、それはもう大変なことに。血の豪雨降るようなことになるのは間違いなく。碇シンジ当人も白い地獄を見ただろう。大荒れに荒れたところを再び竜号機で襲いかかれば組織もグダグダであるし本部施設まるまる頂き。使徒殲滅業界のトップに躍り出るのも夢ではない。
まあ、そんなコテコテの野心は水上左眼には全くないのだが。
 
 
そのおかげで竜尾道に繋がり続けることになったギリギリ地獄セーフの碇シンジ。もちろん本人のあずかり知らぬ事であるが。もちろん、ここも天国ではない。分かりやすいほどに竜が仕切っている隠れ里である。しかし、その竜眼も万能ではないため、遠からぬ未来にその碇シンジに軍師役を依頼するハメになろうとは、水上左眼も予想もしていなかった。
 
 
ついでに言うなら、伝言通りに碇ゲンドウが戻ってくるなどと、夢にも思っていなかった。