エヴァンゲリオン弐号機が炎に包まれていた。それは、ある朝のこと。



世界はまだ暗く、夜明け前の静寂。空気は青く、雲はまだ夜の色を忘れていない。
浮き上がる黒い影。黒紫の影。青影。薄青い影。紫。乳紫の薄明かり。白い光。光。
白と紫のコントラスト。夜は世界の奥まった部分にある己の寝所に眠りに帰る。
黄金の光鍵で寝所の扉に鍵をかける。その時、空に一条の閃光が走る。夜が終わる。





ごうッ
聞いただけで耳の奥まで焼き尽くされかねない、劫火の音。炙られた魂は悲鳴をあげる。

色即是空。空即是色。クリムゾン、カーマイン、スカーレット、マゼンダ、サングィン、パイアリット、バッカニア、ガーネット、ルビー、クラレットエジプシャンレッド、ピューレ、ローズ・ポンパドゥール、アンティックウィザード・ローズ、アセニア、フレイムヴァーミリオン、サタナイン・レッド、マンダリンオレンジ、バーント、カドミウム・オレンジ、デファディル・イエロー、エトラスカンレッド、ダブルーン、プレアリーサンセット、・・・・・・


この世に存在する全ての火色を従えてなお紅いその機体。
一瞬たりと同じ色をとどめぬ火精百万の軍卒を導かんとする火の騎士。
それでいて、力ある優雅。永の日神アマテラスが現世に降臨したかと思われた。


聖なる炉の形をつくる両掌に爛々と燃える・・・・その勢いはこの世が果ててもその中心で燃え続けるかと思われた・・・・・・炎珠


四眼からの緑光がろうろうとそれに注がれる・・・・・祝福の香油のように。





ジオフロント・仮設実験エリア
エヴァ連動試験・特式 第一回 被験者 惣流・アスカ・ラングレー



エヴァ弐号機 エントリープラグ内 惣流アスカ


瞑目したまま 操縦桿をかるくにぎり 心の中の火の道を・・・・・たどっていた


その周り三方をエヴァンゲリオン零号機、エヴァンゲリオン初号機、エヴァンゲリオン四号機が文字通りの絶対領域、結界を造りだし守護していた。
奇しくも三方を形作る超絶の三角は、錬金術の理においても「火」を表す。



「・・・・・・・・・・」
注意深く様相を見守っている綾波レイ。

「すごいや・・・・・アスカ」
単純に感心している碇シンジ。

「これは、どこから・・・・・・・・?」
軽いながらも衝撃を受けている渚カヲル。

「暁の、猛き箱根に燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて問ひし君、か・・・・・・」



「使徒を吹き飛ばした時とは・・・あの内臓じみたマグマみたいな色と違うわ・・・・・穏やかな・・・・高貴といいかえてもいいくらい・・・・」

試験管制テント 葛城ミサト

立場上コメントしてはみたものの、それは不要だった。そんなことは一目見れば分かることであるし、今はあの輝きに眼を奪われていたかった。

「そう、あのときのようなデトネーション(爆轟)ではない・・・・」
それでも長年の反射か、こういう点では律儀な赤木博士。
デトネーション(爆轟現象)とは・・・・
可燃性ガスと支燃性ガスとを混合したガスを長い管にいれ、一端を開いて点火すると最初穏やかな火炎がほぼ一定の速さで進むが、ガスの種類や混合比により、ある距離から震動を始めて消滅してしまうことがあるが、また極めて高速の激しい爆発に移行することもある。この激しい爆発をデトネーションという。水素と酸素の混合気の場合、デトネーションの波は秒速三キロメートル以上である。


「ATフィールドと云うよりはATフレイムね。まるで・・・・・」
テスト責任者としてディスプレイの情報や計器に眼をやるべきであるのだが、どうしても現物にひかれてしまう赤木博士。伊吹マヤなどとっきにその誘惑に負けて、
「綺麗・・・・・・」と先ほどからそれを六回も繰り返している。

「人火を火と言い、大火を災いといい・・・・・火は尊びて親しむべからず・・・」
副司令、冬月コウゾウが左伝礼記を口にする。
「ミサト、火と炎の区別はどこでつけるか、知ってる?」
「さあ・・」
「空間に形成された火、それを炎、というの・・・・・」
「ふーん・・・・」



それは、いうなれば鋼玉のヴェール・・・・炎のオーロラだった



まさにこの世のものならず。神々の酒宴の場ヴァルハラの壁布をこの火の騎士にと特に借り受けてきたとでもいうような。一度目にしてしまえば逃れられぬ美しさ。
それ以上に、この火は直接心に呼びかけるのだ。誰しも心の蔵にしまい込んでいる、火にくべてしまいたいもの・・又は陰湿な過去・・・・それを放り込め、と。
一切を無にしてしまう浄化の炎。くべてしまえばもう二度と戻ってこない。
その意味で炎は魔王めいた力をももっている。




ア・イィーー・・・・・・・・・・ンンン

不死鳥が産声をあげたのかと思った。炎が歌い出す。


「Singing Flame・・・・といったところですか。赤木博士の表現をお借りすれば」
いち早く、その音源を見抜いた霧島教授。
「・・・ですわね」
歯切れの良い笑顔を見せる赤木博士。説明する必要のない関係というのは気分がいい。
「どういうことですか、霧島教授」
こういう場合は霧島教授に聞いた方がいいわね、の葛城ミサトが問う。

「ATフィールドが共鳴しているのですよ。おそらく。中和、浸食といった場合にはこのような音は発生しませんでしたから、あの炎形質の弐号機のフィールドが周囲三方のエヴァ三機のフィールドに影響を与えているのでしょう。シンギング・フレイムというのは、その昔1777年、イギリスの科学者ヒギンズが酸に金属を加え、水素を導き火炎を作る実験をしていた折り、火炎の外側にガラスの円筒をかぶせておくとある高さの所で筒がきれいな音を出して鳴りはじめることを発見したのです。彼はこの現象に、歌う火炎・・・・シンギング・フレイムと名付けたのです」

「・・・・そうなんですか・・・・(ためになったけど、話が長いような気もするわ)」





エントリープラグ内でゆっくりと開かれる・・・・・蒼い、瞳。

「・・・・も神様じゃないのよね・・・・・・」
そう、つぶやくと惣流アスカは火の道を元に戻っていった。それと同じくして両掌にある炎珠も全身を包んでいた揺らめく炎も穏やかに・・・・消えてゆく。




内蔵電源 五分 終了 テストは成功 現時点で問題点は検出されず

「テスト終了。みんな、おつかれさま」

赤木博士がテストの終了を告げる。事務的な響きがかえって快いほどに、皆、弐号機のみせる火の夢に取り込まれきっていた。誰の顔にも新しく、血の気が差し変わっている。
血脈に沈殿する不純物を濾過されたように。そして、命の火を足してもらったかのように。まごうことなく、これは最先端の科学実験であるはずだが関わった人間をこれほどまでに・・・・・・影響するという点から見ると、誰が試されたのか分からなくなってくる。
そもそもの意義さえも・・・・。


アスカが特に頼んで、この実験を朝日の中で行うようにしたのもなんとなく分かるような気もするわね・・・・・・葛城ミサトが内心でつぶやく。
語るべきでないときは沈黙していればいいのだ。想いを内にひたせておいて。

心配することなんざ・・・・・・・なにもなかったじゃない。



夜の底に閉じ込められたときは、なにもかもうまくいかない気がして、実際にいいように目隠し状態で踊らされたわけだけれど・・・・こうして朝の光の中だと・・・・・・・・たとえ、目を隠されていたとしても瞼から射し込む光がうまく導いてくれる気がする。
迷うことことなどなにもない、と今だけはいえる。


すうっ・・・・・
葛城ミサトは大きく息を吸い込んだ。朝の空気は水と光が真珠のようにしあわせに。






あの事件から数日が経った。

本部を徘徊、荒らし回った「透明な使徒」、は逃げたのか、探りをいれてきただけなのかとにかく行動を停止。本部侵入の事実を隠蔽するために、その存在をひとまず抹消。

市街に放置された形の巨大標本「使徒・マトリエル」はその形通りに分析研究の為霧島研究室に運ばれ、現在分析中。コア自体は破損の度が激しく、「廃棄」。

使徒を一撃で葬ったセカンド・チルドレン「A・V・Th」。他のエヴァパイロットらと顔をあわすこともなく米国・ネルフ第二支部へ。目的は「エヴァ参号機」の「最終調整」。

スーパーコンピューター・マギに対する大規模点検が行われるも、「事件」以上の問題点出所不明のデーター等は発見検出されず。全機能、オールグリーン・・・・・。
現在も通常通り 稼働中。

正、副、予備の三系統電源の他に、ネルフ、地熱発電による第四の電源、「補正電源」開発に着手。略して「補電計画」。



まさに「真夏の夜の悪夢」としかいいようのない一夜。
覚めてみれば後に残るは後かたづけの山・・・・・・。
疲労しきった職員達は死霊の盆踊りにでも呼ばれた如く、抜け殻のようにたましい抜かれてふらふらと本部内を彷徨う。
ここ数日は誰しも闇に怯えていた。終わらない仕事を招いてくれる闇・・・・まさに悪夢。誰しも口数が少なく、ネルフ本部内にも活気が減じていた。

どろーん・・・・とした空気のままにすぎゆき・・・・・・・

誰の心の中にもじめじめと忸怩たるものが残った。あのイヤな隠熱がまだ溜まっている気がする、と誰かが言った。


その中でも元気に振る舞う人間もいたことはいた。葛城ミサトである。
空元気の見本のようなもので、その内心は暴風雨状態。子供二人を預かっていなければ、そんな必要もなかったのだが・・・・・・。

碇シンジと惣流アスカ。部下にして被保護者。幼い同居人たち。

一波乱、あった。

本部に戻りあの夜の騒ぎの説明を受けた時、意外なことに碇シンジが怒り始めたのだ。

「弐号機はアスカが乗るんじゃないんですか・・・」

専属操縦者、という肩書き云々よりも、「弐号機はアスカのもの」、という認識が基本になっているだけに、これを論理的に説得するのはまず無理。パイロットの誇りを傷つけられた、ということでさえないのだから。
制式タイプの弐号機はシンクロ可能ならば誰が乗っても同じコトなのだ。使徒さえ倒してくれるなら・・・・。
それに、これは天文学的税金で造られているわけで、個人に占有されるわけにもいかない。
と、いう正論は碇シンジには通用しない。きっと、こういうだろう。

「・・・・それなのに、僕たちはエヴァに乗って戦えって言われるんですか」

父親のゲンドウならば、平然と「そうだ」と言うところであろうが。
シンジ君たちはエヴァに命を預けている・・・・・・あの出鱈目に強い初号機にしたっておなじことだ。いくら非常時といえど、怖くて仕方がないのを無理に抑え込んで乗ろうとしているのを、ああも簡単に切り替えされたのでは・・・・・・たまらない。
それが分かっている葛城ミサトには返す言葉がないのだ。

渚カヲルと綾波レイは静かに目を瞑っていた。批判沈黙。

それに、今回、最も怒っていい・・・・・・惣流アスカが控えている。

あまりに怒りの温度が高すぎて、何も感じなくなっているのか、碇シンジが立ち上がった時も何かを考えているような、頬杖をついた左半分が白く、能面のようになっている。
説明さえも聞いていたのかいなかったのか・・・・・・

「教えて下さい・・・・・ミサトさん」
それは、答えてください、というよりさらに残酷な。少年は未だ、知らなすぎる。

「ミサトさん・・・・・・」
碇シンジはさらに踏み込もうとした。そして

「ミサトが困ってる・・・・・・やめて」

「え・・・・」
それを引き止めたのは惣流アスカだった。さして気の入った云いようではなかったが。
「大体の事情は分かったから・・・・使徒を倒したんならそれでいいじゃないの。周辺に被害を及ぼしたわけでもないし・・・・・操縦にも文句のつけようがない」
正論ではあるが、この時誰にもそれは投げやりに聞こえた。

「それで・・・・・いいの?アスカは」
エヴァへの想い、拘りをその耳で聞いた碇シンジはその気の抜けた言葉を疑うしかない。
気性の激しさも、その身をもって知っている。信じられない・・・・・
これじゃ、物わかりがいいとかなんとか云うより・・・・・

・・・・・・大事なものが壊れちゃったんじゃ・・・・・・・

おろおろと震えるようにして心配する碇シンジ。

「うるさい・・・・・・シンジ」
ひたすら自分の考えに没頭しているようで、答える気はないようだ。

「・・・・・ごめん・・・・・・」
しょぼんとうなだれてしまう。弱すぎる碇シンジ。これでも初号機パイロット。

葛城ミサトは内心で苦く頭をかき、渚カヲルも綾波レイも何も言わない。
ひとまず、説明会はこれでお開きになったわけだが、子供の心は閉じたままだ。


特にアスカは重傷だわ・・・・・・・・葛城ミサトの心配していた通りになった。
しかし、どうしてあげることもできない・・・・・根底の部分を切り崩されたようなものだから。そりゃ、頭にくるわよね・・・・・やる気も失せるわ・・・・・・・
苦悩を呑み込んで、葛城ミサトの気分はひたすらに重かった。




家に帰ることも、怖かった。ここで指揮官の仮面を被ってしまうかもしれないことに。
そうなれば楽ではあるが、もう二度と一緒に暮らせなくなるだろう・・・・。

誰かに相談できるならば・・・・・・加持・・・・・いや、ここでひとは頼れない、か。
いろいろと考えつつも、入り口にたてばドアが開く。
「ただいま・・・・・・」

「あ、おかえり、ミサト」
そこにはちょうどシャワーを浴びてあがったばかりらしい惣流アスカがあっけらかん、と立っていた。何の含みもなく・・・・いつも通りの表情で。
それから、とてとてっとキッチンの方へ背を向けた。冷たいジュースを飲むのだろう。
風呂上がりの一杯にいつもどおりで。
「ミサト、帰ってきたわよ。三人分でちょーど良かったわね」
「ほんと?じゃ、お皿をならべてくれる。ご飯にしよう・・・・あ、でもミサトさんなら
お風呂が先かなあ」
「アンタねえ・・・・いつも思うんだけど、それじゃミサトの奥さんじゃないの」
「そんなことないよ。僕は未成年だし」
「アンタ、ばかあ?当たり前みたいな顔して答えないでよね!」

なんだか、いつも通りの会話がなされている・・・・・・本部から帰るまでの道すがら、三ヶ月も経っていたとかいうトワイライトな現象でも起きていたのだろうか。
一瞬、葛城ミサトにそう考えさせる日常の・・・・・・・いや、これは幻聴ではないだろうか。本当は誰もいない・・・・・アスカもシンジ君もいない・・・・・隣の部屋で蝉の声をそのように聞いているだけ・・・・・・


異変や異常に反応、対処する能力が人並みはずれている葛城ミサトは、今、この日常の音景に、ぼうっと立ちとまっていた。これは、現実にしては都合がよすぎる・・・・・

「なにやってんの?」
首をかしげるように惣流アスカがキッチンから声をかけた。
なんの悩みもなさそうな、いや、それではただのバカ娘だ・・・・・とにかく、そこには誇りを傷つけられて、声も立てずに内心で痛みに呻いている少女の姿はなかった。

「きゅあっくくーぅぅ」
ペンペンが出迎えてくれた。どうも、本物らしい。
「おかえりなさい、ミサトさん。・・・・・・あの、昼間はすいませんでした」
碇シンジもキッチンから出てきた。エプロンのままで。
「あ、いやあ、なんだかなー・・・それは別に・・・・・と、とにかく、ただいま・・・」
どういうことだろうか・・・・・波乱の続きか、原油が流出したような不気味な沈黙を予想していたのだが・・・・・。なぜか穏やかに波もなく、あか橙の空気がはやく家に入れとせかしている。ここは、あなたのいえなのだ、と。

怒りが過ぎて、むしろ怒れなくなっているのか。それとも不機嫌を現さないほどに距離をとることにしたのだろうか・・・・・・この子達は・・・・・。
楽でいいけれど・・・・・それも少々、寂しいものが、ある。勝手な言いぐさだが。

汗を流すより、気分を変えるためにシャワーを浴びる葛城ミサト。戸惑いはきえていない。


「・・・・・・あらぁ・・・・・・・・」
あがってきた葛城ミサトは、食卓の異変に気づいた。そこだけは日常とかけ離れ、かえって葛城ミサトを人心地つかせた。
だが、またしても碇シンジの発案なのかそうなのか、食卓の上には予想もしないもの。
存在だけは知っていたが、ずうっと縁がなかろうと思っていた代物だった。
「シンジ君・・・・・・これは・・・・・」
もしや、今日はそんな日だったのだろうか。

「アスカの注文なんです。ここ数日はこういうものにしてくれって・・・・」
「アスカの?・・・・・よく知ってたわね・・・・・」
でも、一体どういうことなの?すっとんきょうにしては、顔つきが澄んでいる。
目の光も意志を秘めてサファイアのように青い。苛立たしさの一祓いされた、清々しい表情をしている。昼間の能面のような大人しさとはダンチの。
「さ、食べよ。ミサトも実は食べたことないんじゃないの?こーゆーの」
「そりゃあ、ね」

・・・・あとでシンジ君に何があったのか、教えてもらおうかしら・・・・。
その日は、葛城ミサトはビールを飲まなかった。



「僕もよく分からないんですよ」
と、碇シンジは言った。惣流アスカが部屋に引っ込んだ後に、そいっと招き寄せて聞いてみたのだが・・・・。
解散後、家に帰る途中まで、ずっとアスカの機嫌は悪かったらしい。
うるさい呼ばわりされて、声をかけることも憚ってその後を心配げについていくシンジ君の姿が話を聞きながらみえるようだった。
「カヲル君も綾波さんも、そっとしておくようにっていうからそうしてたんですけど・・・・・・バスから降りて、家まで歩いていたとき、急に元に戻ったんです」
「ふうん・・・・・・」
やっぱり空元気なのか・・・・それとも・・・・・
「それで、家に帰ってから、今日のご飯はあれにしてくれって言い出して・・・・」
「突然だったから大変だったでしょ」
「本式なものじゃないですから・・・・・それほどでも」
「数日、これにしてくれっていうのはどういうことかしら」
「・・・・えーと・・・・そのままの意味じゃないですか」

「うーん・・・・」
今時、日本人でもやらないようなことを・・・・・。葛城ミサトは悩んだ。




しかし碇シンジと違って、惣流アスカは己の考えを早々と颯爽と披露してくれた。
それは午前三時のこと。葛城ミサトの寝室で。碇シンジは眠っている。

「それで、ミサトに作戦部長として、頼みたいことがあるんだけど」
「リツコたちを説き伏せろってわけね。まあ、構わないけど」

それは、調整のつき次第、自分と弐号機の連動試験、それも特殊な形式で行って欲しい、ということ。荒削りながら、大体のアウトラインさえ考えてきていた。
大まかにいうと、初のジオフロント屋外実験にしてエヴァ三体をサポート役とする、かなり大掛かりなものだった。

対抗意識によるものだろうか・・・・・と、最初は思った。焦りが生んだ虚飾かと。
自分のあの、双方向ATフィールド二枚組、の技をやらかそうという気でいるのだろう、と察したが、その気でいるならまさしく分裂傾向。休養をとらせねばならない。
しかし、そうでもないらしい。
いたって、まともに、そして、自然に、惣流アスカはこういったのだ。


「わたしのATフィールド、見せてあげるわ」



まだ若い花魁がその極上の白肌を、そっとすべらせた着物の襟から咲かせるように。
赤き燃え立つ何かが、その襟足から立ち上っていくのがみえたのは、錯覚だろうか。
女性の霊感というものが、その長い髪にかくされているならば、ザワザワと波騒いだ。


結局、葛城ミサトはその錯覚に乗った。あの事件の後始末の中に、方々を回って調整し、実験の日取りを調えた。だが、スタッフ達は疲労が溜まっている上に、試験の目的が今一つ明瞭にされていないために、不満が強かった。司令らを説得するのも一苦労であったし、何より赤木リツコ博士を口説き落とすのが一番厄介だった。科学者は錯覚には乗らないし、気分的にも余裕がなかった。
「時間も予算も足りないというのに・・・・・その必要はありません」


「実験と冒険は違うものなのよ・・・・・・葛城一尉」

一太刀で切り捨て、子供の言葉に乗せられてどうするの、と窘めさえした。
が、葛城ミサトはなんとか説き伏せた。論理でも情けでもなく、根勝ちだった。
自分のカンが、アスカの中にある、何かを信じよ、と言っていた。根拠はそれだけ。
通常の人間ならば、組織の中で顔色が錆びついていくような状況に自ら落っこちて行きながら、葛城ミサトは涼しい顔をしていた。まあ、この程度のことで動じるような神経ならば今ごろ胃をやられて退職していることだろうが・・・・。

「ま、どーんとやってきなさいな」
未明に、惣流アスカを送り出した言葉がこれである。

初の屋外での実験であるにも拘わらず、どうも気合いの入らないままに行われた弐号機の連動試験であったが・・・・・その結果は・・・・・・・・・



一気に上昇気流に乗せて、そのような澱んだ空気を四散。吹き散らしてしまった。
こういう真似が出来るのは・・・・・・というより、機械には出来ない。
凛として朝日の反射光の中に立つエヴァンゲリオン弐号機は崇高さすら感じさせる。
炎のようにゆらめくATフィールドは、機能というより、表現、というに近かった。

惣流・アスカ・ラングレーの意志をこの世に顕わすための・・・・。

天才とは、意志の色彩をわずかの曇りも濁りもなく狂わすことなく、人に現せる者のことだとしたら、この時、惣流アスカはそう呼ばれてよかった。
が、あまりに本質に近く純粋すぎて、それはさして意味ある名称ではないのかもしれない。


少女は、ひと・・・・・火と・・・・・なっていたのだから

「アスカ?・・・・・・アスカ、・・・・・・・」

誰かに声をかけられた・・・・・・・まだ、体が熱い・・・・・・でも、耳の奥でこだまする・・・・紅い風の渦巻く音は・・・・気持ちがいい・・・・ふきあがる・・・・ 血の流れの旋踊・・・・・・人の心の央火・・・・

ああ・・・・・ここは・・・・・エントリープラグ・・・・・・
もう出なきゃいけないの・・・・・・もうちょっと・・・話していたかった・・・・・・

けど・・・・自分で・・・・・・



エヴァンゲリオン弐号機ケージ エントリープラグ搭乗口

惣流アスカがよろけながら出てきた。以前、初号機であれをやらかした時には意識も失い体もがちがちに硬直してしまったが。四肢に軽い痺れと浮遊感があるが、歩けないほどでは・・・・・

ぎゅうっ・・・・

思い・・いや、想いっっきし!抱きしめられた。しばし口もきかせてくれないほど。
葛城ミサト。人の三倍は口が達者なはずのこの女性が無言のままに。
「おつかれさまー・・・・・・・・」
夜桜の朝露のように、垂れてくるひとこと。ぶっきらぼうなのは本音だから。

「あー・・・・おなかすいた・・・・ショウジンケッサイは今日でやめるわ」
これが本音なのはお腹がすいているから。ここ数日、惣流アスカはお粥しか口にしていない。理由は、精進潔斎。ちなみに碇シンジもつきあわされた。


「アスカ・・・・ほんとに・・・・・・」
言葉が出てこない葛城ミサト。なんといえばいいんだろう。自分の選択が正しかったとか間違っていたとか、そんなことじゃない。才能の発露がどうのこうのというのも今になってみりゃどうでもいいような気もする。使徒を倒すための才能ならば、すぐ言葉に表せるはずだ。作戦部長として上司として、誉めることは大事なことだ。
だが・・・・・・・アスカはエヴァのパイロットというハードでもなければ、パイロットの任務をより良く果たすためのソフトでもない。
情が移ったという安易な言い方をされてもかまわない・・・・・そのレベルの、他人にはいえないごく個人的な思いこみにしかすぎないのだろう・・・・が、思うことがある。

「だから」 惣流アスカはエヴァ弐号機のパイロットなのだ、と。

うーむ、自分でも全然わかんないわね。ただ、こう思うのだ。
なにか・・価値を見いだすほどに、「深く」使えるようになったんじゃないか・・・・・。

これってひいき目かしらね・・・・・。スープ皿の底より深く反省・・・・・。

エヴァは戦う道具・・・・兵器だが、それに乗るあの子達もそうなるのか。
まあ、こっちがそうなるようにしているわけだし、グダグダ考える資格はない。
ただ、そう「成って」しまうのが・・・・・・平和利用の兵器なんてないけど・・・・

エヴァがどれくらいの・・・・「代物」なのか、見せてくれる日がくるかも・・・・・・
行く先に・・・・・安堵の予感があるだけでも・・・・今はうれしい・・・・・・・。

セカンド・チルドレン・・・・・・そのセカンドは「セカンド・ウィンドウ」のことなのかもしれないわね・・・・。秘められた力。やる気になったらやれる力。最悪に体調が悪いときや疲れの頂点に達したとき、ふと開くドアのことだ。心の底にあるそれを・・・・運命の扉をいつも叩いていたはずだ。アスカは。自分の意志でそれを開くために。


くっ・・・・・・いっしょうけんめい、体調なんてととのえちゃってさ・・・・・・
これを健気といわなけりゃ、何を健気というのだか。

口が達者なわりには、他人には話せないものを感じることが多い葛城ミサトであった。






「あれって一体、どうやってるの?」
今日は学校は休みだが、制服に着替えて食堂で朝食を摂っている四人のチルドレン。
精進潔斎があけても、トレーに乗せられる軽い食事だ。
家では食事内容をつきあわされ、というか、つき合い、昨日は本部に寝泊まりして今日は朝早よから起きてこのテストに異例のエヴァ三体のサポート役として付き添った碇シンジが尋ねた。ちなみに、「エヴァのススメ」には書いてなかった。
ここ数日は不機嫌と真剣の間を行ったり来たりした、張りつめた表情の惣流アスカがようやく柔らかい・・・・・単に疲れて眠かっただけなのだが・・・・・・顔をしているので
なんとなく安心した。真剣なアスカってこわいんだよな・・・・・でも、こっちまで引き締まってくる感じはするけど。


「ぼくも、きいてみたいね・・・・」
渚カヲルである。エヴァ弐号機のスペックを完全に引き出したのが、もう一人のセカンド・チルドレンだとしたら、惣流アスカのあれは・・・・・初号機で使徒を引き裂き爆砕した・・・・あの時の・・・・・暴発した・・・

「・・・・・・・・・」
マイペースで食事を続ける綾波レイ。知ったことではないわ・・・・というより、単にこの距離なら耳をすませなくとも聞こえるだけのこと。


「知りたい?」
もう言葉も手足もしゃっきりしている。眠たくはあるが、胸の奥にまだむずむずとした興奮があるのだ。こればかりは、何万言費やしてもエヴァのパイロット以外には分かるまい。逆の意味で、同じ弐号機を操るもう一人のセカンド・チルドレンには、分かってもらえないだろう。たぶん。・・・・・・話す気もない。


「うん、教えてよ」
自分でやってみよう、という気はない。これは料理のレシピではないのだ。
第一、あれは紅い機体の弐号機だからあうのであって、初号機には似合わない。
冗談ヌキで悪さがすぎて火山炙りの刑にされているように見えるだろう。
渚カヲルも・・・・・まあ、思考のレベルは違うものの、同じくやってみようとは思わなかった。単に興味からの問いで紅白になって派手すぎる、という理由からではない。


「ホントはタダで教えるのは勿体ないんだけど、アンタたちにも手伝ってもらったわけだしね。・・・・正直なところ、うまくいくかどうか半々だったんだから・・・・」

「え?でもアスカ、自信満々だったじゃないか。何をどうするのかは教えてくれなかったけど」
それで重要な実験のサポート役を任せられるのだから、現在の碇シンジの立場が分かる。その分、渚カヲルと綾波レイには苦労が多いわけだが。

「能力の発動というか・・・・つまり、やれるかどうかっていう点では心配してなかったわけ。その自信があったからこそテストに臨んだんだし」


初号機での戦闘のことを惣流アスカは忘れなかった。脳に記憶し心に刻んで、じいっと考え続けていた。あの時の精神状態を分析して、イメージを広げる・・・・・。その心の姿勢は刀鍛冶のそれにどこか似ていた。いつもいつも・・・・・・寝る前やシンクロテストの前後には特に・・・・・心の底の方で一人、研ぎ澄ませていた。

自分の胸の奥にある、あの赤い光を。

どのくらいまで鍛え上げればいいものか・・・・・・・

自分がいいと思うまで・・・・・・・・

惣流アスカは自分で納得するイメージを掴むまで、そのことをおくびにも出さなかった。表に出すのは不安だ・・・・・というにはあまりにもその眼は凛然としていた。

まだまだ・・・・足りないな・・・・・

と、惣流アスカは考えていた。まだ、その時期じゃないし、こんなもんじゃないはず。
秘めてなお飽かない思いは恐ろしく強い。葛城ミサトが感じたようにその強さがエヴァ弐号機パイロットという響きを変えてきていた。まだ、誰も聞かない。
それを、未だ不安定だと自ら認めながら、サポートを必要としてまで、惣流アスカが今回衆目に現そうとしたのは・・・・・・


赦せなかったからだ


誰が黒幕なのか知らないが、先の事件のふざけたやり口が断じて赦せなかった。
エヴァ弐号機を「とられた」ことではない。・・・・無論、それもあるが。

弐号機に誰が乗っても・・・・・自分はエヴァ弐号機のパイロットだ。

どちらが格上か思い知らせてやる・・・誇示・・・・という気分があるのも否定しない。

けれど、それ以上に・・・・・・・これは・・・・・自分自身の正義のために。


朝日を浴びて、エヴァから見える世界中に示してやりたかった。
神域を護る炎壁の如く燃え上がる絶対の赤は、百万言を費やすよりも烈しく深く人を魅了する惣流アスカのメッセージ。想い、そのもの。

形もなく、誰にいうとでもない、惣流アスカ本人も理解を求めようとはしていなかったが。同じエヴァのパイロットならば・・・・どこか通じるところがあるんじゃないか・・・・少々、期待していたかもしれない。共通の目的を持つ者として。

「・・・ただ、コントロールしきれるかどうかが問題だったのよ。だから屋内の試験場ではやれなかった。暴発すれば・・・・・」

巨大な顔無し山鯨型使徒(ガギエル)をも一撃で引き裂いた程の威力だ。下手をすると本部がぶち壊れてしまうかもしれない。エヴァが暴走しての蹴る殴るだの物理的衝撃には計算可能でも、ATフィールドのそれはまさに計算不能。ひたすら広さをとってその領域を収めてしまうほか実験場での顕現の方法はない。大体、惣流アスカの炎壁は渚カヲルの「八つ裂き光輪」の真似(のつもり)だったのだ。攻撃用のフィールドなわけで、試し切りをしてみよう!とはいかに強気の葛城ミサトでも言わなかった。

惣流アスカもその辺りを恐れた。ゆえにサポートにエヴァ三体を頼んだわけだった。
エヴァ三体によるATフィールド三重結界。これ以上の絶対度はない。しかも専門家の渚カヲルまで参加しているとなれば、これ以上望むべくもない陣容だ。
天才万能科学者、赤木リツコ博士。世界最高のスーパーコンピューター、マギ。
戦運の良さでは天下一品の葛城ミサト。部下に最高の気合いを維持させる総司令の睨み。優秀で冷静な対応の綾波レイ。そして、現在のところ不幸な星の巡りによって惣流アスカが日本で一番バカ呼ばわりするが世界で一番その底力を買いかぶる・・・・ことになった・・・・・初号機と碇シンジ。

これで成功しないなら、端から無理だったってこと。じゃ、気が楽じゃない?。


「バックドラフトの可能性は考えなかったのかい?」
渚カヲルが問うてきた。いうなれば炎の逆流現象だ。威力が威力だけに(見かけ以上に剣呑な代物でもあり、かなりの高主力を記録していた)そうなると、弐号機もタダでは済むまい。高いシンクロ率が災いして大火傷を負う危険性もあったはずだ、と言外に指摘する。
渚カヲルならではの専門的突っ込みである。ただ、それだけではない。
その覚悟は競争意識や否や、を見透かしていたのかもしれない。もし、そうである場合の危険性をも慮り。穏和ではあるがあらゆるまやかしを許さない赤い瞳。


・・・・・シンジの奴、よくこんなの相手にして君づけで呼べるわね・・・・・・

意識圧が未だ高いためにたじろぎはしないが、やはり渚カヲルは高位の、別種の人間に見えてしまう。神話の時代からこの姿のままで生きて、ここにいる感じなのだ。
卑近な言い方にすれば、一目置く、というやつだ。目一個くらいでは足りないだろうが。

「一応、発想の原点は渚、アンタのアレを真似させてもらったけど、あれは絶対にアタシに危害を加えない。アタシがそれを願わない限り。まだ、未完成だけど・・・・・
それだけは分かる。心の一部・・・・・そういうものなのよ」

言葉はイメージを伝えられないように出来ている以上、言葉を重ねてもさほど意味はない。
だから、今、こうして同じパイロットの三人に話しているのだ。


「そう。火の主に・・・・・・なれるといいね」

「・・・・・・・・・・」

「そういうもの・・・・・ってどういうもの?」

三者三様の答えが戻ってくる。惣流アスカとしても答えようのないものばかり。


こいつらに・・・・・・・期待したアタシがバカだったわ・・・。

しかし吐息が笑っていた。そして
「とにかく」
珍しく、こまったような笑顔をみせたのだった。






赤木研究室

「お仕事増やしちゃってゴメンねー、リツコ」
「く・・・・・・ミサト・・・・・・・・・」

そう葛城ミサトに微笑まれて、百パーセント困った顔をしたのは赤木博士。
「宝くじで当てた一千万円のうちの、困ってるっていうから友達がいに利子ヌキで貸してあげた百万円、返しにもらいにきたわぁん」「げ・・・・・・・まだ二日しか・・・・・」
という会話に入れ替えてもオッケーかもしれない。

大規模な実験などをやらかせば、最も負担が来て割りにあわない思いをするのは赤木博士である。ただでさえ忙しい・・・・・マギの不審動作について心労が重なっている・・・・・・・というのに、この長年の親友は労いの言葉もないのだ。情がない。
なんでこんな葛城ミサトとつき合っているのかというと・・・・・女と女の間もロジックではないからである。ちなみに男と男の場合は、ロジックで分析する程は複雑ではない。
希に、総司令と副司令のような例外パターンは存在するとしても。

葛城ミサトは、けんもほろろに断られかけた、というのをしっかり覚えていてその仕返しにやってきた、というわけではない。本当に礼をいいにきたのだった。

「はい、メンソール三カートンに栄養ドリンク、あ、これは新製品でコーヒー味なのよ。
だから、カフェインは別口で摂取してね。よく漫画家が飲んでる無水カフェイン。ニトロも欲しかったら言ってね。すんごく利くそうだから。あと、これは手に入れるのに結構苦労したのよ・・・・・なつかしのチャーリー小林が宣伝してた”ピロン”よ。学生時代、徹夜の時はよく飲んだっけ・・・えーあとは肌のお手入れにリツコは山猫印クリームだったわよね・・・それから目薬は」
ドカドカドカ、と怒濤のように持ってきた差し入れを机の上に雪崩落とすと葛城ミサトはさっさと帰っていった。無駄な時間は過ごさない。これが友情を長続きさせる秘訣である。

労働者M「働けー、働けー」という無言のエールを送りながら・・・・・。

赤木博士が今、どのような表情をしているかは、先に挙げた例をイメージしてもらうと、とても分かりやすいと思います。






総司令官執務室

「これは嬉しい誤算というやつだな・・・・・この年まで生きてきてその逆にはいくらでもお目にかかったが・・・・・・・長生きはしてみるものだ」
副司令冬月コウゾウがしみじみと言った。
総司令碇ゲンドウは最初、「ああ」といつも通りの相づちを打とうとしたのだが、副司令の述懐後半部分には賛成しかねるものがあったため、中止した。



「ゼーレのシナリオ行動表も修正を余儀なくされ続けている・・・・・改変といってよいほどだよ。現実に適応できなければ、七つの目を持つ神でさえ滅びの道をゆく、か。
葛城教授が生きておられたら・・・・・なんと言われるかな。あの識見は惜しかったよ」

「受け継ぐ者がおらねば死者は沈黙したままだ。何も語りはせんよ」

「葛城ノートか・・・・・裏死海文書などより、よほど信用がおけたのだろうが」

「神懸かりになった科学者による妄想の産物・・・・・詩篇だとも言われている。
どちらにせよ、散逸した現在となっては我々には意味のない代物だよ」



「”ニフ ”の状態はどうなっている」
「霧島君がかなり拡げてくれたからな・・・・・凍結樹海の庭園部分を」




「南極か・・・・・同じく埋もれたロンギヌスの槍は」







てくてく・・・・・一人で通路をゆく碇シンジ。行く先は霧島研究室だった。
今日一日は本部で待機を言い渡されているのだが、特にやることはない。
惣流アスカはさすがに疲れがでたらしく、仮眠室へ。
綾波レイと渚カヲルも誘ったのだが、何やら二人ともやることがあるらしい。
・・・・というより、本部内においてエヴァのパイロットであるのにやることがない碇シンジの方がおかしいのだが、本人はいっこうに気にしていない。
周りがその点に関してまるきり期待していないせいもある。渚カヲルなど赤木博士のサポート、いわば仕事である。綾波レイは再びプラグスーツに着替えてのエヴァの調整モニターなど。これまた仕事である。「僕もなにかしましょうか」と一応、聞いてはみたものの、首を横に振られる。それなら、と霧島研究室へ足をむける碇シンジであった。



霧島研究室

「こんにちわ」

「おや、シンジ君」
霧島教授はいつも穏やかである。この人が焦ったりするところを碇シンジは想像もできない。本部は今朝の実験で活気を取り戻していたが、ここだけはいつも変わらない平穏。
時間があれば話をしてくれるし、忙しければ適当に席をつくってくれる。
上品に乾いた空気。その対応は、エヴァのパイロットに対する、というより大学の近くに住んでいる中学生が、何の縁か研究室にたまに顔を見せるようになった、という感じの、実にそのままなものだった。学校以外に、碇シンジは学舎をもうひとつ知っているわけだ。
しかし、今日はなんだか忙しそうだった。

「あのー、マナちゃんに電話してもいいですか」
そこで、ここに来たもう一つの理由に切り替える。霧島教授の話も好きなのだが。
「そういえば、最近はここで話していなかったのだね。マナが残念がっていたよ」
ぬけぬけと碇シンジが尋ねても、霧島教授は年頃の娘を持つ父親とは思えないほどあっさりそれを承諾して、いつものように研究室奥の隅へ。そこには古い型式のテレビがあった。今時珍しい、ブラウン管方式の場所をとる凸なやつである。その横にはこれまた年代物のダイヤル式の電話機。受話器を取るとじーこ、じーことかけ始める。
碇シンジも手慣れたもので、テレビのチャンネルをガチャガチャ回して調節する。


「はい、霧島です・・・・・・って、テレビの方だからお父さんに決まってるわよね。
あ!シンジ君もいるの?かわってかわって!」

電話機に接続されたテレビの画面は白黒だが・・・・・そこには霧島ハムテル教授の愛娘霧島マナが映っていた。俗にいうテレビ電話である。わざわざ碇シンジがここまで電話をかけにこようというのも分かろうというもの。

「やれやれ・・・・」
霧島教授は上品に苦笑してみせて、碇シンジに受話器を渡して少年少女を二人きりにした。

話上手にして聞き上手の霧島マナは、碇シンジと楽しげに話をしている。
話下手にして聞き下手な碇シンジにしてみれば、またとない話し相手なのであった。
ピアノの連弾のことを教えたのも霧島マナだった。教授の娘だけあって、その話も回転数が多いだけの上滑りしたものではなかった。明るい口調だけれど、研究室で聞いても違和感のない。中学生として、きちんと頭もいいのだろう。誰にでも好意をもたれる、人生得するタイプの女の子だった。

さて、会話が弾んでいる間に、このテレビ電話のことなどを。

「テレビ電話」。科学小説にはありがちな製品だったのだが、2015年の現在になっても一般家庭に実用化されることはなかった。技術的には可能であるのにそれが成らなかったという点で、もう二度とテレビ電話が家庭に普及することはあるまい。
人類は電話に相手の姿を映すことを求めないことを選択したのだ。
技術的には可能であったのに、さほどに広がらなかったのはセカンド・インパクト以前の大手電話会社の出した、キャプテン・システムとインターネットとの比較に似ていなくもない。どちらも似たような憂き目にあってしまったわけだ。
目は口ほどにものを言う、という。せっかく上手いこと電話口で嘘をついているのに、見破られたり、目が白状してしまったり、とそれを恐れたわけでもあるまい。たぶん。

そんなテレビ電話をたまたま霧島教授は持っていたのだ。そして今回の単身赴任に活用することになったわけだ。古い機械ではあるし、特殊規格の回線はひけないとあれば、画面は白黒になってしまう。が、娘の様子を声だけで確かめられる、と過信していない霧島教授は一日一回は必ず、連絡をしていた。広く普及しないためにDHP(電子影武者機能)まではついていないが、現在の技術はほとんどタイムラグも映像のぎこちない堅さもなく、相手と対話できた。年輩の人間ならば、昔の人間と話しているようだ、とか葬式の写真みたいでエンギが悪いなどと言ったかも知れないが、碇シンジ達は古い映像の記憶をもともと持っていないために、素直にそれを受け入れた。
白黒だと、それだけ人がやさしく見えたかもしれない。


ものくろーむの恋・・・・・・・・・・

とまでは文学的にわざとらしく言い過ぎだが、かえって霧島マナを感じることが深かった。白黒だけに、感情さえもほのかなものになるのやもしれぬ。

近頃は電話番号なども教えあい、家にかかってくることもある。
碇シンジは自分からかけることはない。せっかくなら、こうして顔をみたかったからだ。

ネルフからかけると電話代を気にしなくてよい、という理由ではなかった。
それにしても長電話であった。相手が見えると、寝そべりながら話す、などという芸当が出来ないだけに、お互い話しているのが波長があって面白いのだろう。
地球防衛バンドのことについて碇シンジはしゃべっている。メンバーがようやく揃っただけでほとんど形になっていないのだが、ただみんなで何かをやるということに浮かれていて、口が軽い。それに今日はすごくいいことがあったのだから、心の調子もいいのだけれど、さすがにそれを教えるわけにはいかなかった。さらにいうなら、エヴァのパイロットであることも教えていない。

「僕は実は巨大ロボットに似た人造人間に乗って使徒という怪物と戦うパイロットなんだ」

などと言えば、相手にされなくなるのは見えている。それに、なぜか言いたくもなかった。


「わたし、行ってみよーかなあ」
その言葉は唐突に。しかし、霧島マナの内心で前から考えていたこと。瞳を細めた笑顔が
碇シンジの次の言葉をやわらかに支配している。

「え」

「シンジ君の演奏を聴きに。第三新東京市まで」





つづく