その岩は、いつから存在していたのか。知っているのは大霊のみ。
トクペラ・トクパ・クスクルザをすぎて、ツワカキまで。
世界の造られる前の世界・そのまた前の世界・また前の世界・無ではない世界の始まり。
雷神鳥の巣岩として崇められた聖なる巨岩。地平線に設置された大地の心臓部。
それは空に届く岩・スカイ・リーチング・ロック。オムファロスの標。
寂滅の世界。世界の隅々までピントがあってしまったような奇妙な世界。風の音のほかには何一つ聞こえない。耳の奥が痺れるような沈黙。カサガザ。100メートルほど先を走る爬虫類だか多足昆虫だかの地面を擦る音がすぐ近くに飛び込んでくる。
蓬や風転草の影が散在する赤けたけたくたけたくたくけけたけたかけたけたけたくた!!
メサの頂上に人の影が。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・・たくさん・・・・・
橙を基調とした、色鮮やかな衣を纏った人間たち。響く朗々たる呪術師の古星樹声。
「それはいかなる勇者につかわすのか・・・・・・・」
巨岩をほとんど盲いた眼に映しながら、「長老」が隣りに立つ白銀の髪の少年に尋ねた。
返答にはしばし時間がかかった。
「勇者というより・・・・・・彼は・・・・・雷の人(サンダー・ピープル)なのです」
ぱらぱらっと風が少年の髪をゆらす。赤い瞳。このごろあまり笑わなくなった、この少年の珍しい微笑みがうかぶ。渚カヲルである。
「光の人の・・・・トモダチは・・・・・雷の人か・・・・・」
長老は叡知を宿した深い皺に笑みを埋める。ある種のユーモアを感じたのであろう。
「そのために・・・・あの大岩を・・・・それもまるごと・・・・削り取るというのか」
「はい。あの岩は世界でもまれな・・・超級純度の電裔岩(ボルタルク)なのです」
大抵のものは自分の所で賄える若き城主の渚カヲルにして、これだけは必要量造り出すことが出来なかった。ゆえに、少々、荒事に出ることになった。
法規的にはこの広大な、しかし一時期、誰からも見捨てられた寂寥の大地は、後継された自分の地所ではあるが、「大地は子孫から借り受けたもの、そして、母親のようなもの」で売り買い所有できるものではない、という宗教を生きているネイティブな人たちから、どこから情報をキャッチしたのか謎なのだが、抗議がきてしまった。
今日はその、一大抗議集会であった。ぞくぞくと現れた部族の、または自然擁護団体などの人間たちに対して、死海財閥の御曹司という肩書きで渚カヲルは弁護人もつけずに、この場所でたった一人で風に吹かれながら応対した。
渚カヲルが太古の昔から崇められてきた神聖なる巨大岩を削って、一体何を造ろうというのか、正直に話したとて理解できる人間は皆無に近かった。メディスンマンと呼ばれる、呪術者たちも、少年の赤い瞳を覗いただけで泡をふいてひっくりかえった。スピリット・・・・パワーが違いすぎるのだ。その赤い瞳に映る光景は、たとえようもないほどの災いだったから。そのうち、人の波が割れ、「長老」が現れた。御歳122歳。病院からの直行だった。
120年以上も生きれば、やはり神通力が備わるのかもしれない。もともと、尋常でない凄腕の呪術師であったらしいが、長老は100を越えてから生まれたこの少年を見るなり、
言った。
「槍・・・・か。つくりたいのは」
渚カヲルにしてみれば、ようやく話が通じる人間が現れた、という安堵があっただろう。完全に、異邦人であった。このメサは「渚カヲルの”場所”」なのだが・・・・。
「日本では”鉾”と呼ばれているものです・・・・」
「おうおう・・・・東の・・・・・、おやおや、お前は、ナギサの子か・・・・・」
「ええ」
「ならば、かまうまい・・・・・ここは白い愚か者に一度汚された大地・・・・放射能などと・・・・・おろかなことだ・・・・・・それを甦らせたのはナギサの力だ・・・・・・我らではない・・・・・その子であるお前の意志だ・・・・・かまうまい」
パイプから流れるけむりのようにゆっくりと、言葉から歴史が流れていった。
ここは、ほんのすこしの昔、放射能汚染区域だった。
長老の言葉に逆らう者はいなかった。渚カヲルの行為は承認された。
承認されようがされまいが、秒刻みのスケジュールに拘束される渚カヲルの行動にさほどの遅滞はなかっただろう。最悪のケース、ここで数百単位の行方不明事件が起きることになるだけだ。少年が制止しなければ、方々に隠れている見えざる者たちのマサカーが発生したかもしれない。この国でのゼーレの力は絶対者の法なのだから。
とっぷりと日が暮れて。
メサの上で渚カヲルが唯一人、暗闇に消えていく巨岩を見つめていた。
四号機の到着後、すぐに削岩にかかる。エヴァを使えば作業も突貫、日が昇る前に終わる。ミーティングの類はすでに月孔城で済ませてあるので、今は一人でトランスの時。
巨岩に宿る神性を誰よりも深く感じ理解しながらも、その手で砕いてしまえる。
恐れも畏れもなく。神のように振る舞うことを。
ぱん、ぱんっ、ぱんっ
軽く、何かがはじける音が背後でした。同時に、人の気配が現れた。ふいに。
「やっほー、カヲル君」
振り向くとそこには、もうひとりの綾波レイがいた。香草を燻してあるたき火に、かんたんぽ・ぽ・ぽ・ポップコーンをさらしていた。アルミ箔が餅のようにふくらんでいる。
「きみか・・・・・」
さして驚きもしない渚カヲル。しかし、声は柔らかい。ふいの訪問を歓迎する面もちさえ。
「さむいね。ここ。昼はあんなに暑かったのにさ。温度差が激しいんだー。あ、今日きたのは陣中見舞い。カヲル君、元気だった?」
「一昨日も”壱七七七番溶身炉”の前で会わなかったかな」
「昨日、会わなかったじゃない。ま、それはいいとして、コーヒー煎れてきたから飲まない?とぽとぽー・・・・・はい。あ、ポップコーンも食べていいよ」
鳩が豆鉄砲くらったイラストのふくらんだアルミ箔をはぐと、さっさか自分の口に放り込む。しかも、ぐー手だ。
「ありがとう。・・・・いただくよ」
「ほんとは昼間こようと思ってたんだけど、人がいっぱいいるからさ。珍しいねーこんなところに。なんてえか、上から見るとまんだらが乱れた感じだよ。あれって、一体誰さんたちなの?いわゆるネイティブな人たち?マスコミはさすがにいなかったけど」
「・・・・・・・」
”本家”のように黙っている渚カヲル。余計な騒ぎは少年の望むところではない。
一夜にして「消して」しまえば、どこからも文句のでようもないはずだった。そのための四号機を用いてまでのどかちん作業なのだ。ゼーレの認証もある。どこから情報が漏れたのやら・・・・しかも、「ゲート」は開くはずもない・・・・あの人数の政府許可を急遽どうやって取り上げてきたのか・・・・・だが、妨害にしては、やり口が甘すぎる。
「星が多いねえ。手をのばせばつかめそう・・・・・・・ほいっと。あ!つかめた!見る?」
見るとも見ないとも言ってないのに、手を開けてみせる。ぱー。手のひらには、玉蜀黍の星。ぽいっと、自分の口にいれる。渚カヲルは無反応。珈琲の暗やみ。
「むーん・・・・。アラビアの騎士の物語はなんでしょう?こたえは、アラビアンナイト。魚屋のおっさんがおどろいた、ぎょ!なんつって。受付のおねえさんも驚いた。あぽ!
・・・・ありゃ、もしかして腹がたつほどつまんない?」
分かっているならやらないように、と注意もしない渚カヲル。
「じゃあさー、こんな話知ってるう?ほらほら、こんなたき火の話」
たちのぼる煙になでなでする、もうひとりのレイ。ふーっと風が吹いてさまざまな奇妙な形になって夜空に舞い、星と一緒にくるるまわるように。コーンフェイドの祈祷ダンス。
「昔、ペルシャの勇士ラステムが、老魔術師を助けたんだって。でも、ラステムは欲のない人だったからお礼はなにもいらなかったの。そこで魔術師のおじいさんは、”それではその煙と炎と星で贈り物を作って進ぜよう”・・・あ、こんな風にたき火をかこんでたんだよ。それから、ひとかたまりの煙と、ほのおと、明るく輝くふたつの星を手にとって、こねて作ったのが、煙のようにやわらかくて、星のように輝く目をした、炎のように赤い舌をもった、ペルシャ猫だったんだって。ペルシャ猫はそうして生まれたんだよ・・・・」
「え・・・・・なんだい?」
「聞いてなかったの?いやー、あんまりカヲル君、このごろ笑ってくれないからさ」
「ごめん。・・・・・きみはよくわらうね」
「うっ。大好きなカヲル君に無視されるなんて・・・うちは日本一、ふこうな少女や・・
・・・って、ここ日本じゃないっけ。あははははっ」
からから笑うもうひとりの綾波レイ。
「無表情のレイちゃんに怒髪天のアスカちゃん、おおぼけとぼけのシンジ君に、なるしースマイル渚君って、ネルフ本部じゃならしてたのにー。笑ってよー」
渚カヲルじゃなければ、速攻で追い返していただろう。なんとも、こにくらしい。
ポケットから手帳を取り出した。
「今日はとっときのネタを教えてもらったから、とうとうそれを話すことになったのね。
Knoking・on・Hevens・Door・・・・・天国の門を叩くお話だよ。
インディアンとカウボーイがあるとき、戦争で同時に死んだんだって。それで、一足早く・・・むちゃくちゃ足が速いんだよ。オリンピック選手も目じゃないくらい・・・・あ、それで天国の門に先に着いたから、ちょっと下を見てみると、カウボーイが意気揚々とやってくるんだって。同時に入るのがやだったのかわかんないけど、インディアンは大きな門の陰にかくれて様子をうかがうことにしたんだ。そうすると、辿り着いたカウボーイが、かっこつけながら天国の門を叩くと、どうなるか・・・・・それを見届けたかったのかもしれないね。ともあれ、門は叩かれたから、内側から重々しく開かれた。ぎぎーってね。
そしたら、天いっぱいにラッパが響きわたり、華やかな楽団が現れて、天使たちが色とりどりの風船や旗をもって、妖精のリアリーダー・・・うーん、すごいね。リアルでしょ。
のバトンが始まったりして、紙吹雪が舞って花火までドンドンあがっちゃうんだ。
つまり、パレードだね。カウボーイは用意されたキャデラックのオープンカーに乗っていってしまう・・・・・。すごいでしょ。リッチだねえ。たんばてつろうさんだねえ。うん。
インド人・・・じゃない、インディアンもびっくり!。こんなに派手で立派なパレードなんか見たことがなかったからね。あ、いっとくけど、カウボーイは普通のカウボーイで、横綱のカウボーイだった、なんてオチはつかないから安心してね?。
白い雲を見ながら・・・しばらくぼーっとしていたんだけど、気を取りなおしてインディアンの彼も・・・・ちょっと鷹の羽根を刺し直すとかおしゃれしてね・・・・天国の門の前に立って、叩いたんだ。ごん、ごんって」
ここでポップコーンのレイは、両てのひらの珈琲をすすった。にこっと「おいしいね」
「で、叩いたんだけど、しーんとして天国の門は応えてくれない。すこし待ったんだけど開いてくれない。でも開かない。手が痛くなるほど叩いて、ようやく内側で気配がした。そして、天国の門の脇の方・・・・・あるんだねえ、「通用門」がきーっと開いたんだ。
そして、白い服の老人が、「あたしゃ神様だよ」・・・・なーんて言わなかったけど。
神様が出てきたんだって。「よく来た。あんまり遅いので道に迷っているんじゃないかと心配していた」そお言って、通用門から歩いて中に入ってくるように手招きしたんだ。
もちろん、パレードなんかないよ。しーんと清澄に静まりかえっているだけ。
目の前には、おじいさんだけ。・・・・・・こりゃ、怒るよね、かなしいよね。
我慢強いインディアンも、これには神様にくってかかったんだ。
「どうして!どうしてなんです?」って」
俳優のように立ち上がって、無性な悲しさをたったひとりの観客にぶつけてみせる。
渚カヲルはだまって聞いている。
「この扱いはいったいなんですか?どうして私はこんな扱いを受けなくてはならないのです!地上にいる時にあれほどさんざん差別されてきたのに、楽しいはずの天国にきてまでもこれほどまでに差別されようとはーーーーーー」
「ああ、神よ。あなたはほんとうに神様なのですか」
泣きながら抗議するインディアンの姿がたしかに渚カヲルには見えた。
もうひとりの綾波レイはゆっくりと歩いて、渚カヲルの背後にまわった。
そして、そっと後ろから抱きしめた。ささやいて話をつづける。
「お前はさっきのパレードのことをいっているのだね。あんなことで怒ってはいけない。あのカウボーイは特別だったのだ」
「・・・・・宇宙飛行士でもなかったんだね?」
渚カヲルがこたえる。問いかけの吐息は耳にかかっている。
「そ。実はあれがここにやってきたはじめての白人だったのさ!」
オチをつけてしまうと、さっと渚カヲルの白い横顔にキスして、すぐに離れた。
「ね、面白かった?今の話」
「有名な話だからね・・・・天国の門を叩く者・・・・」
「ネルフ本部から離れたんだから、あとはシンジ君たちに任せればいいのに。そんな、”謎めいた伏線”フェイスも素敵だけどさ。そのための”ゼルエルの鉾”なんでしょ。
設計図を覗かせてもらったけど、大きいわねー・・・・エヴァが使うのを考慮にいれても埒外にでかい。見かけもごついし武骨だし。ボルトとかベリットとかがあるからフランケンシュタインの怪物みたい・・・。あんなもの振り回したらゴジラの比じゃなくなるよ。一振りで街は半壊、二振りで全壊、三振りで消滅ってとこかなー。ほんとにシンジ君にあげちゃうの?」
「あまり時間がないからね・・・・・ロンギヌスの槍と・・・・・」
「そっか・・・・カヲル君はもう知ってるんだ。
爛ッ・・・・・渚カヲルの瞳が一瞬、燃え上がる。
「あれにゃーダマされちゃったなあ。いくらネルフ本部を探しても見つからないわけだよ。
うまいこと考えたもんだね。エヴァの肉の中に隠しちゃうなんてさ。でも、あの”形”に変化させるにはかなりの部分の遺伝解析が必要になってくるんだけど・・・・どんなに速くともあと百年はかかると思ったのに。どーやったのかなあ?」
「人間の左腕を基本に準えたんだろうね・・・・・”試験機”と同化させた上で」
「なるほど。それだけで大分、ムダが省けるねえ。非・人道的だけど。
ロンギヌスの槍の中には人類の進化に必要な遺伝情報がタップリつまってるわけだし。しょうがないのかなあ。使徒も欲しがり人も欲しがる。尊く気高い自己犠牲っていうものかな
実験台になったひとは・・・・英雄だねえ」
赤い瞳がどんどんどんどんどんどん・・・・・膨れ上がって・・・・赤い月になる。
「はたまた・・・・救世主か・・・・それを産んでくれる・・・聖母かな」
赤い月より発せられる、強烈な魔性の引力。人間の精神の海をまるごと干上がらせる。
「新しい遺伝子の道に直結する・・・二つの、そして一つ生命の母親と、子供・・・・・」
「カヲル君にはわかってるんでしょ、これからシンジ君がどうなるか、どうされるか
未来を見通す視覚の持ち主、フィフス・チルドレンにはさっ。なのになんでこだわるの」
「いや・・・・・」渚カヲルは首をふる
「ウソだあ。エフェソスを使っても?」
「そう・・・・君と同じだよ。シンジ君には、ぼくの能力が通じない・・・」
「あの・・・・ラミエルを消滅させた・・・雷・・・?」
「ぼくの視覚には、あの時、綾波レイが過粒子砲で貫かれる光景が見えた。そのとおりに時間が確定されたなら、君はここにはいないはずだ。そう・・・・・シンジ君は力づくで”フィフスが確定した”未来を砕いて・・・変化させたんだ。だから老人は初号機を恐れはじめた。必要とあれば、いつでもシナリオを変更させてしまうから・・・・・彼は」
「自分自身が預言書なんだ・・・・・重なり合う”頁”は、雷で灰にしてしまう」
「君は・・・・・・・・
「いつか七つの目玉を用いても、見えない場所にいってしまうんだろうね・・・」
「あーっ!」
急に大声をあげる、もうひとりの綾波レイ。赤い月が瞳に戻った。
「カヲル君、ひっどーいーっ!!やけにお喋りだと思ったら・・・・・」
びしっ!闇の中の大塊ボルタルクを指さす。
「わたしじゃなくて、あの岩に語りかけてるーーーっ!。カヲル君のいけずう・・・
わたしの存在度は磁気テープかわりの岩ゴロより下なわけえ?
ぐす・・・ピエロさんだ」
「いや・・・・・それは・・
何かいいかけたところで胸ポケットの携帯が鳴る。四号機が到着したようだ。
大地の偉大なる神性と最後の挨拶を交わそうと思っていた時間が、パーになってしまった。
世界が溶けてしまう前に。
「きみ・・・・・・・・」
視線を戻すと唐突に姿は消えていた。現れたときと同様に。しかし、たしかにここに存在していたのだ。もうひとりの綾波レイが。その証拠もある。・・・・・食べるだけ食べて放っておかれたポップコーンのアルミ容器。さすがに魔法瓶はもっていったらしいが。
「片づけろよ・・・・」
渚カヲルでなければ、そうつっこんでいただろう。無駄だとしりつつ。
心優しいのか、何かの面倒をみるのが性に染みついているのか、片づけていく渚カヲル。
そして、プログレッシブ・ツルハシとプログレッシブ・スコップを装備した四号機に搭乗し、神聖なる巨大雷岩を相手に渚カヲルの「夜っぴてどかちん」作業が開始されるのであった。鉾を生み出す鎚撃つ響き。大地の意志に従わぬ、小生意気な小僧にグレート天誅を下してやろうと死に装束を纏ってやってきた前時代的に誇りの高い戦士たちも、これには恐れおののきド肝をぬかれた。「天使のやることに人が口をはさむでない」と現れた長老から叱責をくらっては、引き返すほかなかった。「あの子は尋常の人ではないのだ」と慰められ。
明日の地平線にはすでに、岩の影もなかった。