「・・・・で、このおはなしは半分くらいフィクションであり、
半分くらいほんとうなので、実在の地名や人物や組織や団体にも関係あるところがあります・・っと」
 
六分儀シンジは銀橋旅館の二階部屋の縁側で、古ぼけたワープロでなにやら文章をカタカタやっていたが、ようやく打ち終わったようだ。そして、印刷にかかる。
「おつかれさまでした。シンジさん、梨をむきましたからどうぞ」
タキローやチン、ピラに一っ通り剥いてやりながらユトは六分儀シンジのぶんをガラスの小皿に盛ってぷしりと、楊枝をさした。
「あ、ありがとうございます、ユトさん」
朝から昼も食べずに座り続けた縁側の籐椅子からようやく離れて部屋に戻ってきた。
「ひゃー、すげえなあ。トイレにもいかずによく頑張れるもんだな。お前、小説家になれるんじゃねえか」
チンがもしゃもしゃ梨をほおばりながら感心したようにいった。
「きょ、脅迫文って新聞とか雑誌の切り抜きを使うもんだと思ってたんすけど、ワープロも使っていいんすかね?」
ピラがちょっと心配そうに言った
「そ、それはそうだな・・・・ナイスな指摘だ、チン。おいシンジ、お前ピラよりバカだから残念ながら小説家にはなれねーぞ、脅迫状にワープロはいただけねえ」
結局のところ、兄貴分より弟分のほうが頭がいいんだろうな・・・とタキローは冷ややっこな目で考えた。自分のガード対象がおい呼ばわりされてもさして怒りも覚えない。
うーん、ユト姉さんのむいてくれた梨はおいしい。
「べつにこれ、脅迫状じゃないよ。それに、こんなの出すの僕たちだけだからすぐにばれるし」
六分儀シンジの返答はじつにごもっともなものだった。
「その”たち”にはオレたちも入ってるんじゃないだろうな・・・ま、それはいい。
じゃ、なんなんだ?。例の後継者のレイ様に”こっちから会えないなら、むこうが会いにきてくれるようにする”、とかなんとか息まいてたが・・・・まさかと思うがそりゃラヴの手紙でラヴレターで、お前さん実は後継者のレイ様と”アチチ”とか言うんじゃないだろーなっ!?・・・ここは人生の先輩たるお兄さんが添削してやるっっ」
チンはダダダッッ、と縁側に駆け寄るとワープロの内容を見ようとした。
実のところ、朝からこのやろーが何を一生懸命書いてるのか気になって気になってしょうがなかったのだ。これはこの部屋にいる全員の総意だ、と確信するオレであるとチン。
 
「見ちゃだめです」
 
怒っているわけでも恥じているわけでもない、それならチンは喜んで見てやった。
ただ、六分儀シンジのその声はひどく真面目で・・・・「一番最初はユトさんに見てもらうんです」と。言われたからには、退くしかない。「その後にみてください」とすれば納得するしかない。「ちっ、そういうことなら経験豊富なおねえさまに譲ってやらあ」
「あら、ありがとうございます」ユトが自分の梨をむきながら笑んだ。
 
「まあ、恋愛映画っぽく六分儀の御曹司と綾波の後継者が恋仲であるってのもドラマチックだが、嘘っぽいよな。やっぱり耳で聞いて嘘っぽいのは成立しねえ。不思議なことにオレのその手のカンはよくあたるんだ、なあピラ」
「そ、そうっすね。チンの兄貴に睨まれたカップルは爆竹を尻に射し込まれたカエルのように玉砕するっす。やっぱり彼女いない歴ン十年のキャリアが兄貴の眼力を研ぎ澄ましてるんじゃないかと・・・・」「て、てめえピラ・・・・」
「へー、チンさん彼女いないんですか?愛、愛の幸福を知らないわけですね?」
「て、てめえユト・・・・」
「よしんば、見え見えの予定調和で成立する漫画みたいにシンジさんとレイさんの二人が恋仲であったとしてもこれで二人の別離は決定的でしょう。そんなの僕でもわかる・・・」
「て、てっめえタキロー・・・・」
 
銀橋旅館から出られないので、微笑ましい娯楽として最年長のピラいぢめ。
 
「おいしい」と梨をしゃくしゃく六分儀シンジ。文章を書き上げたあとの快い虚脱感。
目つきもとろん、としている。とても脅迫状などかける顔ではない。
かといって、幽怪のはざまに旅客のていよく軟禁された罪人の顔でもない。
 
本人は、六分儀シンジは、ここを「本拠地」と考えているからだ。
 
ここより外へ出られない、という点では大橋水上署の海面下牢と変わりはしないのだが、六分儀シンジはここが気にいったらしく、「幽霊しか泊めない」という不思議の旅館を探索し、危険がないことを確かめると、ここを交渉の拠点に決めた。しんこうべ中五本の指に入る機密綾波度が高く、おまけに全国ベストテン入りの霊的スポットに危険がないわけがないのだが、「鬼の召喚だけはやりません」というのを条件に旅館側から安全の保障をもらった。この手の交渉はいっさいがユト任せで六分儀シンジは関知しない。
綾波灰色、綾波プーメシ、綾波茜朱、綾波蒼那、綾波南奇ら、旅館の従業員は人間の、しかも六分儀の客(一部ウラギリ綾波)に、おもいきり迷惑そーな顔をしていたが彼らはポストに送られてくる全国の助けを求める人々に応えるので忙しいので、後継者を奪おうという極悪人どもに干渉してくるヒマ自体なかった。少なくとも大人しくしている分には、後ろから襲う、食事に毒を混ぜる、寝首をかく等の敵対行動はしてこない。風呂や廊下ですれ違うこともあるが、騒ぎになるようなことはなかった。宿泊の幽霊客たちこそ、珍しい生者のお客に興味津々だったようで、チンなど絶対にひとりでトイレに行かない。
一度だけ行こうとしたのだが、鍵をかけずに用を足す悪い癖のある南奇が入っている姿を見て仰天し逃げ帰ってきた。「ぬ、ぬりかべだーーーーーーーー!!」と。
正確には、国土交通省から依頼されて道を塞ぐぬりかべを退治して背負って帰ってきたとたんに急に小用をもよおして足していたところを突如、客にドアを開けられたわけだ。
「人間の客かいな・・・・あ、おかげで散らしてしもうた・・・・拭いとかな・・・・・・・・<ぎくっ>・・・・ウッ・・・腰が・・・・・」
テレビもラジオもないが、退屈することはなかった。座布団を敷いて扇子と羽織を用意するだけで、名人落語家の噺が始まったりする。幽霊のやる怪談、というのもおつなもので・・・。
旅館の裏手には雑用一切を取り仕切るプーメシが面倒みるちょっとした動物園がある。
全国から引き取ってきた魔力や霊力をもってしまった動物を飼育している。竜だの獏だのではない、ふつうの犬猫鳥ウサギは虫類、ペットショップで売ってるような、だがしかし、魔力霊力をもって一般家庭で飼えなくなった生き物をここで飼っている。ポストにそんな面倒を書いて送ってくる子供もいたりするからだ。保健所からも要請がきたりする。
この動物園を見て、ユトが泣いた。
綾波の読心者に尋問かけられても平然としていたユトがとつぜん、そこだけ、ユトの顔にだけ雨が降ったように涙が流れたのでプーメシを含みタキローをのぞく全員が、ぎょっとした。その場ではだらしのないことにチンもピラも、もちろん六分儀シンジも理由は聞けなかったので、ユトが風呂にいったすきにタキローに尋ねたところ。
「ユト姉さんは飼われている動物を見ると、ああなる・・」とだけ、ぶっきらぼうに。
チンもピラも、「こりゃなんかダークな理由がありそうだぜ・・・」と遠慮したが、六分儀シンジはさらに一歩、踏み込んだ。風呂上がりにフルーツ牛乳のみながらぼうっとやりもしないインベーダーゲームの筐体に座っている不思議な赤い浴衣の女の人に。
「わたし、昔、犬を飼っていたんですよ。虎轍さんっていう。ある時、虎轍さんが重い病気にかかっちゃったんですけど、わたしは仕事でよそにいかなくちゃならなかったんです。だから、”長生きして”ってお願いしていったんです。がんばって、仕事をかたづけて急いで戻ったんです。虎轍さんは生きててくれました。よろよろしながら立ち上がって。
わたし、その時安心しちゃって、虎轍さんに”がんばってくれたね、ありがとう”って言わずに仕事の完了報告にいっちゃったんです。その、報告をしてるとき、外で”カラン”って音がしたんです。外は夏でいつも熱いから飲み水は切らさないようにしてんです。
そして、報告が終わって、外に、虎轍さんのところへ行ったら・・・・・
虎轍さんは、頭から水をかぶって死んでました。倒れた体は温かくて柔らかいけど、もう、目には膜がかかったように濁ってました。
ものすごく、くやしかったですね。
絶対に、手の届かない場所へいかれちゃったこととか。
カラン、って音がしたときに駆け出さなかった自分のこととか。
死んじゃった虎轍さんがものすごく、急いで花でもまかないと我慢ならないくらい汚くみえちゃったりしたこととか。
知ってます?シンジさん?。死んじゃったものって、真昼の太陽の下にあっても、暗いんです。暗く見えるんです。
もう何年か前の話なんですけどねー。あそこで犬とか飼ってるなんて思ってなかったから・・・・・・ふいにやられると・・・・ああなっちゃうんです」
そんな話をすることで、六分儀シンジは六分儀ユトについて2,3,大事なことを理解した。その中でも一番重要なのは、ユトとタキローがおそらく本当の姉弟ではない、ということ。いちいちタキローが”ユト”姉さん、と確認するように呼ぶのはそのせいだろう。
その話にタキローが出てこないことを考慮すると、ほぼ本決まりである。
天候操作が六分儀のお家芸だとタキローはいい、事実、タキローは下駄を裏にしたり横にしたりで雨風を呼んだりする。それでいて、ユトはそのタキローの実姉ではない、として六分儀を名乗るのは・・・なにかおかしくないだろうか。別に、いとこの間柄だったとか敬愛の感情として姉と呼ぶのか、それはいいのだけれど・・・・まるで別種の存在だったとしたら・・・うーむ、たとえば碇姓の人間だったりとか・・・ありえないだろうか。
それから、ユトが思い切り綾波側の人間で、これが手の込んだ時間稼ぎの罠であるとか。
 
それはともかくとして、ユトとタキローが実の姉弟でないなら、それを心にとめながら、
コンゴの運営に気をつけなければならないなあ、と六分儀シンジは考える。
ユトとタキローにとってはその点に関してグタグタ言われるのが何より辛いだろうから。
 
話の終わりにそれをユトに告げてみると、ユトは心底、驚いたようだ。
何を驚いているのか、六分儀シンジにはよく分からなかったが。
人類の天敵と戦っていたりすると、人類内敵味方の感覚がひどく鈍いのかも知れない。
おそらく、そのことばをタキローや、チンやピラでさえ、聞いたら震え上がっただろう。
ユトの正体は、いわば爆弾。一行の中でいつ炸裂するかわからない、危険なそれを。
信管も抜かずに、ほうっておくという。
 
「・・・・僕にはきょうだいがいないから、ほんとうのとこは分からないんだけど、ね」
と、どうでもいいようなことを言って笑んで行ってしまう法服の後ろ姿にユトの瞳がうずいた。天下無敵の誘拐魔の瞳で。
 
 
行動力の源である、食事(和風)は美味しかった。なぜか。
はじめ、銀橋にああはいわれたものの、当然のことながら六分儀シンジご一行にいい感情をもっていない綾波の人間のつくった食事に毒や自白剤でもいれられとんじゃあるまいか、と厨房へもぬけぬけと探りに入ったのだが、そこでその不安はモロに確定された。
板前が毒を入れる現場を見たわけではない、ある意味、もっと悪い。
幽霊客に出すのは線香だったり供え用の砂糖菓子だったりする普通の食物ではないので、テーブルの上にある「それ」はまあ、我らの食事だろーなー、と一応宿代は払ったし木賃宿方式でもスーパーやコンビニに買い出しにいけないんだから、そうだろーなーと思った。
その食事は「腐っていた」。和風、といったからにはその灰色の四角形は豆腐かなにか、豆が腐って豆腐だからあたりまえだろ、と言われそうだが、大皿の上に無造作に五つ並べられたその灰色の四角形は、よく見れば蠅を固めた様な感じで匂いも凄かった。
犬でも猫でも、ハイエナでもフン転がしでもまたいで通るであろう。
グロテスクで匂いのきついものは食べてみると意外に美味だったりするが、これはもう、食事本能が危険信号を発している。喰えばくたばる。死に神食だ。
向こうがそうくるなら、こっちも・・・・報復として。
「シンジさん、実はですね・・・」ユトが鬼喚びの真実を教えちゃろうとした。
「あんたら・・・なに・・・・」
だが、そこに厨房責任者の綾波灰色が帰ってきたことでそれは回避された。
灰色の服に、灰色のマスク。ガリガリに痩せた、陰気の国の王女さまのような少女だった。見た目、三十路は間違いないだろう、というのがなんと半分、十五というのだから。
乳臭さや水気、というものがまるでない。石地蔵めいた、死神大使の養女ではあるまいか。
「ああ、それ・・・わたしの食事・・・・それ食べてから・・・あんたらのはつくるの・・・・急に来るから・・・材料の買い出しに・・・時間かかった・・・わ」
そして、灰色のマスクをとると・・・・口が裂けていた。
「スンマセンしたっ!!お勤めご苦労様でっす!!」
その姿をみて最早速攻でチンとピラは他三人を連れて厨房から逃げ出した。
「な、なんだ?」
タキローでさえ目を丸くする疾風ぶりである。よほどその灰色が怖かったのか。
確かに気味悪な外見ではあるが、大橋で待ちかまえていた連中ほどではない。
あとで聞くと、あの娘こそ医療都市でもあるしんこうべの最後の切り札、病人に這い寄る”死”を喰らうことで相手の命を延ばすことができる、「延命」能力の持ち主。綾波とはいえ、かぎりなく一般ぴーぽーに近いチンとピラなど実在も話半分に思っていた人物。
ピラのような治療者、ヒーラーとは完全に異なる。迫り来る無限、死の時間を削り取ってくるのだから。いかな業病相手にも立ち向かえる能力の代償は、あの腐食の蠅の食事。
しんこうべの口裂け女に会うと寿命が延びる、という伝説はほんとうのこと。
能力が強くなればなるほど、自由は封じられる。チンとピラが最敬礼で逃げていったのも無理はない。とてもじゃないが、あんなもんを喰ってまで他人の命なんか延ばしたかない。
あれを食える、ということはすでに嗅覚も味覚は蠅なみ。こりゃ食事は期待できそうもないぞ・・・・とげんなりしていたら、出てきた食事は美しく、それから風流で美味だった。とりわけ、香りが素晴らしかった。つまり味覚は人のまま。食前には拝むしかない。
 
 
そんなわけで、銀橋旅館から六分儀シンジは活動を開始した。
綾波団、いやさ綾波党の偉い人には電話はつながらない。電話はないわ。
それで、せっかく四つもあるポストを活用して、手紙を出すことにする。
なんだか道徳の時間の、外国の大統領に手紙を出す小学生みたいだが。
 
ポストの利用について主の銀橋を探して尋ねてみると、顔色が変わった。
まさか、そんなことをするとは思ってもみなかったらしい。こちらから「出す」などと。
正確にはあの四つのポストは通信省の管轄のものではない、綾波党のもので、党首のナダが若い時分にコレクターから賭で取り上げてきた「ポスト大王」。全国、全世界のポストの中身に直結して、指定した行き先の郵便物を吸い上げることができる。これを設置したおかげで銀橋旅館の周囲の空間はねじれまくりで、おいそれと抜け出れない結界になっている。銀橋が予告した、ポストを全部倒す、なんてことをしたら本人たちも二度と旅館からしんこうべの街部へはおりられなくなる。さらに、ポストであるからには、しかも大王とあるからには投函した郵便物への届けなど万全にして完璧で、なにがあろうと絶対に「本人様」に渡る。これはいかなる妨害があろうと、たとえ剣林弾雨のど真ん中であろうと届く、とにかく届く。邪魔などしようものなら、祟りがありてきめんに鎖につながれたような不幸になる。ここで嘘をつくのももちろん妨害の内に入り、ポストはちゃあんと聞いている。銀橋の顔色が変わるわけだ。六分儀シンジの顔を見ると、もとからそんな発想というか計画ではあったらしい。なにか印刷物でも送るつもりなのか・・・後継者に。
危険な代物ではあるまいか・・・・だが、六分儀シンジは余裕でこう言った。
「あ、心配だったら事前に読んでくれてもいいですよ。」
悔しいが、ここまで言われて「使えません届きません」とはいえない。
旅館前ポストは、主と従業員と同じくらい誇り高いのだ。
まったく迷惑だ・・・・・しかし、切手は売ってやるしかあるまい。だが六分儀シンジは。
「ああ、切手ならあるんです」
と、財布から「ムーミン切手」を何枚か取りだしてみせた。「外国のでも使えますか?」
困ったことに使えるのだ。ポスト大王は世界中の切手を覚えていて認識可能なのだ。
なにかそれは対後継者用の強力な武器であるような気もしたが、認めるしかあるまい。
「それから、なにか書くものありますか」
というわけで、年代物のワープロなどゲットしてきて六分儀シンジは怪しい文書の執筆にとりかかったのであった。
 
そうして、書き上がったのが。これ。